こんにちは。とびらです。
高校でテニスをやっている息子は、腰の疲労骨折になってしまい休養中。先日その仲間たちのインターハイ予選があり応援に行ってきました。
私は息子の友達をうらやましいと思う自分を責めてしまいがち。この日もさんざんやっちゃいましたが、(関連記事はこちら→アクシデントをラッキーに変える方法・うらやましいとの付き合いかた)「お、やってるな」とメタ認知したりして中々楽しかったです。
でも、新たな「もやっと」が現れました!それが「息子にも気付いて欲しい」です。もやもやは自分の常識を見つめ直すサインですから、また新しい自分を見つける冒険の始まりです。
目次
目の前の人を変えたい時
高校に入ってからの息子は、試合の時いつも「負けたらどうしよう」と思ってしまうようで、中々勝ち進むことができません。
私は「勝敗は天に任せればネガティブ思考にならない。機嫌のよい状態でいれば、今自分ができることをより多く気付けるはず=チャンスが増える」との考えを採用してほしい!息子は反発するのでもやもやする、というわけです。
「私の考え>息子の考え」をやめる
息子がなんで反発するのか考えてみました。思い当たるふしはあるある。教える=足りてないという公式に当てはめると、私の考えを採用して欲しいというのは、息子の考えはダメだと言っているのと同じだもの。
「私の考え」>「息子の考え」では、息子が「自分は尊重されてない、自分は何もできない人間だ、自分はダメだ」と考え自信がなくなるのも無理はありません。私が教えてあげないとこのまま勝てないって思っていると、本当にそうなって行きます。
息子を尊重する
私がやらなきゃならないことは、息子の考えを聞きそれを尊重すること。「必要なものは全部、息子が自分で気付くことができる」と思えば本当にそうなります。それが理屈ではわかっていても思えないんだよね~。
それはなぜか?人は自分が許されてないことを、人に許すことができない生き物です。だから自分で自分を尊重できていないと、人のことも尊重することができないんですよね。
自分を尊重する
私が息子を尊重できないのは、まだまだ自分を労うのが甘いせい。こんな場合は、すんごく小さなことで自分を労うのがいいんです。
例えば「ごはんを作ってえらい」とか「ブログを書いてすばらしい」とか「息子を学校に送って行った私はとても優しい」とか「猫に餌をやっている私はよくやっている」とか。
ほめて褒めてほめまくって自分の心を暖かくしましょう。暖かくなるまで100個くらい褒める箇所をあげてみましょう。私も101個目くらいから息子を尊重する気持ちが湧いてきた気がします。
まとめ
もっと○○になって欲しい。夫や子供に対して思えば思うほど思い通りにならないものです。でも自分の考えを変えると、知らないうちに自分の望みをはるかに超えたような人に変わっていたりします。
自分に変えられないものを変えようとするのではなく、自分が変えられるものに気付くことができたらいいですね。
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