こんにちは。とびらです。
日曜日の午後家でくつろいでいると、TVで「お客さんが来ないお店」というのをやっていました。この番組が伝えたい成功の法則は、たった一つです。
狭く深い要求を満たす
どこにも負けない価格のタイヤ屋さん
最初にやっていたのは、ボロくて壊れそうな小屋で開業しているタイヤ屋さん。大手タイヤチェーン店が隣という立地にも拘わらず営業利益を出しています。
その理由は、「50年近く続く店の信用と経験で、安く仕入れたタイヤを激安で提供できる」から。ひどい店構えで多分宣伝もしてないけど、どこにも負けない価格がお客さんを自然に引き寄せています。
警察官だけのための店
お次は警察関係者だけをお客さんにしたお店。入り口に検問があり警察手帳がないと買い物することができません。
手の平部分を厚くして捜査がしやすいように工夫した手袋や、POLICEのロゴが取り外せて、プライベートの時も使えるようになったブリーフケースなど、警察関係者の「痒い所に手が届く」商品が並んでいます。
プレミア感を出すために、開発した商品は他に卸さず、ここでしか買えないようにしているのだとか。刑事さんが張り込み先へのお礼品に、こちらのお菓子などを持っていくと、手に入らないものなので大変喜ばれるのだそうです。
サーフィン、アメ車が好きな人専用の植木屋
その次は、ヤシの木専門の植木屋さん。ご主人は代替わりした時、他の経験豊富な造園業者の中でどうやったら生き残って行けるか悩みました。
サーフィンやアメ車の好きな若い世代であるご主人は、自分の世代なら新築の家に植えたい木はなんだろうと考えました。そして、他の木はみんなやめてヤシの木を専門に扱うことにしたんだそうです。
ターゲットを絞り、その人たちが満足するものをディープに揃えました。様々なサイズのヤシの木、その庭に合う観葉植物やガーデングッズ。「ヤシの木を植えたら、風が変わったみたい」とうれしそうなお客さんが印象的でした。
レアな要求を満たす
どのお店にも共通しているのは、コアなお客さんのレアな要求を満たしていること。
価格、職種、サーフィン&アメ車でターゲットを絞り、一番安い価格を提供して、警察官だけの悩みを解決する商品を提供して、サーフィン&アメ車の憧れの世界に連れて行ってくれる。
これがお客さんの心を撃ち抜きます。お客さんが少なくても、来たお客さんはみんな満足して帰るので、リピートしたり紹介したくなったりして店が続くのですね。
要求がレアであればあるほど、それが満たされた時、希少感が半端なくあります。「誰にもわかってもらえそうにない私の望みをわかってくれて、満たしてくれる人がいる!」と思うからです。人は、そんな人を好きにならずにはいられません。
まとめ
たった一人の人の望むことを叶えるために、自分ができる最高のことをやる。読んでもらえるブログを作るのも全く同じです。誰かの望みを叶える人が、人を引き付けるのです。
こんにちは。とびらです。
以前感謝するとうまくいくという記事で、感謝すると望みが実現することを書きました。でも感謝することが見つからない…という方におススメの方法です。
食事の度に感謝する
すごく簡単に感謝できる方法、それは食事の度に感謝することです。ペコペコのお腹がいっぱいになって満足する時は、感謝できやすい状況なんです。美味しければなおさらですよね。それに誰でも一日に何回か食事をします。食事の時間を感謝タイムと決めれば、一日三回も感謝できます。
食材が我が家に来るまで
「外食ならいざ知らず、家で自分が作るなら感謝されたいのはこっちだよ」と思うかもしれません。でも現代では簡単に食べることができる白米が、100年前はすごく手間のかかるものだったことを思えば、気持ちがちょっと変わってきませんんか?
耕運機、田植え機、除草剤がなかった頃は、コメ作りが今よりずっと大変で、庶民が食べること自体難しかったことを思えば、毎日好きなだけお米が食べられることは本当に貴重なことだとわかります。
野菜だって自分で作れば重労働です。天候や環境で育てるのも難しいし、運よく収穫できても泥を洗うのが大変だし、たくさんできたり少しだけしかできなかったりします。スーパーできれいになった野菜を好きなだけ買えるなんてどんだけラクできるんだって感じです。
魚を釣るのにもテクニックとたくさんの時間が必要だし、肉に至っては猟をするか、手間をかけて飼育したあげく、解体作業もやらなければなりません。気が遠くなるような時間と手間がかかります。解体されただけじゃなく、すぐに食べられるようにスライスやブロックごとに売られていることがありがたく感じられませんか?
調理することができるのは
昔から考えると信じられないほど楽に食材を準備できたら、次は調理です。まな板や包丁、ハサミ、鍋、はし、ヘラ、ボウル、ざる…。必要なものは何でも簡単に100円ショップでも手に入ります。
また、今の日本ではほとんどの世帯で、水を汲んだり火を起こさなくても、水道を捻れば水が出るし、ガスや電気で簡単に加熱できます。それだけじゃなく、電子レンジ、オーブン、トースター、ロースター、炊飯器と様々な調理器具があり、入れるだけでおいしく調理できます。
味わう
こうしてできあがった料理は、どれだけ人々の手間がかけられているでしょう。米だけとってみても、苗床を作る人、耕運機などの機械を作る人、農薬、肥料を作る人、お米を育てる農家さん、お米屋さん、間をつなぐ問屋さん、水道屋さん、電気屋さん、お茶碗を作る人、お箸を作る人など、数え切れない人の手がかかっています。
食事をする時にこの人たちを思うと、自然に感謝の気持ちが湧いてきてしまいます。
でもこれで終わりではありません。ここからが本番です。食べ物を口に入れたら、口の中に意識を集中します。新聞を読んだり、TVやユーチューブをみるのは一旦やめること。そして、舌触り、歯触りを感じ、甘味、旨味、苦み、塩気、香り、辛みを味わってみましょう。
こうすることで、一口食べるごとに、この上もない幸せを感じることができます。こんなに貴重でおいしいものを、噛めて、味わうことができるなんてどれだけありがたいんだろうと。
まとめ
一番簡単に一番確実に感謝の流れに乗る方法が、食事のたびに感謝することです。つい新聞を読んでしまい、感謝を忘れてしまうこともあります。でも自分を責めることはありません。一日に三回もチャンスはあるんですから。
食事を心から感謝して楽しむこと。当たり前に言われることですが、真剣にやってみると本当に人生が変わります。
こんにちは。とびらです。
実家の母はいつも問題を抱えています。昨日の問題は、針灸治療院で隣の患者さんが8つお灸をしてもらっていたのに、自分は4つしかしてもらえなかったこと。「同じ料金なのに損してる」というのが彼女にとって大問題です。
母の頭の中は「お灸の数が少ない」ということでいっぱい。「治療内容は人によって違う」とか、「お灸の数で良し悪しが図れるものではない」という考えが入る余地はありません。
常識を疑え
人は、自分の常識でものごとを見ます。「お灸の数が重要だ」という常識を持った母は、今回の出来事を最悪の事態とみなします。もし「数ではなくて、少なくても置き場所が重要だ」という常識を持った人なら、この出来事は問題にはなりません。
天はいつもその人にピッタリの問題を与えるといいます。何か困ったことが起こる時は、自分の常識を疑え!というサイン。大問題だと感じた母は、「お灸の数が重要」という今までの常識を変える必要があるということです。
常識を捨てるために必要なもの
問題が起こる時は、今までの常識を捨て去る大きなチャンスです。でも常識を捨て去るには勇気が必要です。新しい考えが正しいかどうかわからないのですから。そんな時、必ず今よりいいものが入ってくるという安心感があれば捨てることができます。
安心感を得るには「今持っているものに感謝する」だけでいいのです。
・針灸を受ける時間とお金を持っている。
・この場所までたどり着くことができた。
・隣の患者さんを見る視力を持っている。
・プロの治療をこんな近所で簡単に受けられる。
・痛いのに一生懸命体が働いてくれている。
・この年まで生きてこられた。
母はこんな風に持っているものをあげることができるでしょう。
人生の99.9%の順調なことを意識する
私たちは「何かが足りない」と思うと直ちに「今持っているもの」を見失ってしまいます。
でも、人生の99.9%で、物事は順調に動いています。歩くこと、息すること、食べること、食べ物を消化すること、排泄すること、解毒すること、心臓を動かすこと、傷を治すこと、暑さ寒さから身を守ること…、意識もせずに全てがうまく運んでいます。
こう考えると、たった0.1%の順調でない部分をずっと考えるなんてばかげていますよね。99・9%の順調な事に意識を向ければ、感謝しなくちゃなんて思わなくても、感謝の気持ちがごく自然に湧いてきます。
もう常識は変わっている
さあ、これで今までの常識を捨てる準備ができました。でも実は、感謝するようになれば、あなたの常識はもうすでに変わっているのです。新しい常識で問題を眺めてみてください。もう問題と感じることはなくなっているはずです。
まとめ
全ての問題は「感謝のエネルギー」を手にするための宿題です。
「わたしはダメだ」「このままじゃどうにもならない」「なんてかわいそうな私」と「足りない」を繰り返してしまう時もあるでしょう。自分を責めずに、また「足りないゲーム」をやってるなと観察し、順調な事に意識を向けてみてください。
こんにちは。とびらです。
昔から凡ミスが多い私は、実家の店を手伝っている頃、釣銭を間違え、取引先への支払い期日を忘れ、お客さんの注文を発注し忘れるという、仕事できない人間の筆頭でした。
仕事を辞めた今もそれは健在で、先日大きなミスをしてしまいました。
不完全な自分を認めよう
4月の始めに税務署から手紙が届きました。昨年度の確定申告は2月中に終えていたので問題はないはず。「お尋ねしたいことがあるので電話ください」という内容だったので、電話をかけてみました。
ところが担当者からの話によると、送った封書の中には領収書だけが入っていて申告書が入っていないとのこと!真っ青になってしまいました。
昨年度はふるさと納税の寄付金控除に加えて、医療費控除もあったので、かなり税金が戻ってくる予定だったのでショックを隠せません。
信じられない私は、申告書の控えを取り出して確認すると、控えと一緒に判を押した申告書があるではありませんか。オーマイガー(´;ω;`)抜けているにもほどがあります。情けなくて泣きたいような笑いたいような。
でもなんとなんと!担当の方は、「申告書を届けてくれれば大丈夫ですよ」と言ってくれたのです。神ですか????完全にこちらのミスなのに、一切責めたりもせず嫌な顔もせず(見えませんが^<^)手続きをとってくれたのです。
こんなに優しくされていいんだろうか…。あまりの幸せに、逆に信じられない気持ちでいっぱいでした。担当の職員さん本当にありがとう✨
欠けている部分は補ってもらえる
今回の出来事で思ったのは、「私が仕事ができなくても誰かが助けてくれる」ということです。だったら、できない自分を責める必要もないなと。
仕事をしている時、今回のようなバカなミスをすると、できない自分をすごく責めていました。何とか改善しようと頑張りましたが、残念ながらできる人間になれませんでした。
仕事ができない自分を許すことができなかったので、周りの人も許してくれるはずがないと思っていました。周りの人に許されないと困るので、ミスを誰かのせいにしたり、責任逃れしようとしたり、必死で頑張っていましたねー。
実際はできないと認めるだけでよかったのです。できないことは誰かに助けてもらって、できることをやればよかったんです。こんな風にいつだって、誰かが喜んで助けてくれるんだから。
欠けているからむしろいい
西シベリアに住むネネツ人の伝説に、こんなのがあります。
シベリアの地を北にオーロラをくぐって進んで行くと、一本足の民族がいました。彼らは一本足なので一人では歩くことができません。なのでそこでは、二人がペアになって肩を組んで歩くようになりました。
すると風のように走ることもできるようになりました。でも二人が別れると一本足に戻ってしまうから、また歩くことができなくなってしまうという話です。
人間はみんな不完全なもの。欠けているところを補い合えば、一人でいるよりずっといい仕事ができるし、お互いを助けることで幸せを感じることができます。誰かを助け、助けてもらうことがどんなに幸せなことか。
まとめ
自分で全部やろうとすればするほど、辛いし、仕事の質も良くなりません。自分が不完全なことを認めてしまいましょう。自分が不完全なことを認めれば、他の人が不完全なことも簡単に許すことができます。そうするとすごく楽になります。
楽になると視野が広がり、違う景色が見えてきたりするものです。新しいアイデアが湧いてきたり、周りの人に感謝の気持ちが湧いてきたりするかもしれません。その時、小さな自分にとらわれている仕事のできない自分はもうどこにもいません。
できないことがあっても、欠けている部分があってもいいんです。欠点があるからむしろ愛されるのです。欠点があることが素晴らしいのです。
こんにちは。とびらです。
息子が高校の部活でテニスをしています。インターハイの予選が始まる一番重要なこの時期に、腰を痛めてしまいました。高校に入って一年間、インハイのために頑張ってきただけに「なんで今なの?なんで俺なの?」と思わずにはいられない様子。
人生には予期せぬ事がおこります。もしかしたら何かを得るために天が与えているでは?
アクシデントは受け止め方しだい
腰のケガは腰椎分離症という腰椎の疲労骨折です。「最低3か月間運動を休まなければ腰椎が離れて、大人になってから腰痛に苦しむことになってしまう」と整形外科の医師から言われました。
昔から腰痛があり、痛む時は1~2週間休み、ハリや整体で調子を整えて練習を再開していました。でも今回は歩くこともできなくなるほど痛みが強くなってしまいました。
常識とサイン
部活の顧問の先生は、「長期休養するとせっかく積み上げた練習が無駄になるし、試合経験を積めるチャンスを逃すなんてもったいない。医者はみんな休めと言うけど、休まないでやってる選手も多い。」と痛みが引いたら練習に復帰するようすすめます。
顧問の先生の言う事は、息子や私を恐れさせました。「今頑張らなきゃ、インハイ後にもう勝てないのかな」と。でも普通に考えれば、歩けないほどの痛みなんて「休みなさい」という体のサインです。顧問の先生に従うか、体のサインに従うか…。
先生の言うテニス界の常識には違和感がありました。一生腰痛に苦しむリスクがあるのに続けるなんてどう考えてもヘン。一方、体のサインを聞いて休養することにもリスクがあります。他の選手に追い抜かれ、先生の評価が下がること。
捨てる勇気
腰痛にも苦しみたくないし、他の選手に抜かれたくない。今回のように両方を手に入れることができない時、どちらかを捨てるのはとても勇気がいります。でも捨てるからこそ入ってくるものがあります。
何か新しい考えやアイデアは、スペースが空いていないと入ってこれないのです。捨てるから変化できるのです。
流れに逆らわない
人は積み上げたものに固執しがちです。費やした時間、労力やお金が多ければ多いほど、それを取り返したい、見返りが欲しいと思うもの。
また変化も嫌う傾向があります。変わった先にあるものが、自分にとっていいか悪いかわからないから怖いし、今まで通り続けていれば手に入るものが、手に入らなくなるのも嫌。
でもケガをしたり、病気になったりと予期せぬアクシデントに見舞われた時は、大きな力が働いて流れを作っています。それは嫌な出来事のように思えても、最終的にはその人を必ずいい方向に向かわせるための流れです。
「人生万事塞翁が馬」ってやつです。流れに逆らってあがくよりも、流れを受け入れ、全てがうまくいくと信じて天に任せるのが得策です。自分に変えられないことを思いわずらう事ほど不毛なことはありません。
生かすか殺すかは自分次第
アクシデントそれ自体は、ただの出来事でしかありません。受け止め方次第で良くも悪くも感じます。良い面を見れば良い流れを引き寄せるし、マイナス面を見ればマイナスの流れが引き寄せられます。
痛みを我慢しながらだましだましテニスを続けることは、せっかく神様がくれた休養を受け取らないという気がしました。部活と勉強でものすごく忙しくしていたので、休んで余裕ができるのはいいこと。
自分を外から見つめるいい機会になるような気がします。テニスだけに縛られていた価値観が変わって他にやりたいことが出てくるかもしれないし、テニスをやりたくてたまらなくなるかもしれない。
どうなるかはわかりませんが、本人にとって一番いい道が、その先にあるに違いありません。
まとめ
二者択一で迷う時、
・世間の常識ではなく自分の直感を信じ
・捨てる勇気を持ち
・流れに逆らわない
曲がり角の先にはきっといいものが待っています。
こんにちは。とびらです。
マクロビオティックの料理教室で講師をしています。今期担当するのは「おもてなし料理」。この「おもてなし」の考え方がブログのアクセスアップにも役立ちます。
満足して帰ってもらうために
マクロビオテイックというと聞きなれない人も多いですよね。簡単に言うと、自然の法則に沿った食事法で幸せに生きるいう考え方です。
具体的には日本古来の伝統的な食品、食材を自然に調和する方法で調理し、個人の体質、体調に合わせて食べます。自然に沿った食べ方をすると、本来の自分になれて、自由に好きなことをして生きることができるという考え方です。
そんなマクロビオテイックの「おもてなし料理」は見た目の美しさや味以上に、もてなす相手が満足してくれることを考えて作ります。
相手を知る
まずは、もてなす相手を知ること。好みの味付け、食材、背の高い人なのか、太っているのか、体調はどうなのか、子供なのか、大人なのか、老人なのか…。
さらに想像力を働かせて、その人がどうなりたいと思っているのか探ります。陽気になりたいのか、気分を落ち着かせたいのか、痩せたいのか、胆力をつけたいのか…。
好み、体質、体調、なりたい状態は100人いれば100通りです。おもてなし料理は、その中のたった一人の人が、おいしく感じ、食後に体調が良くなったり、なりたい状態になれるように作ります。
自然を知る
生徒さんは、おもてなし料理コースの前にマクロビオテイックの基礎を学んでいます。そこで、食材が持つ性質、季節ごとの特徴、自然の法則を勉強しています。
例えば根菜類は体を温める作用があります。でも同じ根菜でも、大根は広がる陰性の性質があるのに比べ、ごぼうは締まる陽性の性質を持っていたりします。緑の葉物野菜はもっと陰性が強く体を冷やす作用があるとか、それぞれ性質が違います。
春は芽吹きの季節だから、人間の体も溜まったものが出やすく、吹き出物や鼻炎などになりやすい。それを癒すものを自然はちょうどその時期に提供してくれます。季節のものを食べるのにはわけがあるのです。
こんな風に、様々な特徴と性質を組み合わせて、自分の体質や体調に合った料理を作る勉強をしています。おもてなし料理コースは、その知識を駆使してもてなす相手を満足させる実践編です。
自分を大事にしない人は人をもてなすことができない
ところが知識があって、相手の情報が揃っても、「みてみて料理」を作ってしまう人が多いのです。「こんな料理が作れるの、スゴイでしょ」「これで体調良くなるんだよ、知らなかったでしょ」みたいに。
悪気があるわけじゃなく、むしろとても熱心で相手を思いやっているつもりなんです。でも、もてなされた方は「ああ、スゴイね…、勉強熱心だね。」と、何か違和感があり、心があたたかくならないんですね。
どうしてこうなるのでしょう?
それは「みてみて料理」を作る人というのは、自分に冷たくしたり、自分を責めたりして、自分を大事に扱っていないからなのです。そんな人は自分には魅力がなくて、努力がたりなくて、愛される資格がないと思っている人が多いんです。
自分で自分を大事にしていないと、大事にしてくれる誰かを探すことが最優先になってしまいます。もてなす相手のことを、実は自分を満足させてくれるかどうかという目で見てしまうんです。
そうすると、相手に満足してもらう事より、「私の作った料理をほめてほしい」「私の知識を認めてほしい」が優先してしまうのです。
本当の「おもてなし」は、自分を十分にもてなしていないとできません。自分が満たされて幸せじゃないと、本当には相手のことを思いやることができないのです。
こちらの記事で自分のもてなし方を書いています。→メタ認知で心を動かす文章を書く
まとめ
ブログでも「おもてなし」の心が大事です。相手を知り、自分にできることを知り、それを組み合わせて満足してもらえる記事を書く。満足して帰ってくれたら、次もまた訪問したいと思ってくれます。それがアクセスアップにつながります。
こんにちは。とびらです。
エンジェルスの大谷の勢いが止まりません。打者として3連続本塁打、投手として7回1安打無失点12三振の内容で2勝目を挙げています。大谷選手はゾーンに入っているとも言われていますが、なぜこんなに輝いているのでしょうか?
やりたいことを決して妥協しない
才能のある野球選手は、投げるのも打つのもどちらもできる人が多いといいます。実際、少年野球や中学野球などでは、エースで4番の選手が少なくありません。
でもプロになると、打者、走者、投手それぞれの働きを期待され、トレーニングを積みます。それだけ先鋭化しないとレベルの高いプロの世界で勝つことができないというのが常識です。
大谷選手がプロで二刀流を宣言した時、様々な助言や批判がありましたよね。常識破りだったからです。でも彼はどんなに批判されても、自分のやりたいことを決して妥協しませんでした。
メジャーに行く時も、彼は自分がのびのびと二刀流で戦えることを最優先にしていました。大谷選手の目的はメジャーに行くことでもなければ、野球選手として歴史を作ることでもない、大好きな野球を自分の好きなやり方で楽しむこと。
これこそが、彼をゾーンに入らせているのです。
なぜ好きなことをやっているとゾーンに入れるのか
やりたいことを何一つあきらめずにできたら、心は喜びで満たされます。そんな時人は周りのすべてに感謝の気持ちが湧いてきます。そして幸せと感謝の周波数に乗っている時、宇宙のエネルギーがどんどん流れ込んできます。
その人が必要なだけエネルギーが流れ込むので、大谷選手の場合、望みが大きいので入ってくるエネルギーの量が多いのです。これは誰にでも同じように受け取ることができます。大小にかかわらず、好きなことをやって楽しむだけで。
絶えず流れてくる疑いの声に耳を傾けない
宇宙のエネルギーは永遠になくならないし、絶対に失敗もしない。いつでもなみなみと与え続けてくれます。誰でも簡単に受け取ることができます。でもたった一つだけやってはいけないことがあります。
それは、自分の中や、周囲から鳴り響いてくる疑いの声を信じてしまうことです。これを信じてしまうと、とたんに楽しさがなくなります。ワクワクが消えつまらなくなります。この時にエネルギーは入ってこなくなります。
でもこうした声は、一見否定的なもののように感じますが、夢を実現するためには必要なもの。耳を貸さず自分の声を聞けるように鍛え、意志を準備させているのです。大谷選手は、常識や批判や助言にあれほどさらされたからこそ、今があるのです。
まとめ
パウロ・コエーリョの世界的ベストセラー「アルケミスト」にこんな一節があります。
この地上には一つの偉大な真実がある。お前が誰であろうと、何をしていようと、おまえが何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたものなのだ。それが地球におけるおまえの使命なのだよ。
だからおまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ。
大谷選手が今、私たちに見せてくれているのがコレかもしれませんね。
「アルケミスト」名作です。
こんにちは。とびらです。
「欲しいものを手に入れるには努力しなければならない」というのが世の中の常識です。本当でしょうか?欲しいもの・・・例えば優しくて全てを受け入れてくれる妻や夫は努力すれば手に入るのでしょうか?地位や名声、信頼、愛情などはどうでしょう?
その努力は楽しいか?
「楽しいことをやっていたら、知らないうちに手に入っていた。だから努力した覚えはない。」
人生を楽しむ成功者はみんなこう言います。
努力しなければ手に入らないと思うのはなぜでしょうか。
努力しなくてはいけないという刷り込み
私たちは、日常生活のあらゆる場面で「あなたは足りない」と刷り込まれています。注意力が足りない、学力が足りない、思いやりが足りない…。だから努力して補わなければならないと。
「問題が多いあなたの人生では、意志の力を頼りに決められたレールの上を歩かないと悲惨なことになるぞ」と親、教師、上司から日々諭される毎日です。
そのため私たちは、努力しなければ(今の自分に足りないものを補わない限りは)欲しいものは手に入らないと思うようになったのです。
あなたはもうすべて持っている
実は私たちの欲しいものは、全部私たちの中にあります。もうすでに持っているという事に気付くだけで、全てが目の前に現れるのです。
例えば優しくて思いやりがあって、全てを受け入れてくれるパートナーは、あなたが自分の中に優しさ、思いやり、受容性があると気付いて認めれば、自然に現れるのです。
「そんなもの持ってないし、そんな夢みたいな話あるわけないし」そう思うのは当然です。でも、簡単に幸せになりたいなら、自分が持っているものを探してみるのをお勧めします。
「ごはんを美味しく食べる味覚を持っている」「音楽を楽しむ聴覚を持っている」「美味しい匂いを嗅げる嗅覚を持っている」「満開の桜が散っていくのを見る視覚を持っている」「住む家を持っている」「PCやスマホを持っている」こんな当たり前のものでOKです。
最初はなかなか出てこないかもしれませんが、毎日1つでも探しているうちに見つけやすくなります。私は続けて3か月ほどで、欲しかったものを手に入れることができました。「私は何でもできる」という自信です。
欲しいものが現実になる
持っているものに感謝するようになると、物事がなんでもうまく回り始めます。
昨日は突然の雨で、濡れたくないと思っていたら車に乗せてくれる人が現れました。今日は、いつも食卓やこたつでブログを書いているのでいつか「パソコンデスクが欲しいな」と思っていたのですが、娘のお古のデスクを夫がセッティングしてくれて実現しました。
持っているものに感謝すると、何だか心が温かくなって幸せになるのです。幸せになると、不思議と周囲に感染して周りの人が助けようと思ってくれるようなんです。だから自分で買ったり、どうにかしようとしていないのに現実になるのです。
まとめ
「欲しいものを手に入れるには努力しなければならない」こう思っていると息苦しいですよね。努力は素敵なことだと思います。でもMUSTになると楽しくない。楽しくなければ幸せじゃない。
楽しむことは周囲も楽しませ、あなたを助けずにはいられなくさせます。楽しむことは楽に欲しいものを手に入れる最短の道なのです。
こんにちは。とびらです。
朝起きて、気分が乗らない、記事を書く気がしないということがありませんか?そんな時は自分からちょっと離れて観察してみましょう。
やる気が出ないのは、自分からのサイン
朝起きた時にやる気がおきない、憂鬱な気分になる時は、何か自分が嫌だなと思っていることをしている時。自分からのサインです。
原因を探る
このサインが出た時は自分の深いところを探るいいチャンス。間違ってもやる気のでない自分を責めてはいけません。
私はブログを始めて、「こんな記事を書かなきゃ」「この分野の他の記事を調べて、それよりいい記事を書かなきゃ」と自分に強制している時期がありました。でも自分では好きでやってるつもりなので、ずっとそれが嫌だとは気付けませんでした。
全然楽しくなく、やる気も出ず、朝起きると憂鬱で、でもとにかくやらなきゃと必死な気持ちでしたが、ちっとも書けませんでした。そんな自分を責めてしまい気分は最悪。
どうしても書けないので、開き直って書きたいことを書きはじめました。すると「こうでなくちゃ」なんてないんだとわかってきたのです。今思うと「楽しくない」「やる気がでない」「憂鬱」というのは自分の記事が書けてないサインだったのです。
誰かの真似や誰かに喜ばれそうな記事だったりで、自分の体験や考えをないがしろにしていました。自分の考えや体験は価値がないものと思っていて、書けば書くほど自分がみじめになっていたのです。
私の場合は、自己重要感を高めないと書きたい記事を書けなかったみたいです。
楽しい気分になれる記事を書く
サインが現れたら何でもいいから書けるものを書いてみます。ブログのテーマから外れてしまったら、「雑記」カテゴリーに突っ込んでしまえばいいんです。
自分が書いていて楽しい記事を書き始めると不思議なことが起こります。何が嫌だったのか、何を書きたいのかがわかってきて、書きたいものが次々に湧き上がってくるのです。ワクワクして、自分が何でもできると思っていた子供のころに戻ったような気分になります。
誰かに読まれなきゃ意味がないと思っていたのが、誰か読んでくれたらうれしいけど、誰も読んでくれなくても自分が楽しいからいいやと思うようになり、すごく楽になれます。
嫌なことをやらない
人は嫌なことをやっていると、不機嫌になってしまいます。機嫌が悪い状態の人は、脳が正しく情報を処理できないと言われています。機嫌のいい人は機嫌が悪い人に比べ、探し物が見つかる確率がナント50%高くなるそうです。
ということは、嫌なことをやっているとやる気が起きないだけじゃなく、パフォーマンスも半減しているということ。嫌なことは、あなたから色んなものを奪ってしまいます。
嫌なことをやめると色んな事が見えてきます。
そうは言っても嫌なことをなかなかやめられない時は、やめなくてもいいから「私はこれが嫌なんだな」と自覚する。そしてやりたいことに意識を向けてみましょう。すると歯車が回り始めます。
まとめ
嫌な気分っていうのはありがたい存在です。自分が自分らしく生きる道を踏み外すと現れるから。人生のガイドのようなものです。嫌な気分も、楽しい気分も、見逃さないでください。大切に扱ってください。
どれもすべてあなたの、あなたしか持っていない部分です。それが誰かの琴線に届くのです。
こんにちは。とびらです。
高校生の息子がテニスをやっています。昨日は試合の観戦に行ってきました。息子が2回戦で対戦したのが、全国一位の高校の2番手。
その選手たちを見ていて、心の強さについて考えました。アフィリエイトに限らず、成功したいと思っているすべての人に必要ですよね。心の強さって何でしょう?
心の強さはどうしたら得られるのか
対戦相手の東北高校は、ソフトテニスで有名な強豪校。聞くところによると5人も日本代表選手がいるらしい。同じ大会に出られるだけで夢のようなスゴイ学校なのです。
勝つ可能性はモチロン無いので、少しでも多くのポイントをとれるといいなと思いながら応援していました。結果はなんと2ポイント。敵はノーミスでした。
あの落ち着きようは何というか、武士みたいでした( ´∀` )
学習して得る
厳しいラリーになって態勢が崩されたり、不意をついたショットが厳しいところに打ち込まれると、息子たちは焦ってアタフタしていますが、彼らは涼しい顔で焦ることもありません。
彼らの心の強さはどこから生まれるのか?まずはもちろん圧倒的な技術力によるもの。今まで学んで、練習してきたことによる情報量の差です。何度も失敗して、そこから学んで復活した経験がずっと多い。
逆に言えば、この分野の強さは「学習すれば手に入れることができる」と言えます。「あいつは心が折れない」っていう選手がいるけど、それは復活の経験をより多く積んでいるということです。
「失敗から学ぶ」「復活する経験を積む」これはビジネスでも、人間関係でも、成長のために欠かせないものです。
自分を信じることで得る
準決勝あたりになるとだいぶ力が拮抗してきます。そうなると劣勢になる場面も当然出てくるわけですが、ここでも武士ぶりを発揮。常にものすごく冷静です。
自分が勝てないわけがないという揺るぎない自信のようなものを感じました。「絶対勝つんだから、勝つために何をすればいいのか」を冷静に考えているというか。
劣勢になった時、自信がないと負けることが頭をかすめてネガティブな感情が湧いてきます。するととたんに焦りが出て、いいアイデアも出てこなくなってしまいます。
でも彼らは勝つことしか頭にないので、劣勢になっても逆にチャンスととらえたり、今は流れが変わるのを待つ時と考えたりします。「勝つ」ことにアンテナが立っているので、勝つための情報だけをキャッチしています。そのため視野が広がり、戦略が湧いてくるのでしょう。
自信とは自分を信じること。
学習で得たものや経験は、それ以上の敵にあった時には役に立ちません。知識や経験を元にオリジナルな戦略を思いつくには、自分にはできると信じる力が必要です。
彼らはそれがあるから全国一位なんですよね。
今に集中して得る
彼らは、強いショットを打ち込まれ、連続ポイントを取られても、悔しい様子を見せません。ミスで失点しても同じです。失敗したことに意識が向いていないのです。
過ぎてしまったことは考えてもどうにもならないことがわかっているので、悔やまないし、切り替えが早い。
「ミスしてしまった」過去を考えるのでなく、「負けるかもしれない」「勝てるかもしれない」未来を考えるのではなく、今に意識を向けています。今できることに全力で挑戦しています。
難しいことに挑戦できる人は恐れがありません。自分への信頼があって、きっとできると思っています。失敗したとしても復活できる自信があるから、例えできなくてもいいのです。だから怖くありません。
恐れと楽しさは一緒には味わえないものです。だから彼らは、今このショットを楽しんで挑戦しているのだと思います。今を楽しむことの積み重ねで、心は強くなっていきます。
まとめ
日本人の感覚だと学習するのは割とやさしくできます。でも何の根拠もなく「自分を信じ」たり、「今を生きる」ことは理屈じゃないので難しい。
でもサイテーの自分にOKを出して、心の筋トレをすることで少しづつですが、確実に心を強くすることができます。
高校生とはいえ、トップの選手のプレイは人生の示唆に満ちていました。