歯医者さんで定期健診を受けていた時のこと。
きれいな歯科衛生士のお姉さんが私の口内をチェックしてくれる。
「8番から3.2.3、2.2.3.、3.3.2…、ブリーディング6番のエンシン、4番キンシン…」
分からない単語が私の頭の上を行き来している。もう10年もこの歯医者に通ってるけど、「キンシン」って何だろう?
一通りチェックが終わったらしい衛生士さんから優しく声をかけてもらう。
「ではお掃除に入っていきますね。痛かったら教えてくださいね。」
「キュイーーーンーーーンギュルギュルキュイーーーン」
見えないからわからないけど、多分歯石を取るために、先端の細いドリル状のものを歯と歯茎の間にあてているんだと思う。これってけっこう痛いんだけど、みんなどうなんだろう?
「キューーイーーーン」(痛っ)「ギュルルー」(痛っ)「キュン」(痛たたっ」かなり痛いけど、でも痛いって言っていいのかなあ?っていうか、口の中は水分でいっぱいで、どうやって言えばいいのかな?
手を上げればいいのかな、でもどんな風に上げたら変じゃないんだろう?ちょっとだけ上げて気付かれないのも困るし、どのくらいの高さに上げるのがさりげなくて正解なんだろう?
ぐるぐる考えているうちに口の掃除は終わってしまった。いつもこうだ。
この時私の中には二つの悩みポイントがあった。
一つは痛みは個人的なものだから、どのくらい我慢すればいいか正解がないこと。
その人によって痛みの耐性は違うし、耐性への慣れも人それぞれだからだ。だから結局は自分で決断するしかない。
二つ目は伝えることを決めた時の、伝え方の問題だ。
私はいつも診察台に乗るとすごく緊張してしまう。診察台の上は歯医者さんと栄養士さんの領域で、私は完全アウエイ。彼らのスタンダードが全くわからない。
でもなぜか、そのスタンダードに従うのが絶対だと信じていて、だからいつもすごく居心地の悪さを感じるのだ。毎日何人もの患者さんと接している衛生士さんが見ても変に思わないスマートなふるまいをしたい。
ものすごいプレッシャーだ。だからいつも「痛いです」と言ったり手を挙げたりするより、痛みを我慢する方を選ぶ。今日もそうだったしね。
でも、今まではそれでよかったけど、50歳を過ぎたからには歯の老化は避けられない。これからは徐々に痛みが増していくに違いない。いつまで我慢できるんだろう?
というか、敵のスタンダードを聞いてみるのはどうだろう?
「いつも疑問に思っていたんですけど、皆さん、痛いって伝える時にどんな風に手をあげてるんですか?」
それこそスマートじゃないかもしれないけど、聞くは一時の恥というし。自分の恥ずかしさをさらけ出した時、人はスマートになれるのだ。
次回聞くぞ。きっと聞くぞ。聞けるかな。
何を書こうか考えてるうちに一時間があっというまに過ぎる。時間って何をやってるかで、流れ方に違いを感じるけど、本当に同じなんだろうか。
例えば同じブログを書くにしても、自分の中から湧き出たものを文章にしていくと、あっという間に書けちゃうし時間もすぎるけど、色々と調べながら外から材料を集めて書く場合はずごく時間がかかる。
直感と言うか、ぱっと出てきたものを捉えた方が、文章的にはイマイチでも勢いがあって生き生きした文章になるような気がする。
自分の中のものを出すというと、誰かの役に立つようなものはあまりないように思う。でも実は、自分の経験や知識は自分独自のフィルダーで集められたもので、だからこそその中から誰かを助けられるという説もある。
でもそうすると問題が出てくる。だって自分が好きという理由じゃなく、仕事で必要だからとか、周りに合わせてやっとこう、みたいな妥協100%で集めた知識や経験もあるからだ。むしろそんなんばっかり。
それだと、みせかけ自分の集大成の知識、経験になってしまうから、自分独自のフィルターとはいえないんじゃないか。
夕べ観た「メッセージ」と言う映画が非常に興味深かった。

主人公の言語学者が、宇宙人と対話を重ねてお互いの意思を疎通させていくSFだ。未知の物体が怖いので、時間をかけて宇宙人の意図を知るよりも戦いたいっていう世論の中、主人公はがんばるのだ。
おもしろいのは、自分の人生に起こる色んな事が、宇宙人のメッセージを読み取るヒントとなって浮かび上がってくること。そのヒントに導かれてメッセージを解読していくんだけど、最後には他の誰も持っていない自分の視点を手に入れ、それを使うことで地球を救うのだ。
意味なんてないように見えたひとつひとつの経験が、すべてパズルのピースだったというわけ。個人的な、取るに足りないように見える経験が、実はその人にとってものすごく深い意味を持っているという、深遠なメッセージを伝える映画だったのだ。
私は驚愕した。知識や経験をヒントに自分独自のフィルターが完成すれば、地球だって救えるのか!いいなあ、欲しいなあ、私だけのフィルター。
その視点から色んな物を観るだけで、私だけのオリジナルでクスリと笑えるような洒脱な文が勝手に湧いてくるようになるかもしれない。ああいいなあ。
周りに良く思われるために千回くらい自分を裏切った経験とか、夫とけんかした後、こっそりTシャツの襟をビロンビロンに伸ばした経験とか、娘が迎えに来てと頼むラインを既読にしないようにしてる事とかが、私独自のフィルターを作ってくれてるのかなあ。
きっと知識だってもっとあればより早くフィルターが完成するに違いない。早くツタヤで映画借りてこなきゃ。
グーグルアナリティクスは、ブログを何人の人が訪問してくれたかチェックできる優秀なツールだ。でもそれは私にとっていつもひどく残酷だ。一日私のブログに訪れてくださる人は一人とか、三人、多くても八人位。しかも1秒程で去っていく。
毎日自分の記事の力不足を徹底的に思い知らされる。誰に書いているのか、何を伝えたいのか、毎日毎日考えてもわからない。それなのにあきらめずに書いている。バカみたいに、誰にも読まれないのに書いている。
バカみたいな事を一年続けてると、ちょっと悟りの気分になる。うーん、もしかして誰かに読んでもらうために書いているんじゃないんじゃないか?自分の楽しみのためだけに書いているんじゃないか?
でもだから今日このブログを読んでくれているあなたとは、本当に奇跡のような出会いじゃないかと思う。
遠く離れていても私の思いとあなたの思いは共鳴しているってことで、それがインターネットで繋がるなんて。技術革新に感謝しかない。
そしてやっぱりアナリティクスはスゴイ。だって、私のブログを読んでくれているたった一人のあなたの存在を教えてくれるんだもの。
ありがとう、アナリティクス。ありがとう、ここを訪問してくれたあなた。
小学生の頃、伝記が好きで、図書室にあった偉人伝記シリーズは端から全部読んだ。エジソン、ベンジャミン・フランクリン、キュリー夫人、西郷隆盛、ベートーベン、二宮金次郎、ヘレンケラー…。
今ならどんな偉人が並んでいるんだろう?その当時(40年も前だ)のスタンダードな偉人達は、とにかく立派な人達だった。貧しさやいじめ、病気などの様々な困難を不屈の努力で克服していた。
小学生の私は、そんな立派な人に憧れていたが、実際は極貧ってわけじゃなかったし、いじめにもあってなかったし、健康で、しかも致命的なことに、ベートーベンみたいに耳が聞こえなくなってもやりたいようなことがなかった。
何かを犠牲にしてもやりたいこと、しかも世の中のためになることじゃなきゃだめなんだ。小学校の図書室でそれをインプットしたせいか、その後好きなことができても、職業にするには今一つ「好き」が足りない気がした。
例えば作文、絵を描くこと、服を作ること、料理を作ること、英語。どれも好きだけど様々な困難なんて乗り越えられそうにない。とりあえず食べていくために働かなきゃ。
私にはどうしてもやりたいことなんてないんだ。強い意志のない心の弱い私には、好きなことを職業にするなんてとうてい縁がないんだ。
ゲームのレベルでいったらきっと2くらいだ。ベートーベンは8、西郷隆盛は10といったところか。レベルが2だと、一番簡単な第一ステージのボスキャラにさえ勝てないだろう。西郷隆盛なら軽くクリアだ。
そんな私は、でも今50歳になって好きなことをしている。大好きな読書と作文、時々映画。あとどのくらい生きられるかわからないからという消極的な理由で。
毎日本を読んでブログを書いている。時々人の文章と比べて恥ずかしくて死にたくなったり、絶望したりする。でも書くことで新しい自分を発見したり、思ってもいなかったことが文章になって出てきたりすると楽しい。
自分の中を探検しているような感じ。新しい視点を通して世界を探検している感じ。
きっと、好きなことをやっている人は毎日が冒険なんだろう。どこへ向かうのか先が全く見えない、ワクワクするようなアドベンチャー。
たまたますごーく世の中のためになった人が偉人と呼ばれ、そうでもない人もきっといて、でも偉人じゃなくてもその人たちは十分幸せなんだろうな。
今でいったらユーチューバーとかも楽しそうだもん。観てる私も楽しいんだから世の中の役にたってるしね。彼らはどのくらいのレベルなんだろう?聞いてみたい。
私「ユーチューバーとして活動するきっかけって何ですか?やはり強い気持ちがあったんですよね?」
ユーチューバー「普通に毎日やってることを動画にアップしてるだけなんで、特に何の気持ちもなかったですよ。」
こんな風に言われそうだ。レベルは0?あああ、もっと早く始めてればよかったな。
もしあなたがブログアフィリエイトを始めるなら、メジャーなfc2ブログで始めようと思ってませんか?
もし私のように「書くこと」を楽しんで収益を上げたいと思っているなら、bloggerの方がいいかもしれません。

私はブログのSEO対策や、カスタマイズ関係が全然できない。がんばろうと思っていた時もあったけど、無理だと気づいた。50歳の私に残された時間は限られてる。できない事に時間を費やし辛くなるより、楽しむことに時間を使いたい。
だからもうただ記事を書いていくだけ。有能なブロガーさんやアフィリエイターさんから見ると全然ダメなことを延々とやっている。
そんな私はfc2ブログとワードプレスでブログを書いていたのだが、最近bloggerを使いだして、fc2ブログが非常に使いにくいと気づいたのだ。
もちろんワードプレスは使いやすい。でも「ワードプレスはお金もかかってるし、開設するのに相当な手間もかかったんだから、使いやすくて当然でしょ。」と思う。
それなのに無料ブログでこんなに使いやすいのがあったなんて。ほぼワードプレス並み。(アフィリエイトができない他のブログサービスは使ったことがないけど)
「え?bloggerって何?」
私も全然知らなかったんだけど、グーグルの無料ブログサービスで、世界のブログ界じゃ主流らしい。
今日の記事ではfc2ブログと比較してその良さを挙げてみました。
fc2ブログとbloggerを比較してみた
なぜこの二つを比較するのかと言うと、アフィリエイトOKのブログサービスだから。他の無料ブログサービスでアフィリエイトをしてると凍結されるというのが通説らしいです。
それに日本のアフィリエイト界ではfc2が圧倒的に知名度が高い(と思う)。だからアフィリエイトするならfc2というのが現状での常識なのだ。
fc2ブログのメリット・デメリット
メリット
・アメブロに並ぶ国内最大のブログサービス。ユーザー数は1500万人
・コミュニティ機能の充実
・利用者が多いので、困った時に教えてくれるサイトが鬼のようにある
デメリット
・基本的な使い勝手が悪い
・無料版だと広告が表示される
この中の使い勝手について詳しく説明すると、具体的にはこの2点が嫌い。
・プレビューの状態で書くことができない。
テキストの状態で書きながら、いちいち下のプレビュー画面をスクロールして確認しなきゃならなくて、すごくめんどくさい。
・画像のサイズ調整が難しい
大きくなっちゃったり、小さくなりすぎちゃったりして中々ちょうどいいサイズにならない。解説ブログを首っ引きで見ながら何日もかけて調節しなきゃならなかった。
bloggerのメリット・デメリット
メリット
・世界最大のブログサービス。ユーザー数は5億人。
・無料のままで広告表示なしにできる。
・基本の使い勝手がすごくいい。
・グーグルの各種サービスが超簡単に利用できる。
何といっても使い勝手の良さに胸を打たれる。
・文字の修飾も見出しもプレビュー状態でできるし、リンクも超簡単に貼れる。
・画像はちょうどいいサイズでちょうどいい場所にレイアウトされるだけじゃなく、説明もつけやすい。
グーグルの便利なサービス、サーチコンソールやアナリティクスを簡単に利用できるのはこちらの記事に書いたので参考に→グーグルのbloggerが初心者に刺さる理由
その他にも、私はスマホがアンドロイドなので、スマホで撮る写真はほとんどグーグルフォトに登録されちゃうのだが、その写真が超利用しやすいのだ。どんなしくみかはよくわからないけど便利だ。
デメリット
・コミュニティ機能なし
・bloggerの解説系のブログ、記事がすごく少ない。
実はfc2ブログでも、ワードプレスでも、私はコミュニティ機能を全然使えていない。使い方は調べればわかるのだが、ヘタレな私は、他の立派なブログを書いている方と交流するなんて恐れ多くて、とてもとてもできないのだ。
だから本当に孤独でひとりぼっちでブログを書いている。そんな私にはコミュニティ機能がないというのはデメリットじゃない。でも交流好きな人には残念でしかないでしょう。
解説系ブログが少ないのは確か。仕方なくグーグルのヘルプを見ると、ちょいちょい英語になってしまいイラっとする。テンプレートをいじったりカスタマイズしたり、こだわりのブログにしたい初心者には厳しいと思う。
でも基本的な使い方はすごく簡単なので、ただ書くだけの人には問題ないんじゃないかなあ。
まとめ
SEOやカスタマイズができないIT音痴。でもブログはやりたい、少しでも収益があればもっとうれしい。
スバラシイ記事が書けなくて、収益化の方法も知らなくて、お金も稼げてなくても、何かを書きたい。
bloggerは、そんな私のようなおバカな人も、楽しくブログを続けられるサービスです。

私の住んでる町は世界遺産がある。富士山だ。最近、そこへ集まってくる外国人をターゲットに英語のブログを始めてみた。なんたって、地元のことはジモティが一番よく知っている。
使い始めたのはグーグルのblogger。今日は伝えたいのは、あまり知られていないbloggerが、初心者にいいぞっていうこと。
めんどくさいことみんなやってくれる
bloggerは無料ブログサービス。メリットは「広告が一切表示されない」「アフィリエイトOK」「一つのアカウントで100サイトまで作れる」などたくさんある。
その中でも初心者の私が一番いいぞと思うのは、グーグルのサービスを超簡単に利用できることだ。
グーグルサーチコンソール
ブログを始めたら、何はともあれ登録しておきたいのがグーグルの検索サービス。サーチコンソールは、読者さんがどんな経緯で、いつ、何人、私のブログに来てくれたのか教えてくれる無料サービスだ。
無料なのに、こんな弱小の一日3アクセスとかいう残念なブログにさえ、惜しみなく天才が開発した分析システムを開放してくださるって、さすが世界のグーグル。
全然使いこなせてないけど、いつかビックなブログに育った時に必要になるはず。だからあなたも登録しなくてはダメだ。
ところが、fc2ブログとワードプレスでブログを作ってきた初心者の私にとって、この登録作業は気持ち悪くなるほどめんどくさかった。
解説してくれるブログは鬼のようにあるんだけど、書いてあること自体がまるで暗号のよう。暗号を解読するために新たな解説ブログを捜すということを繰り返し、登録するのに何日もかかってしまう。
しかも新しいブログをスタートする時は、しばらく時間を空けてしまうので、すっかり忘れている…。
新しいブログを作るのはめんどくさい…。
というスパイラルに陥ってしまっていた。
そこへ、bloggerが颯爽と現れたのだ。
bloggerは、解説ブログが必要ないくらい簡単にサーチコンソールに登録できるのだ。
ダッシュボードの左側にある設定から検索設定に行き、Google Search Console
の横にある編集ボタンをクリック。
Google Search Consoleに飛ぶのでそこでURLを追加登録するだけだ!
時間にして3分もかからない。
グーグルアナリティクス
アナリティクスの方はひと手間多い。でもやはり超簡単だ。
まず最初にアナリティクスにログインして、アカウントに新しいブログを追加する。トラッキングIDというものを確認する。
グーグルのヘルプから引用
トラッキング ID を確認する方法は以下のとおりです。
- アナリティクス アカウントにログインします。
- [管理] をクリックします。
- [アカウント] 列のメニューからアカウントを選択します。
- [プロパティ] 列のメニューからプロパティを選択します。
- [プロパティ] で [トラッキング情報] > [トラッキング コード] をクリックします。トラッキング ID は、ページ上部に表示されます。
そしたらbloggerにログインして、ダッシュボードの左側にある設定からその他をくりっくする。そこの一番下にGoogle Analyticsのアナリティクスのウェブ プロパティ IDを入れるところがあるので、先ほど確認したトラッキングIDを入れるだけ。
アナリティクスの登録は私には超難しかった。ワードプレスもFC2ブログもトラッキングコードっていうのをHTMLタグの中に埋め込めないとだめで、それが難しすぎて何日もかかってしまった。
bloggerはその埋め込みをやらなくていい。なんて楽ちんなんだろう。初心者の救世主。
グーグルアドセンス
なんか登録も審査も難しそうなアドセンス広告。それもbloggerでは簡単に利用するための仕組みが初めから備わってる!
ただ、ある程度記事数がないと申請もできない模様。まだ3記事しか投稿していないので残念ながら今はお知らせできない。お知らせできる日が来るのをぼちぼちお待ちくだされ。
まとめ
日本ではあまりメジャーではないbloggerだけど、調べてみたらメリットが意外と多いので驚いた。英語ブログの選択肢として選んだbloggerだったけど、こんなに使い勝手がいいなら「もうfc2ブログは使わなくていいな」と思った私だった。
調べるのがめんどくさい、カスタマイズや設定が嫌い、細かいことは誰かに任せて記事だけ書いていたい…という私のようなだるーい初心者に、bloggerはうってつけのブログサービスではないだろうか。
女友達と話していた時のこと。
最近見た映画の話をしていたのだが、その流れから、今まで見た中で一番好きな映画は何かという話になった。「一番を決めるのって難しいよねー。」と言いながら、相手の出方を見る。
こういう時、好きな映画を言うのがすごく怖い。どんな映画が好きかで、その人が人生で何を大事にしているのかがわかってしまうような気がするからだ。
ハリウッド映画が好きだなんて言ったら、人生の機微が分からない人って思われるんじゃないか。表面に見えるものだけを大事にして、その奥にあるものを大事にしない人に思われるんじゃないかって。
もし相手が、「一番好きなのはニューヨークの恋人かなあ」とか言ったりしたらすごく気が楽になる。「レミゼも良かったなー」っていうのもいい。大好きなのはスターウォーズだと本当のことを言っても大丈夫だ。
でも友人はこう言った。「うーん、やっぱりアメリかなあ。次点がグランブルー。若いころはフランス映画しか観なかったから、アメリカの映画良く知らないんだよね。」
こんな場合は返答がとても難しい。彼女にハリウッドしか知らないエセ映画好きと思われないようにしなければならない。頭の中で今まで見た中で難解だった映画をあげてみる。「フランス映画=難解」という私の常識にあてはめて。
これはどうかな?
私「マグノリアはよかったな。あとインセプションも好き」
友人「トム・クルーズ、ディカプリオ、あんた相変わらずイケメンが好きだよねー。」
そうだ、難解なだけじゃだめなんだ、フランス映画だよフランス映画。
私「ニキータもよかったよね、あ、最強の二人も好き。」
友人「あれってあんまりフランス映画っぽさはないよねー。」
あー、難解さを忘れてた。でも「気狂いピエロ」や「山猫」は全然だめだ。魂を売り渡さないとおもしろいって言えない。
本当は一番好きなのはスターウォーズだ。フランス映画の対極にあるようなベタベタなハリウッド映画。勧善懲悪のわかりやすいストーリー、銀河が辺境という圧倒的なスケール感。でも友人に理解してもらえないだろうと思うと辛い。
その辛さを避けるために、まあまあ好きなフランス映画を並べる。でもスターウォーズを好きなほどの情熱はないから、あまり盛り上がらない。
スターウォーズが一番って言えばよかったかな?
でもそれだと、自分が全く普通だと告白することになる。世界中の誰もが好きなスターウォーズが一番好きなんて。フランス映画が好きな友人にそんなこと言ったら負けだ。
長い間、普通じゃない特別な何かに憧れている。この世界を普通とは違うフィルターで見ている人達に対する憧れ。それに比べて自分の感覚はあまりにも普通。
自分の中の定義としてスターウォーズは普通、フランス映画は普通じゃないというのがある。
だからスターウォーズが好きなのに、フランス映画が好きな友人が好きなのだ。そんな友人に認めてもらい、普通じゃない気分を味わいたいから、ちょい難のフランス映画を頭の中で高速サーチする。
でもだめだ、もう出てこない。もう負けだ。
本当のこと言うしかないか。第一位スターウォーズ、第二位風の谷のナウシカ、第三位釣りバカ日誌。こんな普通の私でもよかったら改めてつきあってください。
夫と朝食をとっていたときのこと。
夫が食卓の椅子に座ろうとして、腰に手を当てて顔をしかめている。
「どうしたの?腰痛いの?」
「うん、なんか昨日から急に。」
「昨日なんかしたの?」
「思い当たることもないんだけど…。」
いつも腰痛がある人じゃないので、疲労かな、ぎっくり腰かな、もしかして内臓かな、と不安になる。
体の中のことってよくわからないから不安だ。痛みがあっても目には見えないからどこが痛いのかはっきりとはわからない。病院に行ったとしても、わからないからうまく言葉にできず、伝わらない。
それでも上手にくみ取ってくれるお医者さんに診てもらえたり、レントゲンをとったりして、病名が付くと安心する。
病気だとわかって安心するというのも変だけど、自分の痛みや気持ち悪さが、ちゃんとした病気で、名前もついているとわかると安心できる。
病気なら治療できるかもしれないし、治療できなくても痛みをわかってもらえる。
自分にしかわからないというのはとてつもなく不安だ。
新しいことを始める時とちょっと似ている。初めてのことってわからなさすぎて、どこがわからないかを言葉にすることもできない。だから聞くこともできない。
例えば初めて彼氏とデートした時。
年下でお金がなかった彼が、その日は奮発してお寿司屋さんに連れて行ってくれた。座ったのはカウンター席。私も若かったので緊張していた。
そんな初々しいカップルに店の大将は色々話しかけて盛り上げてくれた。気遣ってくれたんだと思う。でもどんどん機嫌が悪くなる彼。
何かがまずかったんだと思う。でもわからない。何が悪かったんだろう?彼に聞いても「怒ってないよ」と言う。怒った顔で。
経験を重ねた今なら、なけなしのお金をはたいてくれた彼とじゃなく、大将と盛り上がるなんて、絶対アウトだったとわかる。
あの時、そういうのに嫉妬っていう名前があることを知ってたら、ちゃんと対処できたのに。
今だってわからないことだらけだ。
ブログを始めたのはいいけど、教科書通りにやったら苦しくてたまらない。
世の中には教科書通りにやって上手くできる人が多いようだ。ブログアフィリエイト初めて一か月で月収50万円!とか、○○PV達成!とか。みんなすごいな。苦しくないのかな。
最近、この苦しみには「興味ないことをやっている」って名前がついていることを知った。ああだからこんなに苦しかったんだ。やっぱり名前がつくとすごく安心する。それだけで苦しさが消える。
「興味あること」に方向かえてみたけどやっぱりわかんないことばかり。こんなことばかりして何になるんだろう?と毎日が不安だ。でも苦しくない。生きてる感じがする。
空き地で、草や拾ってきた段ボールで秘密基地を作ってた子供時代に戻ったみたいな気がする。方向合ってるんじゃない?
きっと明日もわからないことで頭がぐちゃぐちゃになる。でもきっとそのうち名前が付くから大丈夫、だと思う。
家の近くのコインランドリーに行ったときのこと。
店の外にベンチがあって、そこに黒い毛布のような物体がある。え?何だろう?それがゆらっと揺れた。生きてる!動物?
その動物はゆっくりと立ち上がった。どうやら人間らしい。びくびくしながら、でもしっかり観察すると、ドレッド風の髪を腰までたらし、毛布のようなきれを身にまとったおじさんだった。
もしかして浮浪者?このベンチで寝ていたんだね。うわ怖いなあ。近づかないようにしよう。
昔は浮浪者っていっぱいいたなあ。物乞いのおじさんとか、ちょっと頭のネジのはずれた人とか。今はほとんどみないけど、みんなどこにいっちゃったんだろう?野良犬とかも前はいたけど、今はいたらいけないことになってるもんね。
昔はもっと耐性があったような気がする。浮浪者とかに。今は遭遇することがほとんどないから、恐怖が増してる気がする。物乞いとか野良犬なんて、今の子供たちは見たこともないんじゃないかな。
目にしたことがないものや、知らないものに人間は恐怖を感じるようにできてるらしい。いつも見慣れてるもの、身近に普通にあるものに囲まれていたい習性。だから異質なものを排除したくなる。
社会のルールにはみ出すもの、迷惑をかけるものは外の世界に出てこないようになっている。社会福祉施設とか病院とか保健所とかに隔離されてる。
ちゃんと生活できない老人は老人介護施設に、人とちゃんと関われない人は引きこもりに。
元気で健康でちゃんとした考えの人だけがいてもいい世界。なんかホラーみたいだ。
ちゃんと結婚して、ちゃんと子供育てして、ちゃんと働いて、ちゃんと人付き合いもして、ちゃんと親孝行しないといられない世界。
だから私はいつもびくびくしている。
今の話全然意味わからなかったんだけど、ちゃんと聞いてないかったからかな。
文化祭で残った焼きそば「誰よりもたくさんもらって帰りたい」をちゃんと隠せたかな。
ちゃんと身の程をわきまえているように見えるかな。
息子が高校でテニス部に入った時、先輩のお母さんに飲みに誘われた。あまり試合観戦に行かない私に彼女はこう言った。「息子が勝ったり負けたりするの、ちゃんと見てあげなよ。今しかないんだから。」
あー、そういう「ちゃんと」もあるんだ。いつになったらちゃんとできるんだろう?
家の近所の八百屋さんでフルーツサンドが人気だ。元々果物を得意分野にした八百屋さんなのだが、最近フルーツサンドを売り出したという。聞いたところによるとインスタで人気に火が付いたとか。10時と2時の発売時間には行列ができているらしい。
人口10万人の小さな町で、ホントかな?と思ったがホントだった。その時間に隣の銀行で用事を済ませて出てきたら、店の外まで行列ができていた。
行列ができるほど人気と聞くと興味のなかった人まで買いにいったりするから不思議だ。人が人を呼んで、今ではそこのフルーツサンドは希少価値が非常に高く、誰かにあげたりしたらとてつもなく喜ばれるものになった。

これって八百屋さんのもともと売り物のフルーツを、形を変えて売っているだけなんだよね。果物をフルーツサンドにするって思いつくのがすごいぞ。望月商店。
世の中にはお客さんの目で、長年働いている自分の店を見ることができるという特殊技能を持った人々がいる。旅先で、もやしの根を取りながら店番をするお婆さんや、見たこともない大きな葉っぱの木を新鮮な目で眺めるみたいな感じで。
そんな特殊技能を持った人は、自分の中にあるものも、お客さんの目で見ることができるのかな。いいなあ。
自分とのつきあいが長くなってくると、自分の性格や振舞いに慣れすぎて、もはや自分が何を好きなのかさえよくわからなくなってくる。子供の時はもっとはっきりしていた。良いところもいっぱいあった。でも今は埋没してて全然見えない。
でもなぜか短所には慣れることがなく、むしろより多く見つけるように努力さえしてしまう。その結果、多すぎる欠点をかかえた自分なんかより、他人の方がずっといいものに見えるのだ。
近所に映画館も、ショッピングモールもコンビニもない田舎に住んでいる人は、大都会には何でもあると強い憧れを抱くだろう。映画、お芝居、ライブなどのエンターテイメント、流行のファッション、食の豊富さ。
なぜか満員電車とか、交通渋滞とか、高すぎる生活コストとかには目が行かない。そういう構造になっている。
ふとしたきっかけで、自分の店や自分自身の良さに気付くこともある。誰かに褒められたり認められたりして。でも普通は当たり前すぎてわからないものだ。
私も望月商店みたいになりたいよ。自分の良さを発掘したい。
それにはやっぱりフルーツだな。私にとってのフルーツってなんだろう?ぐるぐるぐるぐる考え込む。店の中の品物を一つ一つじっくり見て回るみたいに。
そして気付くのだ。萎びた野菜しかないことに。フルーツなんて初めからなかったんだ。ちっ、時間の無駄だったな。
萎びた野菜しかないから漬物でも作るか。あれ、でも漬物もいいね。