毎日自分に言い聞かせていること!
・お得な物じゃなくて一番欲しいものを買う
・できる事じゃなくて好きなことをする
・先を考えて慎重になるより、心が動いた時に行動する
・自分一人でがんばらず、誰かにたすけてもらう
・人の目を気にせず、自分の目を気にする
人生を楽しもう!
毎日自分に言い聞かせていること!
・お得な物じゃなくて一番欲しいものを買う
・できる事じゃなくて好きなことをする
・先を考えて慎重になるより、心が動いた時に行動する
・自分一人でがんばらず、誰かにたすけてもらう
・人の目を気にせず、自分の目を気にする
人生を楽しもう!
こんにちは。とびらです。
もしあなたが「好きなことを仕事にしたい」と思っているなら、その好きなものが何か決まっていなくても、ブログやフェイスブックなどで発信を始めてみるのをおすすめします。
書くことは想像以上にあなたの考えをまとめてくれるからです。
なぜ書くことがいいのでしょうか?
ブログには好きだったり楽しかったり嫌だったことなど、自分の心が動いたことを書きくことが多いですよね。それを文章にするためには状況や感情を描写しなくてはならなりません。
感情のうずに飲み込まれていれば書けないので冷静になれるし、自分を離れて客観的に見ることができるようになります。
客観的に見られるようになると、自分がどういう人間なのかわかってくるのです。
「好きなことを仕事にしたい」と意気込んでも、始めの頃は漠然と「もっと自分を表現して生きていきたいな」、「自分の才能を生かして生きたいな」と思っているだけで、方向性も伝えたい内容もぼんやりしていることがほとんどです。
でも発信するとなれば、そのぼんやりしたものを言語化しなきゃなりません。頭の中にある抽象的なものを言葉にするには、自分は何が得意で、何が好きで、何が嫌いなのかを知らないとできないもの。
文を書いてそれを何度も何度も積み重ねるとだんだんぼんやりしたものが明確になってきます。
人って、心の中で思っていたり、感じていることを、外の世界に現実化することができる不思議な動物です。
心では感じているけど自覚はできていない場合、気付かせるために「出来事」や「人」が現れます。例えば好きなことをやるのを我慢して働いていると、我慢ばかりしている人が周りに現れて、「もっとやりたいことやりなよ~」ってイライラしちゃったり。
それによって、その言葉自体が自分へのメッセージだって気付いたり、自分の考えより人の目を優先している自分に気付けたりするのですが、忙しい日常にかき消されて気付けず、延々とイライラしてしまうこともあります。
でも書くことで、心の中のものを明確にできれば、メッセージも必要なくなります。やりたいことが明確になればなるほど、実現しやすくなるのはそのためです。
毎日ブログを書きはじめると、本当に好きなことじゃないことは、書き続けることができなくなります。続けるうちに苦しくなってきてしまうのです。
これが好きだ!と思っていることが苦しくて続かなくなって、ちょっと好きかな?っていうようなものが、楽しく書き続けられたりするのです。だからとても簡単に見分けられるのですが、それも続けてみなければわかりません。
書くことは自分は何を考え、どう認識しているか探すのにちょうどいい手段です。それがわかれば、漠然とした「好きなこと」を明確にすることができて、明確になれば「好きなこと」が実現できます。
私もブログを書くことで日々新しい自分を発見しています。まるで宝探しのようです。
あなたも自分の中の宝を探してみませんか?
あなたは仕事は仕事であって遊びじゃいけないと言われてきませんでしたか?本当にやりたいこと、例えば歌うことや、旅すること、ダンスすること、絵を描くことなどは特別な才能がなければ趣味にしといた方がいいって。
要は、「お金は安心の源だから、衣食住に必要なお金は、楽しくてリスキーな仕事ではなく、つまらなくて堅実な仕事で得るべきだ」ってこと。
この考えって今の日本では常識ですよね。だからあなたがこう思っていても全く自然なことです。
でもこの考えだとお金と好きなことはどんどん離れて行ってしまいます。
お金は単なるツールです。貨幣の原点は物々交換。もらうものへの感謝の印として、自分が作った野菜や狩ってきた肉を渡していたんですよね。つまりお金の本質は感謝なんです。
「月給はこれだけ出すからこの仕事をしてね」という契約で働いていると、給料をもらうのも仕事するのも義務のように感じちゃいますよね。私もガッツリそう感じていました。
でもお金が感謝を表現するツールだと考えると、お金が動く度に感謝できて豊かな気持ちになると思いませんか?
そしてもしあなたが好きなことでリッチ(豊か)になりたいと思うなら、この考えはものすごく重要なんです。
なぜかというと、人は好きなことをやっていると、超簡単に豊かで幸せな気持ちになれるからです。人間の脳は今感じていることをちょっと先の未来に実現させるという能力があります。だから幸せで豊かな気持ちは、近々の未来に幸せと豊かさを出現させます。
その時、もしあなたがお金を「諸悪の根源」とか「卑しいもの」と思っているとしましょう。すると脳は「お金は豊かじゃない物」と判断して実現させないのです。せっかく好きなことをして幸せになっても、食べていけなければ続けられません。
逆に言うと「お金は感謝を表現するツール」という考えをインストールすれば、好きなことをすればするほど、幸せになればなるほど自動的にリッチになってしまうのです。魔法みたいじゃないですか?サイコーです(^^♪
現実には、好きじゃない事で稼いでいる人もたくさんいるでしょうけど、私なら一度きりの人生なんだから、好きなことでリッチになりたいなーと思います。
あなたはどっちがいいですか?
悩み相談を受けたり、新聞の人生相談を読んだりした時によく聞くフレーズに「私は間違ってるんでしょうか?」というのがあります。
例えば先日読んだ人生相談。
30代の看護師女性。同僚とのトラブルで悩んでいます。彼女は話し上手で冗談もうまく、話していると楽しい人です。すぐに友達になり、プライベートでも会うほど気の合う仲になりました。ところが最近、私を無視するようになったのです。
「何か悪いことをしたなら謝るよ」と理由を尋ねても「別に怒ってないから」と答えてくれません。でも明らかに怒っているようです。嫉妬深いところがあるので、患者さんと楽しく接する私に嫉妬しているのかもしれません。
彼女は今の職場に長く勤めていてドン的な存在なので、彼女が無視する私には他の人も声をかけてこなくなり、孤立している状態です。自分が無視すれば周囲が追従するのを承知でやっているんだと思います。
小学生のイジメと同じようなことをする、精神年齢が幼い彼女が許せません。パワハラとして上司に訴えようと思うのですが、私は間違っているでしょうか?
こんな風に誰かに同意を求めたい時ってありますよね。私にもよくあります。私の場合は、判断基準を自分の外に置いている時、自分のしていることがあってるかどうか確認したくなります。
自分にどうしたい?と聞いてあげていればこの言葉は出てこないんですよね。
この場合は辛い状況ですが、やはり自分にどうしたいか聞いてみるのが一番ではないでしょうか。
人によって色んな答えがあると思います。例えば…
①あんなに気の合う友達はいなかった。もとに戻れるなら仲直りしたい。
②今までこんなことがあると、いつも我慢して怒りを表に出さずにいたけど、もう泣き寝入りはしたくない。
③彼女の許せないところは自分の許せないところかもしれない。彼女を許して自分も成長したい。
などでしょうか。
質問者さんのしたいことが②なら上司に訴えるのは適切な手段ですが、もし①だったらどうでしょう。きっと逆効果ですよね。彼女のいい所をもっともっと探して、大好きオーラを放つことが大事かもしれません。
したいことが③だったとしたら、嫉妬がキーフレーズかもしれません。自分の嫉妬深さを許そうねっていう天のサインなのでしょう。嫉妬ぶかくてもまあいいかと思えるようになれば、自然に仲直りしたり、職場が移動になったりして問題が解決するでしょう。
「私は間違ってるでしょうか?」以外にもこんな他人軸の言葉があります。
やってみたい時に「やってもいいの?」と許可を求めたい。
迷った時に「どうしよう?」と誰かに聞きたい。
やりたくない事でも「普通はやるもんだよね」と自分を納得させる。
この言葉はどれにも「自分の意志」が入っていません。この言葉を多用している人は、迷った時誰かに決めてもらっているということです。だからこの言葉を使っていると自分で人生を変えられない。いつも誰かに振り回される人生になります。
いつも自分がどうしたいか考えましょう。迷った時、誰かに聞く、常識に照らし合わせる、グーグルで検索するのはやめましょう。そして使う言葉を変えましょう。
「私は間違ってるだろうか?」「やってもいいの?」⇒「やりたいならやる」
「どうしよう?」⇒「どうしたい?」
「普通はやるもんだよね」⇒「やりたくないならやらない」
この自分軸の言葉を使い始めると、人生は自分で切り開いていくものになってきます。自分の人生を自分で変えていけるというワクワクが、胸の奥から湧き上がってきます。
自分軸の言葉を使い、常に自分がどうしたいか聞いていると、好きなことも見つけやすくなります。
「好きなことの見つけ方」まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。「好きなことの見つけ方」ステップ1
まだまだ私も発展途上です。一緒に好きなことを見つけてサイコーに楽しい人生を送りましょう!
「レディ・プレイヤー1」は巨匠スピルバーグが監督したSF映画。スピルバーグはこの映画で、運命の小さなささやきが、誰かをジェットコースターのように日の当たる場所へ連れていく様子を描きたかったんじゃないかな。かつての自分のように。
物語は、2045年の荒廃した未来世界が舞台だ。人々はその現実から逃れ、バーチャルリアリティーの世界「オアシス」に浸っている。そこではゲームをするだけでなく、仕事をしたり、学校へ行くという、食事や排せつ以外のほとんどを行えるようになっている。
その「オアシス」の持ち主が、死に際にゲームを仕掛けた。勝てば彼の総額56兆円もの遺産と「オアシス」の運営権を手に入れることができるというゲームだ。世界中の人が争奪戦をスタートさせた。
主人公のウエイドは、ぱっとしない現実から逃げ込むように、VRの世界にハマっている若者の一人。ゲームが好きでハマっている人は大勢いる。ウエイドはその他大勢とどこが違うのか?それはウエイドが好きを極めたオタクだってことだ。
ゲーム好きのウエイドは「オアシス」の創始者のジェームス・ハリデーに関する知識も半端ない。ハリデーが何を考え、何を求めていたのか。ハリデーの意図を読むのにその膨大な知識が役に立ったのだ。
ハリデーの言葉を何度も頭の中で繰り返していたウエイド。だからこそ、さらなるヒントを求めて出かけたハリデー年鑑で、運命の小さなささやき「後ろに動いてみればいいのに」をキャッチできたのだ。
そのヒントで最初のミッションをクリアしたのち、次のミッションをクリアできたのもささやきのおかげだった。
彼はその時、アルテミスという美人アバターに恋をしていた。仮想世界の中で思いを告げるウエイドに、アルテミスは「あなたは現実を生きていない。そんな男は願い下げ」とにべもない。
運命に導かれて現実世界でも二人は出会う。顔にあざをもったリアルのアルテミスを見て、ウエイドは自分の愛が変わらない事を告げる。心を揺さぶられるアルテミス。
恋の始まりは恐れに満ちている。キスしたい、でも拒否られるかも…。そんな二人の心の揺らぎが運命のささやきだった。
ハリデーには、昔恋をした女性にキスできなかったという後悔があった。生涯ひとり身で寂しかったハリデー。恐れを超えて人とつながることの大切さがわかる人をオアシスを運営する後継者にするべく、ヒントを仕込んでいたのだ。
そのささやきをキャッチしたのはアルテミス。好きを突き進むウエイドに、周囲の助けがどんどん集まるようになってくるのだった。協力しあう仲間たちができて、ウエイドはどんどん楽しく、どんどん強くなっていく。
様々な敵の妨害に会いながらも、苦労の末ウエイドが最後のミッションもクリアすると、今までアバターとして登場していたハリデーが、本当の姿を表す。同時に子供時代のハリデー、その当時の部屋の映像が現れた。
ゲームに熱中する子供のハリデー。日の当たる場所にいなかった頃のハリデー。純粋に好きなことをしていた子供時代の映像を見せる。
そこでウエイドが、イースターエッグ(遺産とオアシスの運営権)を手に入れる。それは「好き」なことをしていれば宝物を手に入れることができることを暗示している。
スピルバーグが映画監督になったのは偶然の結果だったと、スピーチで言っていたのをネットで見たことがある。彼は初めて見た映画の列車事故のシーンが忘れられなくて、それを再現したくておもちゃの電車で遊んでいたという。
本当にぶつけて壊したいけど、おもちゃがなくなったらもう遊べない。その時、「列車同士をぶつけて壊すところをカメラで撮影すれば、繰り返し何度も楽しめる」と思いついたという。そして初めてムービーを撮った。それが映画監督の始まりだったと。
「目の前にある好きなことを続けることが、あなたを日の当たる場所へ、あなたの行きたい場所へ、連れて行ってくれる。」
オタクは、周囲の目を気にせずに好きなことを楽しんでいる。この映画は、そんなオタクたちへの賛歌。スピルバーグは自分もそうだったし、それでいいと伝えたいんだと私は受け取ったよ。
「好きを楽しむ」だけでいいなら、今すぐから始めよう!
小学生の頃、伝記が好きで、図書室にあった偉人伝記シリーズは端から全部読んだ。エジソン、ベンジャミン・フランクリン、キュリー夫人、西郷隆盛、ベートーベン、二宮金次郎、ヘレンケラー…。
今ならどんな偉人が並んでいるんだろう?その当時(40年も前だ)のスタンダードな偉人達は、とにかく立派な人達だった。貧しさやいじめ、病気などの様々な困難を不屈の努力で克服していた。
小学生の私は、そんな立派な人に憧れていたが、実際は極貧ってわけじゃなかったし、いじめにもあってなかったし、健康で、しかも致命的なことに、ベートーベンみたいに耳が聞こえなくなってもやりたいようなことがなかった。
何かを犠牲にしてもやりたいこと、しかも世の中のためになることじゃなきゃだめなんだ。小学校の図書室でそれをインプットしたせいか、その後好きなことができても、職業にするには今一つ「好き」が足りない気がした。
例えば作文、絵を描くこと、服を作ること、料理を作ること、英語。どれも好きだけど様々な困難なんて乗り越えられそうにない。とりあえず食べていくために働かなきゃ。
私にはどうしてもやりたいことなんてないんだ。強い意志のない心の弱い私には、好きなことを職業にするなんてとうてい縁がないんだ。
ゲームのレベルでいったらきっと2くらいだ。ベートーベンは8、西郷隆盛は10といったところか。レベルが2だと、一番簡単な第一ステージのボスキャラにさえ勝てないだろう。西郷隆盛なら軽くクリアだ。
そんな私は、でも今50歳になって好きなことをしている。大好きな読書と作文、時々映画。あとどのくらい生きられるかわからないからという消極的な理由で。
毎日本を読んでブログを書いている。時々人の文章と比べて恥ずかしくて死にたくなったり、絶望したりする。でも書くことで新しい自分を発見したり、思ってもいなかったことが文章になって出てきたりすると楽しい。
自分の中を探検しているような感じ。新しい視点を通して世界を探検している感じ。
きっと、好きなことをやっている人は毎日が冒険なんだろう。どこへ向かうのか先が全く見えない、ワクワクするようなアドベンチャー。
たまたますごーく世の中のためになった人が偉人と呼ばれ、そうでもない人もきっといて、でも偉人じゃなくてもその人たちは十分幸せなんだろうな。
今でいったらユーチューバーとかも楽しそうだもん。観てる私も楽しいんだから世の中の役にたってるしね。彼らはどのくらいのレベルなんだろう?聞いてみたい。
私「ユーチューバーとして活動するきっかけって何ですか?やはり強い気持ちがあったんですよね?」
ユーチューバー「普通に毎日やってることを動画にアップしてるだけなんで、特に何の気持ちもなかったですよ。」
こんな風に言われそうだ。レベルは0?あああ、もっと早く始めてればよかったな。
こんにちは。とびらです。
深夜23:00、照明を落としたリビング。娘はアイフォンで音楽を聞きながら、息子はマッサージチェアで足をもみほぐしながら、私はシングルソファにねころびながら、三人で一心不乱に読んでいるのは漫画です。そう、我が家は漫画大好き家族なんです。(夫以外)
今日は息子の中間試験が終わった日。お疲れさん会みたいな名目でTUTAYAに繰り出し、漫画をレンタルしてきたのです。
読み切れないほどレンタルするのが常なので、いつも深夜まで起きていることになってしまう。だって途中でやめることができないんだもの。瞼が開かなくなるまで読んでしまう。
しかも今日は大ヒットがあったのだ。息子が「お母さんハマるよ」と教えてくれたジャズ漫画「ブルージャイアント」。息子の予告通りジャストでハマってしまった。
高校生の主人公、大は、ジャズ好きの友人に連れられてジャズバーに行く。そこで大は雷に打たれたようにジャズに打たれてしまう。ジャズが好きというだけで、音楽の「お」の字も知らない彼が、楽器を手に入れ、楽譜を手に入れ、師を得ていく。
大のまっすぐで無垢な目を通して「好き」ってスゴイぞ、いったい何なんだろう?「好き」に正直に生きるとどうなるんだろう?を一緒に体験する漫画なんだなあ。
あー、いいなあ、漫画っておもしろいなあ。しかもこの手の漫画は私にとってはすごくヤバい。汚れた茶碗も積み上げたままで、明日の弁当の準備もしないで、お風呂にも入らず3回目を読んでる。
人間って好きなことってやめようとしてもやめられないんだな。
しかも好きなことやってる時って、これがお金になったらとか、仕事になったらとか全然考えてない。やっべー、おもしろいぜってそれだけ。ああなんて純粋なの。
でもふと我に返ると
「好きなことを仕事にしてる50歳主婦✨」になりたくてたまらない私は、大好きな漫画を読むことでどうしたらお金が稼げるか、ガッツリ考えてました。
うん、うん、ガツガツしてるな、私!
大のように純粋になりたいぞー!
こんにちは。とびらです。
高2の息子は部活でテニスをやっているのですが、いつもこんな風に言っています。「練習しなきゃ勝てないのはわかってるけど怠けてしまう。こんな自分が勝てないのは当然だ。」
なぜ人は、好きで始めたはずのことを頑張れなくなってしまうのでしょう?
まず、毎日が忙しい。朝から晩までやることが分刻み。勉強、練習、SNS、ゲーム。ご飯を食べる時間も動画を見るのに忙しい。目の前にやらなければならないことが山積みです。
しかも与えられるものが多いので、自分の創造性や独自の考えが湧き出る時がありません。創造性から作り出される自分らしさも生まれにくいし、持っていても、使う時がないと磨かれません。
忙しいと、目の前のやらなければならない事を意識するばかりで、自分にとって大切なものに意識をむけることができません。だから休むことがすっごく大事です。
休みをしっかりとって、自分にとって大切なことを自分に与えてあげましょう。自分がご機嫌になれることです。
一日中大好きなことをするのを許してあげたり、ずっと欲しかったものを買ってあげたり、誰かにして欲しかったことをお願いするのを許したり。
「自分がご機嫌になることを与えてあげる」という事は、あなたにやる気や、創造性、自信を与えてくれます。自分が自分に愛されていると感じることができると、人はすごく満たされます。
満たされて自信がある時、自分の創造性や独自の考えが浮かんできます。それを使ってワクワクしましょう。自分の創造性を自分が応援できるというのは、100万人が味方に付くよりずっと心強いものです。
人は目の前の困難に対して、自分で何とかしなきゃと考えます。何かをしなければ困難が解決するはずがないと。疲れていると余計にそう思います。周りに目を向ければ違うものが見えるかもしれない、違う解決法がみつかるかもしれないのに。
しっかり休んで自分の創造性を信じられるようになれば、やりたいことがより明確になっているはず。あとは天に任せることです。
練習ができない自分でもいいじゃない。試合に勝てなくてもいいじゃない。テニスをやりたければやればいいじゃない。自分が今やりたいことをやればいい。それがテニスじゃなかったとさえしても、やりたいことをやる方がいい。やりたいことをやって楽しくしていれば物事はいい方にしか進みません。
忙しくインプットだけをしていると、自分らしさから切り離されて、楽しさを失くしてしまいます。そんな時はしっかりと休んで、自分にとって大切な物を自分に与えてあげると、自分らしさを取り戻せます。
自分らしさや自信を取り戻したとき、やりたいことも取り戻しているはずです。
こんにちは。とびらです。
周りのすべてが私の邪魔をしているように感じる時があります。「何もかも思い通りにならない。子供はゲームばかりやって頭も良くないし、運動もダメ。パワハラで仕事を辞めさせられた。ブログで収入なんて得られない。」
そんな時は自然な状態でない時です。人は自然な状態にある時、同じ物事でも全く違うように見えます。
「子供は、楽しむことと常識に折り合いをつけようと世界一がんばっている。パワハラをした人は怖がる私を、今まで行ったことのない外の世界に連れ出してくれた。ブログは私の本当に欲しいものに気付かせてくれる。」
あるべき自然な状態とは、喜びにあふれ、ワクワクしている状態。その状態に戻るとすべての物事が輝いて見えるので「思い通りにならない」と思うことがなくなります。どうやったら自然な状態に戻れるのか知りたくありませんか?
自然な状態とはどんなものか、気付いていない人は多いものです。子供の頃は誰でも、朝になれば跳ね起きて、今日は何をして遊ぼうかワクワクしながら考えていました。大人になるとワクワクしないのが当たり前だと思っている人が何て多いことか!
学校や世間の常識に耳を傾け、可能性の扉を閉じてしまったのは他ならぬ自分自身なのですが、あまりにも多くの人がそうしているので、そのことに気付くことができないことが多いのです。
でも太陽が、存在を知らない人にもエネルギーを降り注ぐのと同じように、無意識の力も、気付いていない人にも惜しみなく、今も降り注いでいます。その無意識とつながっているのが、自然な状態です。
無意識とつながるにはどうすればいいのか?それはもう簡単すぎるくらい簡単です。ただ「ある」と気づくだけでいいのです。努力も、お祈りも、瞑想も全く必要ありません。簡単すぎて本気にできないかもしれませんが本当です。
自分には何でも「ある」と気づくこと。「ある」と気づいたとき、感謝の気持ちが湧き上がってきて心が暖かくなります。それが無意識とつながったサインです。
無意識とつながれても、油断してはいけません。あなたの頭の中には最大の敵がいるからです。その敵はあなたを四六時中責めるでしょう。
「そんな簡単に全てが思い通りになるなんてことあるわけないでしょ。そんな考え信じてバカじゃない?」「努力するのは人間の義務でしょう?」「自分の好きなことだけしていいなんて自分勝手なこと許されるわけないじゃない。」「どうやって食べていくつもり?」「だからあんたってダメなのよね。」
この頭の中の声は、あなたの声ではありません。あなたが小さいころに住み着いた寄生虫のようなものなのです。これはネガティブな考えを餌に増殖する虫で、ネガティブに考えれば考えるほど数が増えて、無意識のサインを見えなくしてしまいます。
でもこの虫は感謝という考えが大嫌い。心を感謝で満たすと急速に数を減らします。でもなかなか全滅させるのは難しい虫です。「増殖したら感謝で減らす」これを繰り返すしかありません。
世間や学校で植え付けられた様々な常識は、あなたの思い込みとなってあなたの行動を縛っています。
「頭が良ければ得をする、だから勉強するべき。」「お金がなければ生きていけない」「普通の人は好きなことでは食べていけない」「目に見えるものがすべてだ」
人間の脳は考えているものを現実にする力があります。車も、PCも、アイフォンも、誰かのアイデアが形になったものですよね?だからあなたが常識を信じていれば、あなたはその常識の外には決して出られないのです。
もしあなたが常識から自由になりたいと思うなら、常識を無視すればいいのです。
自然な状態に戻るためにしなければならないことは、何一つありません。頭の中の声や常識を無視して、自分は何でも「ある」と気づくだけです。
こんにちは。とびらです。
ブログアフィリエイトの世界は、好きな事で稼げるほど甘くないとよく言われます。稼げるジャンルを選ばなきゃと。でも、好きでもないジャンルの記事を書くために、好きでもないことを調べ続けるのって楽しいですか?
ブログアフィリエイトという仕事は、雇われずに自分のペースで、物理的にも精神的にも自由に働けるのが魅力です。自由さに惹かれて始めたという人は、自分の生き方に疑問を持っている人が多いのでは?
日本の学校では組織の一員として立派に働けるような教育をします。ですから卒業したら会社などに就職して、何かの理由で辞めたとしてもまたどこかに勤めに行く人がほとんどです。
アフィリエイトをしている人は、多かれ少なかれ、これ以外の生き方はないかと探しているんだと思います。会社では「自分のやりたいことができない」、「いやな事も我慢しなきゃならない」、「待遇が悪い」から。そこから抜け出そうと、アフィリエイトを始めたのでは?
でも勇んで始めたアフィリエイトで、稼ぐために好きじゃない事をするとしたら、会社にいる時と同じじゃない?いったい何のためにやっているの?
アフィリエイトのジャンルを選ぶ時に、好きなジャンルじゃなくて稼げるジャンルを選ぶのが大事だといいます。でも、
「何を書いたらいいかわからない」
「ネタを探せば探すほど迷ってしまう」
「書けない自分が辛い」
と思っているなら違うことをしているサインです。記事を3か月も書き続けてまだ違和感があるなら方向を見直す必要があります。なぜなら、やっててワクワクしなければ楽しくないだけじゃなく、稼げないからです。
なぜ稼げないかというと、楽しくないと創造的になれないから。あなたのブログにあなたならではのアイデアやサービス、文章がないと、読者さんはあなたから買いたいと思えないのです。
でも「好きなジャンルじゃなかったけど、稼げるジャンルで成功した」と言っているアフィリエイターさんもいます。あの方たちは好きじゃなかったかもしれないけど楽しめているのです。
「お金を生みだすビジネス自体が楽しい」
「好きじゃないジャンルでも、記事を書くことを楽しめる」
「始めてみたら好きになってきた」
と、ワクワクしながらやっているので、記事もどんどん書けて、結果として稼げるようになったのです。
ネタ探しをしていてもワクワクしないなら、ワクワクすることをネタにしてみましょう。読んでワクワクした本のレビューでもいいし、映画のレビューでもいい。それが稼げるジャンルじゃなくても、全然アフィリエイトにならない記事でもいいのです。
ワクワクする気持ちは、創造性の源である無意識につながるためのガイドのようなものです。ワクワクに向かって進めば新しいアイデアや書きたいことがどんどん湧き上がってきます。それらはあなたを、進むべき方向に導いてくれます。
「ワクワクする記事書いても、お金にはならないでしょ」こんな声が聞こえます。
じゃあ全然楽しくない気持ちで、何かをアフィリエイトする記事を書いたらお金になるのでしょうか?自分が書いていて楽しくない記事を、誰かが楽しんでくれるのでしょうか?
人はワクワクして何かをしていると、豊かさの源泉にたどり着きます。だから難しく考えずにただワクワクするものを書いていけばいいのです。せっかくこの世に生まれてきたんだから楽しまなくちゃ。
ネットは、創造性に溢れたユーチューバーやシンガー、インスタグラマー、ブロガーなどを日々生み出しています。彼らの共通点は、やりたくてたまらないことを楽しんでやっていること。
ネットは、以前では想像もできなかったほど私たちの可能性を広げてくれました。資本金も伝手もコネもない普通の人が、超簡単に世界中に発信できるようになったんですから。それを知っているからブログを始めたのではないですか?
あなたがブログアフィリエイトで稼ぎたいと思っているなら、逆説的ですが、まずその気持ちを捨ててください。そして、稼げなくてもあなたがワクワクできるものを書いてください。あなたの中に眠っている創造性は、ワクワクによって呼び覚まされるのを待っています。