こんにちは、とびらです。
ご機嫌になる方法を捜したり知ったりしても、うまくいかない時があります。毎日ご機嫌でいれたらいいに決まってますが、そうもいかないのが人生です。
もし感謝の波に乗れる時と乗れない時に何か法則みたいなものがあったらどうでしょう?それを知ればもっと楽に感謝の波に乗れるような気がしませんか?
自分の源泉に触れていれば毎日ご機嫌
ゴールデンウィーク中は、夫と庭や家の中のメンテナンスをしたり、友人たちと出かけたりと何かと気忙しく、3~4日ブログを更新しないでいました。けっこう楽しかったのに、その間、あたりまえ感が戻ってきてしまい、感謝モードを取り戻そうとしてました。でも無理に追いかけてもどんどん遠くに行ってしまう感じでした。
昨日4~5日ぶりにブログを書いたら、感謝が自然に湧いてきてびっくり。もしかしたら人は自分の源泉みたいなものに触れていないと心から感謝できないものなのかな?と思ったのです。
自分の源泉にたどり着く
自分を楽しませることをすればご機嫌になれます。本を読むことも、映画を観ることも、コーヒーを飲むことも、ダンスすることも、絵を描くことも、それが楽しければどんどんやればいい。
その時に心の声をしっかりキャッチしてあげていると、はじめはぼんやりしていた心の声が次第にはっきりしてきます。ブログを書く時の方が、映画を観ることよりワクワクするとか、SEOの事より感謝について書いている方が楽しいとか。
自分を楽しませることの中から心の声に従って取捨選択していくと、次第に自分の本当にワクワクすること=源泉にたどり着けます。
源泉とは生きる意欲の源のことです。人生を楽しんで生きている人達、やりたいことだけをやっている人達は、皆自分の源泉につながっています。詳しくはこの本をどうぞ↓↓↓
自分にうそをつくのをやめる
でも人間は周りの目が気になります。周りの目は次第に自分の中に入り込み、自分の行動をジャッジし始めます。私も「一般社会通念から外れた考えをこうして書いていることを周りの人に知られたら、みんな離れていくぞ」と脅されています。
でも、「常識に反してるけどやりたいこと」をやらないでいるのは、自分に大嘘をついていることになります。自分を最大にないがしろにしていることになります。自分に価値がないと自分に言い聞かせていることになります。
世間の目を気にして、心の声を無視して、創造的な考えを抑え、子供のようにのびのびした行動をとらないでいるのは、自分に嘘をついていることになります。自分を喜ばせていません。自分は裏切られ悲しい気持ちになっています。
そんな気分で感謝するのは無理ではないでしょうが、難しくなるでしょう。
自分の感覚を信じる
ゴールデンウィーク中、夫や友人とたくさんの時間を過ごし楽しかったものの、世間の目の中での楽しさだったのかもしれません。「自分の直感や独創的な考えで話すと嫌われるぞ」と自分の中の世間の目に脅されて、本当に自分らしく過ごしてなかったんですね。
自分の源泉から離れてしまったので、感謝も湧いてこなかったのです。
自分の感覚を信じることが自分を最高に喜ばせること。それさえできれば簡単に毎日ご機嫌でいられます。
まとめ
ご機嫌になれない時、感謝の波に乗れない時は、やりたいことより常識を優先していないか、心の声をよく聞いてみましょう。世間の目や常識を心の声より優先するのは自分にうそをつくこと。自分を嫌いにさせてしまいます。
心の声を信じて、自分に優しくしてあげてください。そうすればご機嫌になるのは簡単です。
こんにちは。とびらです。
高2の息子は部活でテニスをやっているのですが、いつもこんな風に言っています。「練習しなきゃ勝てないのはわかってるけど怠けてしまう。こんな自分が勝てないのは当然だ。」
なぜ人は、好きで始めたはずのことを頑張れなくなってしまうのでしょう?
自分らしさを取り戻せ
休む
まず、毎日が忙しい。朝から晩までやることが分刻み。勉強、練習、SNS、ゲーム。ご飯を食べる時間も動画を見るのに忙しい。目の前にやらなければならないことが山積みです。
しかも与えられるものが多いので、自分の創造性や独自の考えが湧き出る時がありません。創造性から作り出される自分らしさも生まれにくいし、持っていても、使う時がないと磨かれません。
忙しいと、目の前のやらなければならない事を意識するばかりで、自分にとって大切なものに意識をむけることができません。だから休むことがすっごく大事です。
自分にとって大事なことをする
休みをしっかりとって、自分にとって大切なことを自分に与えてあげましょう。自分がご機嫌になれることです。
一日中大好きなことをするのを許してあげたり、ずっと欲しかったものを買ってあげたり、誰かにして欲しかったことをお願いするのを許したり。
「自分がご機嫌になることを与えてあげる」という事は、あなたにやる気や、創造性、自信を与えてくれます。自分が自分に愛されていると感じることができると、人はすごく満たされます。
満たされて自信がある時、自分の創造性や独自の考えが浮かんできます。それを使ってワクワクしましょう。自分の創造性を自分が応援できるというのは、100万人が味方に付くよりずっと心強いものです。
やりたいことを取り戻せ
人は目の前の困難に対して、自分で何とかしなきゃと考えます。何かをしなければ困難が解決するはずがないと。疲れていると余計にそう思います。周りに目を向ければ違うものが見えるかもしれない、違う解決法がみつかるかもしれないのに。
しっかり休んで自分の創造性を信じられるようになれば、やりたいことがより明確になっているはず。あとは天に任せることです。
練習ができない自分でもいいじゃない。試合に勝てなくてもいいじゃない。テニスをやりたければやればいいじゃない。自分が今やりたいことをやればいい。それがテニスじゃなかったとさえしても、やりたいことをやる方がいい。やりたいことをやって楽しくしていれば物事はいい方にしか進みません。
まとめ
忙しくインプットだけをしていると、自分らしさから切り離されて、楽しさを失くしてしまいます。そんな時はしっかりと休んで、自分にとって大切な物を自分に与えてあげると、自分らしさを取り戻せます。
自分らしさや自信を取り戻したとき、やりたいことも取り戻しているはずです。
こんにちは。とびらです。
「成功したい、幸せになりたいと思っているけど、全然実現しない。思っていることが現実になるなんて嘘だ」
「夢ばかり見ないで現実的になれ」
世界中がそう言っているように感じる時におススメの記事です。
人間の想像力がスゴイって本当だった!
人間の想像力のスゴさを知れば、「思っていることは実現する」というのがホントだってことがよくわかります。
二重の現実の中に生きている
サピエンス全史という本があります。ホモサピエンスという種族の特徴と歴史を「虚構」という鍵から読み解いている本なのですが、その中で著者は「私たちは二重の現実の中に暮らしている」と言っています。
想像上の現実と客観的現実
昔人間は動物と同じように、川や木やライオンと共に暮らしていました。人間は卓越した認知力を持っていたので、しだいに神や国家、貨幣、会社などを信じることができるようになりました。
そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために働いたので途方もない力を得て、食物連鎖の頂点に立つことができました。
神に実体がないのと同じで、国家にも貨幣にも会社にも実体はなく、想像上の現実=虚構なのだと著者は言います。その虚構を信じられるのが人間という種なのだと。
私たちは生まれた時から、一方に、川や木やライオンといった客観的現実が存在し、もう一方には神や国家や会社という想像上の現実が存在するという、二重の現実の世界を生きているのです。
違和感を感じる時
私たち人間は実体のある現実のものなので、川や木や水、太陽、風という客観的現実(自然)から遠く離れると、自分の根元が切り離されたような不安を感じることがあります。具体的に意識していなくても、何か違和感を感じている人は多いはず。
また、私たちを取り巻く現代社会の枠組みの全てが虚構だということが、直感的にわかっていて、でも言語化できていなかった人も違和感を感じるでしょう。そんな人は自然を肌で体で心で感じることが必要です。
自然の存在を意識する
忙しく生活していると存在を意識することがほとんどない自然。でも誰にも平等に惜しみなく与えられている自然。その存在を意識すると、自分たちが無限の恵みの中にいることに気付くことができるのです。
レイチェル・カーソンは著書「沈黙の春」の中でこの感覚を「センス・オブ・ワンダー」と呼び、こう言っています。
「この感覚は退屈の解毒剤だ。人工的なものに空しく執着し、力の源から切り離されている状態を終わりにすることができる。」
花や葉っぱがどれだけ精巧に、美しくできているか、鳥がどんなに愛らしく美しい声で鳴くか、猫がどれだけ好き放題で可愛いか。自然のものは私たちが作るものよりもずっとすごいってことに気付けば、大きな愛のようなものに包まれているのを感じられます。
ありのままに生きる
この愛のエネルギーは気付いていなくても私たちに降り注いでいて、私たちがありのままに生きるのを後押しします。自然が美しいのはありのままに生きているから。人間もありのままに生きてるのが一番美しく、本人も楽しいのです。
人間が当たり前に持っているその卓越した想像力を生かして、神や国家、貨幣、会社を現実にしたのと同じように、自分のやりたいことを想像して現実にする。それが人間のありのままの姿で、一番楽しい人生なのです。
せっかくの想像力を、将来の不安や恐怖、何もできない自分を想像したりすることに使わないでください。想像したものはどんなものでも作り出せるのが人間という種族なのですから。
まとめ
今私たちが信じている国家や、国民、企業や法律、人権や平等といった考えでさえもが虚構です。そういう複雑なものでさえ想像できることが人間の特徴で「ありのまま」なのです。
この複雑な現代社会こそが「思考が現実化する」ことの証明です。
こんな複雑な仕組みでさえも現実にできるのですから、私たちの小さな望みなど現実にするのは簡単に決まってますよね?
サピエンス全史はこちらから
↓↓↓
こんにちは。とびらです。
周りのすべてが私の邪魔をしているように感じる時があります。「何もかも思い通りにならない。子供はゲームばかりやって頭も良くないし、運動もダメ。パワハラで仕事を辞めさせられた。ブログで収入なんて得られない。」
そんな時は自然な状態でない時です。人は自然な状態にある時、同じ物事でも全く違うように見えます。
「子供は、楽しむことと常識に折り合いをつけようと世界一がんばっている。パワハラをした人は怖がる私を、今まで行ったことのない外の世界に連れ出してくれた。ブログは私の本当に欲しいものに気付かせてくれる。」
あるべき自然な状態とは、喜びにあふれ、ワクワクしている状態。その状態に戻るとすべての物事が輝いて見えるので「思い通りにならない」と思うことがなくなります。どうやったら自然な状態に戻れるのか知りたくありませんか?
自分をあるべき自然な状態に戻すためにすること
自然な状態とはどんなものか、気付いていない人は多いものです。子供の頃は誰でも、朝になれば跳ね起きて、今日は何をして遊ぼうかワクワクしながら考えていました。大人になるとワクワクしないのが当たり前だと思っている人が何て多いことか!
学校や世間の常識に耳を傾け、可能性の扉を閉じてしまったのは他ならぬ自分自身なのですが、あまりにも多くの人がそうしているので、そのことに気付くことができないことが多いのです。
でも太陽が、存在を知らない人にもエネルギーを降り注ぐのと同じように、無意識の力も、気付いていない人にも惜しみなく、今も降り注いでいます。その無意識とつながっているのが、自然な状態です。
何もしなくていい
無意識とつながるにはどうすればいいのか?それはもう簡単すぎるくらい簡単です。ただ「ある」と気づくだけでいいのです。努力も、お祈りも、瞑想も全く必要ありません。簡単すぎて本気にできないかもしれませんが本当です。
自分には何でも「ある」と気づくこと。「ある」と気づいたとき、感謝の気持ちが湧き上がってきて心が暖かくなります。それが無意識とつながったサインです。
頭の中の声を無視する
無意識とつながれても、油断してはいけません。あなたの頭の中には最大の敵がいるからです。その敵はあなたを四六時中責めるでしょう。
「そんな簡単に全てが思い通りになるなんてことあるわけないでしょ。そんな考え信じてバカじゃない?」「努力するのは人間の義務でしょう?」「自分の好きなことだけしていいなんて自分勝手なこと許されるわけないじゃない。」「どうやって食べていくつもり?」「だからあんたってダメなのよね。」
この頭の中の声は、あなたの声ではありません。あなたが小さいころに住み着いた寄生虫のようなものなのです。これはネガティブな考えを餌に増殖する虫で、ネガティブに考えれば考えるほど数が増えて、無意識のサインを見えなくしてしまいます。
でもこの虫は感謝という考えが大嫌い。心を感謝で満たすと急速に数を減らします。でもなかなか全滅させるのは難しい虫です。「増殖したら感謝で減らす」これを繰り返すしかありません。
常識を無視する
世間や学校で植え付けられた様々な常識は、あなたの思い込みとなってあなたの行動を縛っています。
「頭が良ければ得をする、だから勉強するべき。」「お金がなければ生きていけない」「普通の人は好きなことでは食べていけない」「目に見えるものがすべてだ」
人間の脳は考えているものを現実にする力があります。車も、PCも、アイフォンも、誰かのアイデアが形になったものですよね?だからあなたが常識を信じていれば、あなたはその常識の外には決して出られないのです。
もしあなたが常識から自由になりたいと思うなら、常識を無視すればいいのです。
まとめ
自然な状態に戻るためにしなければならないことは、何一つありません。頭の中の声や常識を無視して、自分は何でも「ある」と気づくだけです。
こんにちは、とびらです。
先日、町内会の会費を専用の封筒にセットして置いておいたのに、どこに置いたのかわからなくなってしまいました。まずいです。封筒は班長さんの手作りのもの。失くしたとなると迷惑をかけてしまいます。
家族総出で探しましたがどうしても見つかりません。その時、「天にまかせてみよう」という考えが湧いてきました。そこで、「おーい!封筒さん出てきてー!!」と大きな声でお願いしてみました。
すると「車のシートのすきまは?」とふと思いついて、さっきから何度もチェックしたはずの車に行ってみたら…、ありました!すぐに見つかったのです。
探し物をみつける秘訣
味をしめた私は、次に探し物が出た時にも「おーい出てきてー!」をやってみました。するとその時も頭の中にすっと答えが浮かんできたのです。驚きました。
その時、これはもしや、どんな探し物にも使えるのでは?と思ったのです。そしてもしやもしや、探し物は物に限らないのでは?
やりたいことを探している人、仕事を探している人、愛する人を探している人もいるでしょう。そんな時も使える方法なのでは???
ご機嫌でいる
探し物をしている時、私はいつも「何でないの?どこいっちゃったの?またこんなことに時間ばっかり取られて嫌になっちゃう」とイライラしていました。
以前に書いたこちらの記事→記事を書くのが嫌になる理由でも触れていますが、機嫌が悪い状態の人は、脳の視覚野と呼ばれる部位が情報を正しく処理できなくなるといいます。そして、機嫌のいい人は悪い人に比べ、探し物が見つかる確率が50%高くなるのだそうです!
私は「何で見つからないの?」と思っている時、見つからない理由を探しています。「私が不注意だから?部屋の中を散らかしているから?子供たちがどこかへやってしまったから?」知らないうちに自分や誰かを責めています。
「探し物出てこーい」と呼びかけるとなぜかご機嫌になります。そうすると、視野が広がり今まで見えなかったものが見えてきます。詰まっていた脳の回路がスムーズに流れるようになり、記憶の下に隠れていた情報が表に出てきます。
天に任せる
「天」に探すのを頼むと、なぜご機嫌になるのでしょうか?それは、自分も誰も責めなくてよくなるからです。見つからないのは誰かのせいってわけじゃないことにできるからです。
「探し物は何か理由があって今はいないけど必要なら必ず出てくる、もし出てこないなら、最終的に出てこない方がいい結果になる」こう考えるとすごく気が楽で、心が温かくなってきます。
思い込みを捨てる
天(無意識・宇宙)はいつも無限のエネルギーを与え続けています。それを受け取れば欲しいものは何でも手に入るのですが、不機嫌でいるとそのエネルギーをキャッチできません。
私たちは「不注意」で「怠け者だから片づけられなくて」「誰かのせいにばかりする」ダメな存在だから努力していい人間にならなきゃいけない、と思い込んでいます。
その思い込みから自由になる言葉が「探し物出てこーい」です。私の探しているものは、私が悪いから出てこないのではありません。ただ今は必要ないから出てこないだけなのです。天に任せれば自然に出てきます。
まとめ
何かを探している時は、見つからない理由を探すのをやめて「探し物出てこーい」と天に任せてしまいましょう。自分で何とかしなきゃならないという思い込みを捨て、天に任せれば100%うまくいきます。
天に任せた時、私たちは全ての創造物とつながることができます。だから心があたたかくなるのです。
こんにちは。
TVで釣りバカ日誌を放映していて、久しぶりに見ました。やりたいことをやっている人とやりたいことをやっていない人との対比がおもしろくてじっくり見てしまいました。
やりたいことをやりなさい
映画の中でスーさんは社長だけど、やりたいことをやっていない。浜ちゃんは平社員なんだけど、やりたいことだけをやって生きている。予想を外した設定がこの対比をおもしろくしているんですね。
楽しむためだけに生きている
スーさんが浜ちゃんの奥さんのミチコさんになれそめを聞くシーンがあります。ミチコさんは浜ちゃんのプロポーズに心を動かされたと言います。それが彼の人間を表しています。
「僕はミチコさんを幸せにできるかどうかわからない。でも僕は絶対に幸せになれるから結婚してほしい。」
浜ちゃんは自分が幸せになることに全力投球しています。自分が楽しくて満たされていると、それは周りに伝染してしまいます。自分が楽しければ楽しいほど、周囲を楽しませてしまうのです。
「人は他人を幸せにすることはできない、自分を楽しませるのは自分以外にはできない」というメッセージがこもったプロポーズ。そこにミチコさんは心を打たれたんです。ミチコさんも浜ちゃんと同じ人種だったという事ですね。
あなたが楽しければ周囲も楽しくなる
2015年8月、科学雑誌「ネイチャー」が、「ここにあるもの(思考)が向こうにあるものに影響を与えること」が証明されたと発表しました。
これは、あなた個人が発している思念が、周りに影響を及ぼすことが科学的に証明されたということです。あなたが不機嫌でいれば周囲にマイナスの影響があり、あなたが上機嫌でいれば周囲にプラスの影響があるというのは事実なのです。
ということは、「あなたが楽しいこと」=「周囲の人を楽しませる」なのです。だからだから、あなたがやりたいことをやることが、周囲を、社会を楽しませるのです。
まとめ
スーさんのような人生に疑問を感じて、今までと違う道を歩み始めたあなたが、指針にするもの、それがあなたのやりたいことです。
あなたが楽しいと感じること、違和感を感じないもの、体の芯があたたかくなるもの…。あなたの感覚を信じてください。それは人によって宇宙と言ったり、神と言ったり、無意識と言ったりする何かとつながっています。
好きなことは生きるためのガソリンのようなものです。好きなこと、やりたいことをやっていると、ガソリンがいっぱい注入されて、エネルギーが満タンになります。すると人生が上手く行きやすくなります。「何か」が応援してくれるからです。
浜ちゃんを見てるとそれがよーくわかりますね。
あなたの好きなこと、やりたいことは何ですか?
こんにちは。とびらです。
ブログアフィリエイトの世界は、好きな事で稼げるほど甘くないとよく言われます。稼げるジャンルを選ばなきゃと。でも、好きでもないジャンルの記事を書くために、好きでもないことを調べ続けるのって楽しいですか?
何のためにやっているのか?
ブログアフィリエイトという仕事は、雇われずに自分のペースで、物理的にも精神的にも自由に働けるのが魅力です。自由さに惹かれて始めたという人は、自分の生き方に疑問を持っている人が多いのでは?
日本の学校では組織の一員として立派に働けるような教育をします。ですから卒業したら会社などに就職して、何かの理由で辞めたとしてもまたどこかに勤めに行く人がほとんどです。
アフィリエイトをしている人は、多かれ少なかれ、これ以外の生き方はないかと探しているんだと思います。会社では「自分のやりたいことができない」、「いやな事も我慢しなきゃならない」、「待遇が悪い」から。そこから抜け出そうと、アフィリエイトを始めたのでは?
でも勇んで始めたアフィリエイトで、稼ぐために好きじゃない事をするとしたら、会社にいる時と同じじゃない?いったい何のためにやっているの?
楽しくないと稼げない
アフィリエイトのジャンルを選ぶ時に、好きなジャンルじゃなくて稼げるジャンルを選ぶのが大事だといいます。でも、
「何を書いたらいいかわからない」
「ネタを探せば探すほど迷ってしまう」
「書けない自分が辛い」
と思っているなら違うことをしているサインです。記事を3か月も書き続けてまだ違和感があるなら方向を見直す必要があります。なぜなら、やっててワクワクしなければ楽しくないだけじゃなく、稼げないからです。
なぜ稼げないかというと、楽しくないと創造的になれないから。あなたのブログにあなたならではのアイデアやサービス、文章がないと、読者さんはあなたから買いたいと思えないのです。
でも「好きなジャンルじゃなかったけど、稼げるジャンルで成功した」と言っているアフィリエイターさんもいます。あの方たちは好きじゃなかったかもしれないけど楽しめているのです。
「お金を生みだすビジネス自体が楽しい」
「好きじゃないジャンルでも、記事を書くことを楽しめる」
「始めてみたら好きになってきた」
と、ワクワクしながらやっているので、記事もどんどん書けて、結果として稼げるようになったのです。
ワクワクすることをネタにする
ネタ探しをしていてもワクワクしないなら、ワクワクすることをネタにしてみましょう。読んでワクワクした本のレビューでもいいし、映画のレビューでもいい。それが稼げるジャンルじゃなくても、全然アフィリエイトにならない記事でもいいのです。
ワクワクする気持ちは、創造性の源である無意識につながるためのガイドのようなものです。ワクワクに向かって進めば新しいアイデアや書きたいことがどんどん湧き上がってきます。それらはあなたを、進むべき方向に導いてくれます。
「ワクワクする記事書いても、お金にはならないでしょ」こんな声が聞こえます。
じゃあ全然楽しくない気持ちで、何かをアフィリエイトする記事を書いたらお金になるのでしょうか?自分が書いていて楽しくない記事を、誰かが楽しんでくれるのでしょうか?
人はワクワクして何かをしていると、豊かさの源泉にたどり着きます。だから難しく考えずにただワクワクするものを書いていけばいいのです。せっかくこの世に生まれてきたんだから楽しまなくちゃ。
ネットの可能性
ネットは、創造性に溢れたユーチューバーやシンガー、インスタグラマー、ブロガーなどを日々生み出しています。彼らの共通点は、やりたくてたまらないことを楽しんでやっていること。
ネットは、以前では想像もできなかったほど私たちの可能性を広げてくれました。資本金も伝手もコネもない普通の人が、超簡単に世界中に発信できるようになったんですから。それを知っているからブログを始めたのではないですか?
まとめ
あなたがブログアフィリエイトで稼ぎたいと思っているなら、逆説的ですが、まずその気持ちを捨ててください。そして、稼げなくてもあなたがワクワクできるものを書いてください。あなたの中に眠っている創造性は、ワクワクによって呼び覚まされるのを待っています。
こんにちは。とびらです。
生田斗真主演の「予告犯」を観ました。2015年公開の映画なのでDVDでの鑑賞です。この記事では映画の核心に触れているため、謎を推測できてしまいますのでご承知おきを。
映画のテーマ「小さくても、人のために人は動く」について考えてみました。
思いに人は動かされる
「予告犯」は、ネット動画上で犯行を予告し実行する通称「シンブンシ」の物語。法律には触れないけれど人を騙したり、人としてのの尊厳を踏みにじる者たちを制裁する彼らに、世間は注目するようになります。彼らは自らも自分の尊厳を守れず、一般社会からドロップアウトした若者達でした。
彼らが動画投稿を始めたのは、一緒に働いていた一人の少年が亡くなったことが引き金でしたが、行動の源になったのは、彼らの鬱屈した心をほぐした少年の思いでした。
自分を突き動かす思い
少年はフィリピンから腎臓を売るという大きな犠牲を払って、日本に来ていました。何が彼をそこまでさせたのか。それは「お父さんによく来たねといってもらいたい」という思いでした。映画の中で少年は無垢な存在として描かれていました。好奇心が旺盛で疑うことを知らない幼い子供のまま成長した少年。
少年が父に会いたいと強く願うことができたのは、計算や恐れがなかったから。父に会って得られる何かとそのために払う代償を比べるとか、父が自分に会って喜ばないかもしれないとか。少年の中の無垢なものは、人間が誰でも心の奥底に持っていて自分らしさを思い出させてくれるものです。
それが周りの人たちを動かしたのです。
わかりやすいほうがいい
人は自分の本当の望みに気付いてない事が多いですよね。辛い境遇にあれば、自分を捨てたお父さんのせいにして恨んで「会いたくない」「仕返ししよう」と思ってしまうことが多いでしょう。積年の恨みが凝り固まって、心の底では「会って自分を認めてもらいたい」と思っていても気付けません。
少年はそれを軽々と越えてしまうんですね。少年の言う「僕は頭が悪いから、難しいことは考えられない」ことで越えられるなら、ある意味最上の方法なんじゃないでしょうか。バカになって難しい事は考えないことが。
人に伝える
シンブンシ達と少年が夢を語り合うシーンがあります。そこで語られた少年の夢「お父さんに会いたい」はシンブンシたちが引き継ぎ、動画配信で世間の注目を集めたことで、少年がもう亡くなってしまっても叶いました。
主人公も自分の夢を語った時、自分が何を望んでいるのか明確になりました。だから少年が死んだ時やりたいことが頭に浮かんできたのです。彼の夢も少年の夢を叶えることで叶いました。誰かに伝えたあの時、夢が実現への一歩を踏み出したのです。
その他のみどころ
動画配信によるサイバーテロがこの映画の表舞台ですが、全編を通して描かれるのは人間同士が心でつながるという超アナログな世界。警察とのサイバー戦争を期待して観た人もいい意味で裏切られるはずです。主人公のゲイツの在り方も、演じる斗真君もめちゃかっこいい映画です。
戸田恵梨香演じる警察のエリートが、次第に主人公と心を通わせていくのも見どころなのですが、斗真君の抑えた演技が光っていただけに、彼女の軽すぎる演技はかなり残念でした。もう少し釣り合いの取れるキャスティングはなかったのか!
まとめ
「小さくても、人のために人は動く」の「小さくても」は小さくなんかない、時には自分の存在よりも大きいこともあります。自分の中にも無垢なものがあるか、何の計算も恐れもなくやりたいことに向き合っているのか、考えるきっかけになる映画だと思います。
こんにちは、とびらです。
ブログは個性的であればあるほど読まれると言われますが、あなたは自分の個性を出せていますか?
1どう思われてるか考えるのをやめてみる。
「みんな一緒」という刷り込み
個性が大事だ!と最近の学校では言っているけど、ちょっとでも人と違うことをすると「みんな一緒」を求められるのが日本の社会。子供の時はやりたいことをやっていても、学校でも会社でも周囲から同調圧力を受けつづけて、次第に自分の意見を押し殺すようになります。建前では同調し、本音では不満が渦巻いて…息苦しいぞ(;´・ω・)
だから急に個性を発揮していいよと言われても、自分の意見は言っちゃいけないという長年の刷り込みが強すぎて、恐ろしくて言えません。でも怖がっていることは悪い事じゃない。日本の教育を受けてきたなら当たり前ですよね。怖さの正体は周囲の目、世間です。それがわかると、世間に好かれることと、自分から好かれることのどちらが大事なのか、選ぶことができます。
私は実家の食品店を手伝っている時、姉達の経営方針に納得がいきませんでした。利幅のないセールを年に何回もやって薄利多売を推進することが、自分たちの首を絞めているとしか思えなかったのです。少ない利益でたくさんの商品をさばくのですから、少ない給料で超過勤務を余儀なくされることになります。
私はそんな働き方は好きになれず、もう少し楽に働こうと提案しました。姉たちはセールをしないと店が潰れちゃうというばかりで、他の方法を考えようとしません。私は自分の仕事を、ひいては自分を安売りしているように感じました。でも、そんなこと考える自分が「子供」で「わがまま」なんだから「大人」になって「我慢」すればいいとあきらめていました。
2自分のわがままを許す
でもやっぱり我慢はそんなに長く続きません。結局やめてしまいました。今思うと自分にはもっとふさわしい場所、仕事があるという思いが、「わがまま」で「子供」だという世間の考えに打ち勝ってしまったんですね。私は安売りしなきゃならないような価値の人間じゃない、自分だけにしかない価値を発見したい、それはお金になるはずだっていう全く根拠のない思い(;´∀`)
でも自分の思いに耳を傾けたことおかげで、収入はなくなったけど、自分を低価値だと感じることがなくなり、心がワクワクするブログを始めることができました。目立たないように嫌われないように、自分の好きなこと、やりたいことを我慢し続けてきたんだなって思うと、頑張ってた自分を褒めてやりたくなります。自分の「やりたいこと」を追求できることに毎日感謝しています。
思いは個性
どんな理由にせよブログをやっている人は、強い思いがあって始めていますよね。無料ブログだったとしても、ブログを始めるまでは時間も手間もかかり、それをやってきたんですから。その強い思いがあなたの個性だということです。それを外に出しましょう。あなたがそれをブログに書けば、同じように思っている人が共感してくれます。共感しない人は読者にならなくていいんですよ。
だって世間一般からはみ出した少数派の意見なんだから、共感する人も少数派に決まってるじゃないですか。でも共感してくれる人が一人でもいればその人はすっごく濃い読者さんなんです。だからあなたの思いを出せば出すほど、あなたに共感してくれる濃い読者さんを引き寄せることができるんです。強い思いこそがブログでは価値があるんです。
3ブログで言いたいことを書けば個性は磨かれる
誰にでも書けることでなく、あなたにしか書けないことは、あなたの「わがまま」から生まれます。生きていれば必ず学校や職場、地域社会のルールやみんながいいと言っているものの中に、違和感を感じることがあるはずです。そういう違和感を自分のわがままとか、人間的に未熟だから感じるものとしてなかったことにしていませんか?私はしていました。でもこの世界ではどんどん感じてどんどん開放したほうがいいのです。
今までずっと封印してきたので、最初は開放するのが恐ろしいです。何か書こうとしてもすぐ一般論になってしまいます。でもその怖さと戦いながらブログを書きましょう。何かに違和感を感じている自分の思いをへたでもいいから書きましょう。書けば書くほど、あなたの個性は磨かれて、自由になります。
オマケ 書くことで誰かを助け、自分も助けられる
私は、仕事をやめて人生を模索している時、たくさんのブログに救われました。多くのブログが、それまで私が生きていた世界では知ることができなかった、ものすごくたくさんのことを教えてくれました。ブログは少数の人が求めている少数の答えがある所。世間の常識からはみ出た私は、本屋さんでは自分に必要な情報は得られなかったのです。
あるブログからは経験値に基づいた知識をもらうし、あるブログからは勇気やアイデアをもらいます。これやっちゃだめだよねっていうことを教えてくれるブログもあります。だから私は、自分が持っている小さな知識でも、誰かが探していることの答えになることがあると思うのです。
それに書くことで自分自身も救われます。心の中にもやもやとしたものが霧のようにかかっている時、それを言葉にすることで考えが整理されて腑に落ちるというか、もやもやが晴れるということがよくあります。書いているうちに自分が考えてもいなかったことが紡ぎだされたり、自分の知らなかった一面を知るようになることもあるんです。
まとめ
自分の思いに耳を傾け、わがままになるのを許し、自分を表現することで、あなたのブログは徐々に個性的になっていきます。あなたの思い(個性)は強ければ強いほど、必要としている人に届くというのを忘れずに!