もし今、あなたの目の前にある仕事が好きじゃないことで、憂鬱な気分でやっているなら、今日シェアする私の体験はお役に立てるかもしれません。
用事で遅くに帰宅したある晩のこと。久しぶりの遠出でぐったりしていた私に娘が言いました。「おかえりー、おじいちゃんが電話かけてきたよ。明日できるだけ早く来いって。」
翌日は父の病院に付き添うことになっていました。自分のことしか見えない父の付き添いは、いつも私にとってすごく憂鬱な仕事です。ただでさえ憂鬱なのにそれを聞いたらうんざりです。
「またワガママばかり言って、ジジイいい加減にしろよ。絶対に早く行ってやらない。」と誓い 眠りについたのです。
ところが翌朝5時半、どこかから大声で喋る声が。ビックリして一体何?と起きて探したら、最近入手した古いルパン三世の喋るフィギィアが、目覚まし機能なんてないのに突然けたたましく喋りだしていたのです。
「かんべんしてよ。あと一時間は寝ていられたのに。」
いつもだったらこう思うのですが、その時は何だかルパンがわざわざ私を起こしたような気がしたのです。
これはもしかして、目の前のことを精いっぱいやれっていうサインなのかな?しょうがない、目も覚めちゃったし、やってみるか。
できることをやることに決めたら、どうせやるなら楽しくてやった方がいいなと。いつもならイヤイヤ行く病院の付き添いですが、今日はジジイの応援をしていい気分にさせてやると心に決めました。
その気持ちで病院に行くと、不思議なことが起こりました。今まで耐えられなかった父のワガママな言動が、なぜか私の感情を逆撫でしなかったのです。
なんでだろう?すごく不思議に思いました。よく考えてみると、イヤな気分でやっている時って、自分に選択権というか、自分の裁量枠がない、つまり自由じゃない感じがして、やらされてる感でますますイヤになります。
楽しくやろうと決めたとたん、自分で物事をコントロールできるという感覚が生まれて、色んな選択肢が浮かんできたのです。すると自由でいい気分になり、心に余裕ができて、どうして父がそんな行動をするのかが見えてきたのです。父も理由があってイラついていたのです。
父の行動の理由が見えたのは、私にとってはじめての経験です。衝撃です。そうか、だから世の中の人はどうせやるなら楽しくやれって言うんですね。50になって初めて知りました。長く生きるといい事があります。
この感覚って、好きじゃないことをやってる時と、好きなことをやってる時の感覚の違いと似ています。嫌だなーと思ってることでも、どうせやるなら楽しくやろうと決めるだけで、好きなことをやっている時と同じいい気分になれるようです。びっくりです。
私の感覚では、いい気分の時のパフォーマンスが10とすると、憂鬱な気分の時のパフォーマンスは3くらいって感じです。こんなに違いがあるとは思いませんでした。しかも心の持ち方で簡単にいい気分になることができるなんて!
もしあなたが憂鬱な気分で仕事をしているなら、あなたは「どうせなら楽しくやる」こともできます。いい気分になり今の3倍以上のパフォーマンスで仕事することもできます。
決めるのはあなたです。
あなたはいい気分で生きていますか?
いつもあなたを応援しています。
近所のスーパーでこんな張り紙を見つけました。
いいの?何だかこっちがうれしくなっちゃう。魚の調理は正直手がかかるから、はらわたをとってもらったり、柵の刺身を切ってもらったらすごくうれしい。でも頼むといい顔しない店が多いからつい遠慮してしまいます。
そんな私たちのニーズをくみ取ってくれて、しかも喜んでやってくれるなんて。ここのお店の人は、お客さんのことを良く知り、お客さんのために何ができるか、いつも考えてるに違いありません。
店頭には、なじみのない魚の調理方法や、今日入荷した魚のおいしさを紹介したポップが所狭しと並んでいます。魚を買う時の私たちの不安をよく知っていて、それを解消してくれます。
こちらは近所のモスバーガー。ハンバーガーチェーン店なので、どこも同じサービスなのかと思っていたのですが、店頭に心温まる看板が。お客様にならないかもしれない、通りを歩く人を癒してくれていました。
このお店の人も、自分にできる精いっぱいのことを、見返りを求めずにやっているんだな。
筋トレやストレッチって、その日の自分の限界まで筋肉を使ったり、筋を伸ばしたりすると、徐々に筋肉の量が増えたり、可動域が広がります。
筋トレと同じように、今日自分のできる限界までやることで、自分のできることが徐々に増えていきます。
自分の精いっぱいできることをやっている人に、周囲の人は感動します。そうするとまたその店で買い物をしたくなり、売り上げが増えるとうれしくてさらに限界に挑戦したくなる。その結果、その人は次のステージへ上がっていくのです。
あなたは目の前のことに全力でぶつかっていますか?
目の前の人のことをよく知っていますか?
今日もあなたを応援しています。
冬になるとスキーに行きたくなります。
その昔「私をスキーに連れてって」という映画が大ヒット。空前のスキーブームが巻き起こったあの時代に青春時代を送った私は、スキーの魅力に憑りつかれ、多い時は一冬30日もスキー場で過ごしていました。
急な斜面を風を切って滑り降りる爽快さ、ゴツゴツしたコブを滑る時に受ける衝撃を膝でうまく吸収できた時の達成感。世の中にこんなにおもしろいものがあるのかと、夢中になりました。冬のスキーのためだけに、春夏秋と一生懸命働いていましたね。
スキーというのは、腰が引けると板がコントロールできず暴走してしまいます。うまく滑るには前傾姿勢を取り、体重を板の前の方にかけなければなりません。
その型を知らない人はうまく滑れないのでおもしろくありません。スキー場でお茶ばかりしている人のほとんどは、型を知らない人達だったに違いありません。
テニスにも同じことが言えます。ボールを思った方向に飛ばすには、ラケットとボールの位置関係が大事で、最初は素振りしたり、球出ししてもらったりして体に覚えさせるものですよね。
息子の少年団時代、たまにコーチの言う事を聞かず、自分のやり方で素振りをする子がいましたが、ボールをコントロールできないので、上手くならないからつまんなくて辞めちゃうっていうパターンが多かったですね。
スポーツには「型」があって、その型にあてはめるとうまく行くようにできています。剣道や柔道にもありますよね。
ある程度型が身についてきて、力加減をコントロールできるようになってはじめて、どんな風に滑ろうかとか、どんな戦略で攻めようかというクリエイティブな領域に行けるものです。
スポーツのようにセオリー化されていませんが、人間関係にも同じことが言えます。テニスの素振りのように、うまくいく型というのがあって、そこに当てはめるとうまく行くようにできています。
でもスポーツクラブのように、人間関係クラブというのはありません。人間関係を学ぶのは家庭です。その家庭のやり方がうまくいく型ならうまくいくし、うまく行かない型だったらうまくいきません。
私の生家はうまくいかない型を採用していました。両親は共に「クレクレ族」だったのでいつも何か足りない。不満だらけでケンカが絶えませんでした。でも他の型があるなんて知らないので、そういうものだと思っていました。
ところが結婚すると、夫の家族は違う型を採用していました。彼らはみんな「ギブギブ族」だったのです。お互いに与え合うのでいつも満足。みんな超仲良しでした。
二つの家庭を経験してみて私は本当に驚きました。こんなに違うものなの?って。人間関係にも「うまくいく型」というのがあることがわかったのです。
でも「うまくいく型」があると知ったのに、それを本採用できたのは20年も経ってからでした。生家で商売をしていたので、結婚してからもずっと手伝っていて、「うまくいかない型」を適用している人達と、夫といるよりずっと長い時間一緒だったからです。
仕事をやめて、「うまくいく型」を適用している人たちと長い時間を過ごすようになって、やっとうまくいくようになりました。
だからもしあなたが、ケンカが絶えない人間関係を持っているなら、あなたは「うまくいかない型」を採用しているということになります。
そしてもし、人間関係を良くしたいと思うなら、「うまくいく型」を採用している人と長い時間を過ごすことです。
そんな人は、「うまくいってる人」の本やブログを四六時中見ることです。今はSNSで、カリスマとも簡単につながれる時代。ラインやメルマガに登録するのもおススメです。
私は本田晃一さんという「うまくいく型」を採用している方のメルマガに登録して、毎日「うまくいく型」を基礎練習しています。
よかったらブログ見に行ってみてくださいね。
本田晃一オフィシャルサイト
人間関係は人生の源です。誰かと暖かい関係が持てると、そこからエネルギーが湧いてきます。ケンカばかりしていたらエネルギーは消耗してしまい、好きなことを探すどころではありません。
「うまくいく型」を身につけてはじめて、自分らしく生きるという、クリエイティブな領域に行くことができるのです。
あなたの人間関係はうまくいっていますか?
誰かを応援していますか?
いつもあなたを応援しています。
こんにちは。とびらです。
最近通い始めた「人間塾」(仮名)でのこと。講師として招かれているのは、とてもパワフルな女性で営業の実績がすごいという方。とにかく元気ハツラツでトークにキレがあります。
冒頭で、彼女はこれまでの人生の紆余曲折を語り、私はぐいぐいと話に引き込まれました。どん底から這い上がった彼女が得たポジティブな考え方や、きっとこんな話術を教えてくれるんだろうと、期待は高まりました。
ところが!自己紹介が終わった彼女は、「私は何も教えません。」と言うのです。「やるのは皆さんですよー。私は場を提供するだけです。絶対嫌いにならないから思い切りやっていいよ。」と。
営業のノウハウを教えるわけでもなく、人脈作りのコツを教えるわけでもなく、彼女の元に集まった人達がワクワクするような活動ができる場を作っているだけ。
主催すらしていません。その塾に参加して楽しんでファンになった人が、次のクールを主催しています。
ほほー、これはホリエモン式のカリスマ塾というものだろうか?
ホリエモンがオンラインでやって話題になったカリスマ塾は、集まった会員に対して自分では教えず、集まった人同士が盛り上がって教え合い、ところどころでホリエモンが口を出すというもの。
会員の提案が面白ければホリエモンが「一緒にやろう」とビジネスを進めて行ったりしたらしい。
私の参加する「人間塾」でも、ビジネスになるかはわからないけど、各々がやりたいことを企画していくのは一緒。
カリスマに影響を受けたメンバー同士が、見守られる安心感の中、一人ではできなかったようなことを企画実行する、こういう形式のサロンや塾って最近増えているらしいです。
カリスマとは、その人の影響を受けたくて人が大勢集まってくる人のこと。
少し前まではカリスマっていうと、大スターや政治家などしかいなかったけれど、インターネットの普及で今や様々なメディアで個人が影響を与えられるようになったのが、こういうサロンが増えている背景にあるようです。
影響を与えるのがカリスマだとすると、内容自体共通するものがあっても、カリスマによってサロンや塾の雰囲気は当然まるで違うものになるでしょうね。
私の塾の場合は、講師の方の持つたぐいまれなるおせっかい精神に周りが感化され、お互いを応援しあう環境が出来上がり、その場自体がまた人を引き寄せる…という循環になっているようです。
皆が集まる場を用意して、やりがいや仕事を考え、さらにそれを応援しあう。
カリスマというのは、そういうストーリーを自然にプロデュースして、さらに人を引き付けるのですね。
今日はこれから「人間塾」です。カリスマのオーラをたっぷり浴びて、感化されてきます(^^♪
白髪染めをやめて2か月がたちました。
白髪が気になりだした40歳から10年ほど染めていたのですが、やめたいと思い始めて半年。やっとやめられました。関連記事はこちら⇒ありのままへの道⇒白髪染めをやめました。
私の白髪は顔回りが多め。生え際から白くなってきます。以前はヘナで染めていました。ヘナは時間が経つとインディゴという黒く染める色素が退色し、赤みだけが残ります。
なので、根っこは白、毛先は赤という状態になっています。こんな感じです。
そこで少しでも赤みが目立たないようにグレーのマニキュアを入れてみることにしました。マニキュアをすると、白も赤もおとなしくなります。
私の白髪の割合は10~20%。白髪は多い部分と少ない部分があるので、白髪がメッシュのようになるのをイメージしています。顔回りに白いメッシュが入って明るくなればいいなと。
でもやっぱり気を抜くとだらしない印象になるんですよ。例えばドライヤーをさぼって髪につやがなかったり、結び方が雑だったり、ノーメイクだったりした時、すごく顕著に年齢が見えるようになったのです。
「きれいでいること」を意識する
若い時はけっこう無頓着にしていても、肌も髪もつやがあるのですが、50歳になるとそうもいきません。
若さの象徴の黒髪を手放したので、「きれいでいる」ことを意識していないと、実際の年齢以上に老けて見られてしまいます。そこで、今までは適当にしていたスキンケアやメイク、髪のケア、服装を意識するようになったのです。
以前出会って、私のモデルになっている「すてきなグレーヘアーの婦人」は、髪型も、持っているものも、着ている服もすごく個性的でした。「きれいでいること」「好きな自分でいること」を意識し続けてきたんだろうなと思うのです。
ありのままを愛する
顔や髪、肌を磨いて光らせたり、大好きな服を着ることは、自分の中にあるものを大切にすること。白髪を隠さないでいることも同じです。
ありのままの自分を受け入れて、あるものを生かすという姿勢がカッコイイ。その姿勢は見た目にも出てくるんでしょうね。だからあの婦人はすてきだったんだな。
白髪染めをやめて感じること
私は多分白髪染めをやめてなかったら、老化していく自分を見ないようにしていたと思います。黒く染めていれば、老化に直面することはなく、意識せずにいられたんじゃないかな。
でも老いていく私とも仲良くしたかったんです。白髪を染めるのは、老いることにダメ出しをしている気分だったんです。
今は、毎日増えてくる白髪を見ながら、「若い=いいこと、老いる=悪いこと」が自分の中に刷り込まれてるなと、日々感じます。そしてこの刷り込みから自由になりたいと日々意識しています。
まとめ
白髪染めをやめると、今までベールに隠れていたものがあからさまになります。私は見たくなかった老化に直面しました。
でもものごとに「よい」「わるい」はない。その人にとって、「よい」か「わるい」かがあるだけ。老化は私にとって「わるい」ものだったけど、白髪染めをやめることは、その思い込みから自由になるきっかけをくれました。
いろんな思い込みを手放せば手放すほど、人は自由に楽しく生きられるといいます。ありのままを受け入れて、なりたい自分を意識しつづけることで、一歩でも自由に近づきたいです。