「自分らしく生きる」ってどんなイメージですか?
- 自分のやりたいことをやっている。
- 毎日を楽しんでいる。
- 周りに左右されない。
私はこんなイメージ。自分らしさって自分が自分をどう思っているか明確になると発揮できるという。
例えば、ハリウッドスターのアーノルド・シュワルツェネッガーは駆け出しのころ、端役のオファーは受けなかったんだって。自分は「主役級の俳優」というアイデンティティーが明確だったんだね。
その後、アイデンティティーの通り、主役として大スターの階段を昇りつめたよねえ。
人はこんな風に、自分のセルフイメージの通りになってしまう生き物なので、シュワちゃんみたいに明確に「自分はどんな人間なのか」がわかっていると、人生は何もしなくてもその通りになって行くのだ。
例えば夫の稼ぎが悪くて暮らせないからと、やりたくない仕事を我慢してやっているという人がいて、そんな生活から抜け出したいと思っているとする。
そんな人は、「社会で活躍する自分」とか「多くの人の役に立つ自分」などのセルフイメージを持っている。そして実は、心の底でやりたいと思っていることを実現しているんだよね。
「夫の稼ぎで暮らしたら、夫に従順でいなきゃならないじゃん。夫には負けたくないから働きたい」とか、「自分は誰かに養ってもらう価値がないから、自分には価値があるって思うために働きたい」とかね。
だから、自分の現状をみると、自分の今のセルフイメージがよくわかるんだ。そして現状を変えたいって思うなら、何をやりたくて今の現状になっているのかを掘り下げて考えてみるといいよ。
「夫に負けたくなかったんだ」ってわかれば、どうして負けたくないのかを掘り下げてみる。小さい時、ケンカでいつも負けていて、勝った方にいじめられたとか、昔のことに起因していることが多い。
傷ついた昔の自分に寄り添って「辛かったね」と言ってあげよう。負けないぞとがんばっていた自分にも「よくがんばったね」といってあげよう。何度も繰り返すうちに悲しさが薄れていくよ。
そしたら夫の稼ぎで食べさせてもらうことに「ありがたいな」とか「幸せだな」とかって気持ちが自然に湧いてくる。そうするとアイデンティティーも変わってくるんだよね。
自分の仕事への感じ方も変わってくるよ。「私は大事にされて当然の人間なのに、この職場の人は私を邪険に扱うなんて変だな」とか、「この職場だと私の魅力をどんな風に発揮できるだろう」とかね。
楽しく働けるようになるかもしれないし、自然な形で仕事を変わることになるかもしれない。
「自分はどんな人間なのか=セルフイメージ」がブレなければ、何が起こってもそのセルフイメージ通りにしかならない。勝手に自動的に自分らしさが強まってしまう。
だから自分を知ることが何より大事なのだ。
今のあなたはどんな現状ですか?
現状に満足していますか?
今から25年前、私は海外旅行にハマっていた。宿も決めずにふらりと行く旅の楽しさったらなかったなあ。基本一人旅だったので、切符を買ったり宿をとったりするのに最低限の英語は必須。必要に迫られて勉強したっけ。
結婚してからは一人旅をしていないけど、いつでも行けるように英語の勉強は続けている。その英語を勉強していてよく思うことがある。
それは、英語では主語がないと文が作れないのに対して、日本語は主語がいらないということ。日本語を英語にする時いつもひっかかる。
言葉は話す人々の性質を表すと言われる。英語圏では主体つまり「私」が大事で、日本では「私」がないのが大事ってことか?
そういえば学校は、暗記や問題の解き方を教わるところだったなあ。手を挙げて発表していいのは、問題の正解。自分の意見を言う機会はないし、むしろみんなと違う意見を言うと煙たがられた。
楽しくても「私今とても楽しいの!」とは言わないのが大人だし、変だと思うようなことも言えない雰囲気が、学校にも職場にも漂ってた。
日本の学校は、なるべく「私」が意見を持たないように教育してるんだろうね。その方が組織で働くのに適しているから。日本人のサラリーマン比率が世界一高いのは、学校の教育が大きい。
でもブログを書いていると、正解がないわけだから「私」がないと何も書けなくなっちゃう。今まで「私」がない方がいい世界に住んでいたから「私」ってなんだ?ってなっちゃうのも当然なんだけど。
自分の考えなんて価値の低いものと思ってたから、「私はこう思う」を言葉にするのはすごくハードルが高かった。こんな価値のないものを言葉にしていいの?って。
でもブログに限らず、自営業者のような自分で稼ぐ人は「私」が必須。ビジネスのような正解がない世界で自分の考えがないと、柱が作れなくて迷うだけだから。
じゃあどうすれば「私は」を身に付けられるかというと
- 「私はこう思う」と普段から口にするようにする。これをやっていると自然に主体が明確になってくる。
- 日常会話に英語を混ぜる。日本語だとつい主語を省略してしまうという場合は、主語がないと文を作れない英語を使うといい。言語には使う人を変える力がある。
- 自分の考えを人に伝えること。ブログを書くのもいいし、友達におしえてあげてもいい。
ちょっと怖いけど3が特に効果があった。自分の中には膨大な知識や経験があるんだけど、価値のないものとしてぐちゃくちゃにほっておかれてある。でもそれらは実はとても価値があったりする。
私の場合は講師をしている料理教室でやってみた。いつもは本部から送られてくる、けっこう難しくて手の込んだレシピで教えてるんだけど、普段自宅で食べている料理に変えた。本部のレシピよりずっと簡単に作れるずぼら料理だ。
「生徒さんはお金を払って料理を習うのに、こんな簡単なレシピじゃ満足しないだろう」そう思ってたのに、生徒さんにすごく喜ばれたのだ。「こんなに簡単にこんなにおいしくできるなんて」って。
それに人に伝えるためには、自分の中の知識や経験を整理して、順序良く並べ替えないとならない。それが良かった。ぐちゃぐちゃのままだととても誰かに見せられないけど、整理すれば気分的に自分の外に出してもOKになった。
自分の柱ができるまでにはまだまだ時間がかかりそうだけど、一歩を踏み出せたような気がして自己満足なのだ。
小さいころよく親に「我が強い子だ」ってイヤーな顔で言われた。だから我が強いのは悪いことだって思ってたけど、自分発信で何かをやりたい場合は超強力な武器になる。「私」があるってことだから。
「私はこう思う」今日も自分の考えファーストで行こう!
テニスをやっている高二の息子の試合観戦に行った時のこと。
秋に開催される新人戦は、高二の息子にとっては最後のシーズン。小、中、高と練習してきたわけだからプレッシャーがかかるのは当然だ。インハイ出場を目指すコーチ陣も圧力をバンバンかけてくる。
しかし息子はプレッシャーに弱い。絶対負けられないと思いすぎてガッチガチになってしまうタイプなのだ。案の定、地区大会の8決めという大事な所でミスを連発して負けてしまった。あーあ、やっぱりダメだったか。がっかり。
そう思ってからふと昔読んだ本の一節を思い出した。
他人は自分を映す鏡だという。大嫌いな自分の一部を「気に入らない人」や「嫌な行動」に姿を変えて出現させていると。
それにあてはめると、私は「プレッシャーに弱い」自分が嫌いだから、息子がそれをやって見せてるってことになる。
そうです。私はプレッシャーに弱いんです。重大な試験を受ける時はいつも、始まったとたん頭がパニックになり何も頭に入ってこなくなったっけ。そんな自分が情けなかった。できるだけ思い出さないように、記憶の隅に追いやっていた。
強い心と弱い心、いつもその二つが自分の中にある。親も先生も強い心になりなさいと言った。弱い心はダメだって。だから弱い心を持っている自分はダメなんだと思い込んでいた。
でも心はボールのようなものだともいう。ボールの反面は強い心、もう半面は弱い心。もし弱い心がなければ強い心もなくなってしまう。だとすると弱い心はあってもいい。いやむしろなきゃダメだ。
いつもダメな自分にOKを出そうとしているけどまだ途中だ。OKを出せてないところもたくさんある。そのOKできない部分が嫌なこととして目の前に現れてくる。
目の前に出てきた嫌なことは全て、その人をもっとよくするために起こってる。
今回は「いつもプレッシャーに負ける」弱い心を認めるために起こってる。
だから私は以下のようにやってみた。
- 弱い心をじっとみつめる。プレッシャーに負けた場面を思い出す。
- プレッシャーに負けた時に親や先生に言われた嫌なことを思い出す。先生に言われたな。「やっぱりお前には無理だと思ってた」って。
- それはもう過去の傷だと想ってみる。腑に落ちるまで。
- 疑ってみるその嫌なことは、もしかしたら勝手な思い込みだったかもしれない。本当はそんなに嫌なこと言われたんじゃなかったかも。
- 「プレッシャーに負けてもいいじゃん」「弱い人間でもいい」と口に出していってみる。
これをやっていけば、もう後は時間が解決してくれるに違いない。私が弱い心を認めたらきっと息子はプレッシャーに負けなくなる...かな?(;´∀`)
昨日御殿場のアウトレットに行った時のこと。
大学生の娘の憧れはGUCCI。以前から黒い小ぶりの肩掛けバックが欲しくてたまらない。でも10万円のお値段にとても手が出ない娘。親の私も、高い学費を負担しているため買ってあげる余裕はなく、いつも「見るだけ」のためにGUCCIに立ち寄っていました。
昨日もいつものように、まずお目当てのバックを拝みにGUCCIに。「ホントに素敵(ため息)よし!似た感じで買えそうなのを他で探すぞ。」娘は気を取り直して他の店へ。
サマンサタバサ、COACH、Jil Sander、Michael Kors...。あちこち見て歩くこと半日。確かに似たバックはけっこうあるんだけど、娘の頭の中にあるバックのイメージを超えるものは中々見つからない。
それでも、アウトレットはぶらつくだけでも楽しい。ランチやカフェも楽しんだし、ウインドウショッピングも満喫したので帰ることに。帰り際にもう一度拝んでいこうと、GUCCIに寄りました。
バックを前に大好きをダダ洩れさせる娘。そんな娘に夫がぽつり。「5回分割でどう?」あまりにも欲しい光線を発する娘に、夫がお金を立て替えてあげるから、後からバイト代で返せばいいよと。
私はどんなに欲しくても借金してまで買いたくないタイプ。娘だってそんな提案は却下だろうなと思ったら、天国に登ったかのように大喜びしたのです。その喜びようと言ったら店の人が驚くほど。
そんな娘を見て、私は思いました、ええ。
こんなに喜んでお金を使う娘は、きっとお金に困ることはないだろうなと。
お金って、天下の回り物とか、使わないと入ってこないとかよく言われる。自分にとってちょっと怖いと思うような金額を出せることが大事だって。
でも私はお金を使うのが怖い。使ったらなくなってしまうと思うから。だから月収3万Byバイトの娘が10万円のバックを買うって、怖くないの?ってびっくりしてしまった。
娘を見てて、お金を使う時の気持ちがすごく重要なんだなって実感した。私は好きなものを買う時でも、引き換えにお金がなくなることに残念な気持ちがある。もっと安く買えたらよかったのに、なんて思って気持ちよくお金が使えないのだ。
でも娘は、大好きなバックが手に入る!お父さん、お母さん、お金貸してくれてありがとう、お金さんありがとう!ほんとにうれしい!と本当に幸せにお金を使っていた。
私がもしお金だったら、流れていく自分に「もっと楽しませて!行かないで!」とすがりつく人より、「楽しませてくれてありがとう、また来てね」と気持ちよく送り出してくれる人の方に絶対また行きたくなる。
だから娘みたいな人の所にお金が入ってこないわけがないなと、腑に落ちてしまった。
本当に欲しいものに気持ちよくお金を使うことが、こんなにも幸せなことなんだなあ。
さあ、私も娘を見習って、本当に欲しいものに大金を使おう。?本当に欲しいものってなんだろう?
ブログのファンはあなたのファン
私はお見合いを何回もして、婚活パーティーにも行き、やっと結婚できたのが30過ぎ。20年前だから当時としてはかなり遅めの結婚だった。
そのせいか婚活ブログが好き。「うんうん、あるある」とか「そんな男絶対やめた方がいい」とか当時のドキドキを思い出して楽しい。結婚相手を探すのも冒険だったなー。
お気に入りのブログはブックマークしてある。歯に衣を着せないものの言い方とか、人間観察が鋭いとか、ダメな自分をさらけ出す潔さとかに弱い。ついブックマークしちゃう。
作者の個性が強ければ強いほど、引き寄せる力が強い。その人の書いたものをまた読みたくなる=ファンになる。
あなたを好きになってもらうには?
ブログを始めたばかりの頃、誰かに読んでもらいたいと思うあまり、誰かの役に立つ記事を書かなきゃと必死だった。自分の書きたくない分野を一生懸命調べて記事にしたり。
でも楽しんで書いていない記事は誰が読んでも楽しくない。楽しい時ってその人らしさがビームのように発散される。だから無理して書いてるブログは書き手の良さが全然伝わらないんだよね。ええ、ほんと1日1pvとか普通でしたから。
しかーし!ファンになってもらうには、私らしい記事を書いて私を好きになってもらうしかない。そのためには・・・・・自分が自分のファンになることだ!
あなたがあなたを扱うのと同じように周りの人はあなたを扱う
なぜかというと、周りの人は自分を映す鏡だから。自分を責めてばかりいる人は、責める人が周りに集まってくるし、自分を褒めてばかりいる人は、褒める人が周りに集まってくる。頭の中で考えていることが現実に現れてくる。
詳しくはこの記事をどうぞ
↓↓↓
みんなどうしてそんなにがんばってるの?潜在意識を使えば楽に生きられるのに。
自分のことを大好きになり価値のある人間として扱えば、あなたを大好きな人が周りに集まってくるというわけ。
努力はいらない
そんなこと言っても私にはそんな魅力ないもん、魅力のある人間になるために努力をしなきゃ、賢くなきゃ、可愛くなきゃ、優しくなきゃ…。そんな風に思っちゃうことあるよね。私もずっとそうだった。
みんな魅力を生まれつき持っていて、それに気付くだけでいい。っていうか魅力的な人はそう考えてるらしい。
詳しくはこの記事をどうぞ⇒苦しい時は「しなきゃならない努力」をやめろ
勉強したり、化粧したり、優しくしたりしなくてもいい。がんばる必要なんてなかった。ただ存在するだけで、ありのままで愛される価値があるって思うだけでいいんだから。
それに欠点も魅力になるっていう考えもあると知って、すごく楽になった。確かに人は欠点で愛されるっていうよね。詳しくはこちらの記事をどうぞ→コンプレックスがあなたの魅力
まとめ
ブログのファンを作るには、回り道のように見えるけど、自分のファンになることが近道。
毒親に育てられた私は、自分のファンになるのにすごーく時間がかかった。そんな人も焦らなくて大丈夫。少しずつ呪文から自分を解き放とう。
自分のファンになると決めさえすれば、ゆっくりでも必ずファンになれる。あきらめずに一歩を踏み出すだけだ。
屋根裏を整理していたら、中学、高校時代のアルバムが出てきた。見るのは20年ぶりぐらい。
小学校では周りの目を気にせず自分の思い通りに行動していたのが、中学に入ると、人からどう見られるかがすごく気になるようになった。だから友人も少なく暗黒の時代だったなあ。
そう思いながらアルバムをひろげると、たくさんの友達の間で何とも楽しそうな私の姿があるじゃないの。???高校を卒業してからの30年で記憶を改ざんしてしちゃった?
思春期の最大の関心事といえば異性。学童期の武器といえる、遊びを考え出したり、人を笑わせるスキルは高かったけど、残念なことに思春期の武器となる女らしさとかきれいに見せるスキルがなかった私。
中学に入ると
もてたい⇒きれいになりたい⇒スキルがない⇒もてない⇒自信ガラガラ
と小学校では人気をゲットできたスキルが役に立たなくなってきたことにじわじわと気づき、モテないことが最大のコンプレックスに。
そのコンプレックスが、中高時代の楽しかった思い出をぜーんぶ記憶のどこかにしまい込んじゃったらしい。思い出は辛かったことばかりという暗黒の時代に塗り替えられていた。
今回アルバムを久々に見て、人間は自分の見たいようにしか見ないんだなと実感。30年も楽しかった青春の出来事を全部しまい込んで、辛かったことだけを思い出してたなんてね~。
そんなやっかいなコンプレックスだけど、実は他人から見ると魅力的なポイントになるということがよくある。
お笑い芸人を見るとよくわかる。デブ、ハゲ、訛りというコンプレックスをウリにした芸人さんは、コンプレックスを完全にネタにして笑いに変えている。
共通しているのは、コンプレックスをちょっと離れて冷静に見ている目線があること。達観しているというか、悩みの渦に巻き込まれていない感じ。
思春期の私は、モテるように見せようとか、気にしていないように見せようと力を使い果たし、とても冷静に見るような余裕はなかったなあ。逆に言うと、隠そうとすることに労力を使わずに、笑いに変える方に力を注げばよかったんじゃない?
人生で一番悩んでいて、誰にも知られたくないとひた隠しにしているものを笑いに変えられるなんて、かっこいい。みんなそう思うんじゃない?あの頃の私に教えてあげたい。
そもそも完ぺきな人間なんて近寄りがたいよね。完璧な人間はいないというけど、みんな自分には欠点があると思ってるんじゃない?だから欠点を持っている人に会うと親近感を感じて距離が縮まったりする。
今コンプレックスを持っていて、隠さなきゃと思ってるなら、こんな視点で自分のコンプレックスを見てみるとみんなに愛されちゃうかもしれないぞ!
あなたの周りには子供のような人がいないだろうか?周りの人の空気も読まず、迷惑も顧みず、好きなことをやっている人。私にはいる。それが両親だ。
とにかくやりたいことに直球で、邪魔されると烈火のように怒る。お互いにやりたいことをやってそれを尊重できればいいんだけど、尊重の仕方を知らない二人。お互いどうして私をバカにするんだと、年中夫婦げんかをしている。
そんな両親が好きになれず、いつも思ってた。「お願いだから早く死んで」
だから子供っぽくやりたいことに直球な自分の性格が、両親、特に母親に似ているように思えてすごく嫌だった。「自分のことしか考えられない自己中心的な人間」なんて絶対に許されない。そんな性格は矯正しなきゃ。
こうして私の中にできた法則が
やりたいことをやる=自己中心的
やりたいことを我慢=思いやりがある。大人。
というもの。
やりたいことをやっちゃだめだと思っていたから、やりたいことやっている人をみるといつもモヤモヤしていたし、子供や猫にもイライラした。「やりたいことに直球」を許せなくて羨ましかったんだよね。
もし、あなたがやりたいことに手が出せないなら、自分勝手な人に振り回されていたのかもしれない。
やりたい放題の人に迷惑をかけられたことがあるのかもしれない。
身近な人にやりたいことを優先されて大切にされなかったことがあるのかもしれない。
でもそのことが原因で、もっと大人にならなきゃと思っているのはものすごくもったいない。
子供の、感情に素直で、好奇心いっぱいで、今を楽しむことに全力投球するという性質こそが、人生をおもしろく豊かにしてくれるものだから。
そして楽しそうにはしゃいでいる人を見ていると、周りの人も幸せな気持ちになるもの。それは自分の楽しかった子供時代を思い出すから。だから純粋にやりたいことにまっすぐな人を応援したくなる。
やりたい放題の憎らしい父は、サラリーマンだったけど仕事は楽しそうだったし、自分勝手な母は小さなお店を始めて今も繁盛している。
自分がやりたいことをやる人生を歩きたいと思った時、両親が許せないことが、自分を超しばってるような気がしてきた。
だから「許せない」気持ちとすっごーく嫌だけど向き合ってみた。それしか先に行けないような気がして。許せなくてもいいから、許せない嫌な気持ちを隠さないで、表に出してあげるようにしてみた。
嫌な気持ちをとことん味わうぞ。ケンカばかりの両親、子供を尊重しない両親、そんな中に育ったんだから許せなくて当然。好きなだけ怒っていい。私は全然悪くない。
そんな風に自分の心を自由にしたら、徐々にだけど許せない気持ちが緩んできた。けっこう時間がかかったけど、私の場合一年くらいで、両親を許さないことでメリットもあったなと気付き、許すも許さないもないなと思うようになってきた。
そのメリットの一つが、
やりたいことをやる=自己中心的
やりたいことを我慢=思いやりがある。大人。
という法則を作って、やりたいことへ挑戦しない自分と向き合わずにすんだこと。
やりたいことをやってだめだったらと思うとものすごく怖かった。それを親のせいにしていたかもなあ。
子供みたいにやりたいことをやっていいと思うようになってからも、長年刷り込んだ「そんなの無理」がいろんな場面で顔を出す。その度に「大丈夫、できる」と言えるようになっただけちょっとだけ進歩だ。
やりたいことができないのは、自分自身の思い込みのせい。そのルーツを探れば、人生がずっと楽しくなる。そして、子供の頃に戻って、自分のやりたいことに直球になろう!
私はがんばり星出身だ。そこは、けっこうがんばっても「もう少しがんばりましょう」と言うのがルールという星。
子供が90点とって大喜びで帰ってきても褒めてはいけない。「10点ミスがあったね。もう少しだね」とできないところに焦点を当てるのがポイントだ。
もちろん両親ともに、生まれも育ちもがんばり星。ルールに忠実に従って私を大切に育ててくれた。
がんばり星出身者の特徴は、がんばってもがんばっても終わりが見えないレースを走っていることだ。何かを達成しても「まだまだ」「ここが足りない」とダメ出しをして満足しない。次へ向けて走り出すのだ。
今の自分に満足せず、スキルアップを続けるがんばり星人。自分と同じようにがんばり続けるよう、周囲の人に働きかけることもがんばり星人の大切な仕事だ。意識高い系と言われ、他の星出身の人達を息苦しくさせてしまうが気付かない。
当然他の星の人達はがんばり星人を避けるようになるので、気付いた時には周囲はがんばり星人ばかりになってしんどくなっていく…。人生が辛くなってくる。
でも、「できないところだけを見るようにする」というがんばり星のルールを破ることは中々できない。「泥棒をしてはいけない」というルールを破るのと同じ感覚だ。
そんながんばり星人でもルールを破る方法がある。
「できないところだけ見るようにしている」ルールで生きていることに気付けばいいのだ。そのために天ががんばり星人に用意してくれているものが、自分を超イラつかせる人だ。
あなたにはいないだろうか?絶対に許せない人、考えるのも嫌な人、消えてくれないかなと思う人。そういう人が出てきた時がルールを破る時なのだ!ラッキー!
とはいえ、超イラつかせる人とは慎重に向き合わなくてはいけない。というか、イラつきと慎重に向き合うことが大事だ。そのあたりはこの記事で詳しく書いてあるので読んでみて。→大嫌いを手放せるとき
自分のイラつきを十分に受け入れてあげたら、この超イラつかせる人がまさにがんばり星人で、「できないところだけ見るようにしている」自分を映し出す鏡のような役割をしているとわかってくるだろう。
そんな自分に寄り添い、「よしよし」をしてあげよう。がんばり星に生まれたんだから、「できないところだけ見る」しかできなくても仕方ないよね。そんなメガネをかけて長い間よくがんばってきたよね。誰も褒めてくれなくてさみしかったね。
でももう大丈夫。自分で自分を褒めてあげれば、もうさみしくない。24時間ずっと一緒にいる自分に褒めてもらえるんだから。
一回褒めただけでは変わらないけど、自分を褒めつづけると確実に生きづらさが減ってくる。がんばれなくてもまあいいかと思えるようになる。
がんばらなくちゃお金は入ってこないと思っていたけど、心が平和で満ち足りる時こそお金も愛情も入ってくる。だからまず自分を自分の愛情で満たしてあげなきゃね。
子供たちの母校の小学校でドッチボール大会があり、ボランティアでお手伝いに行ったときのこと。
ゲームのタイムキーパーが今日の私の仕事。かわいい子供のプレイについ気をとられてしまうので、意外と大変な仕事なのです。どーん。
ゲームの合間にグランドの隅で休憩をとっていると、隣にとても素敵なカゴバックを持った、60代とおぼしき婦人がやってきました。そのバックはラフに編まれたサワグルミでできていて、私の好みにドンピシャ。
そしてその持ち主の婦人がすごくすてきな「グレーヘアー」だったんです。
実はちょっと前から10年近く続けてた白髪染めをやめたいと思っていたのです。こちらの記事で詳しく書いています。でも「老けて見えるよな~」「みんな染めてるしな」と決心できずにいました。
なのでこの婦人を見て、「いいなー、こんな風になりたい」と強く思い、とうとう白髪染めをやめることができたのです(^^♪
そこで思ったのは、「もしかして、今まですてきなグレーヘアーのイメージがなかったから踏み出せなかったのでは?」ということ。白髪まじりの髪は「老けて疲れた」イメージで、そんな風にはなりたくないとブレーキがかかっていたのかも。
いいイメージを自分に重ねあわせて、こんな風になれるならやりたい!と思った時、初めて動き出せるんですね。
だからもしあなたが、やりたいことに一歩踏み出せないなら、やりたいことを実現した時のイメージが良くないのかもしれません。もしくは漠然としていてイメージできていないのかも。
例えばネイリストになりたいと思っていたとして、身近なネイルサロンの人がいつも忙しく余裕がなさそうだと、ネイルが好きでも仕事にしたら楽しくなさそうと尻込みしてしまったり、
ネイリストの仕事を本やテレビなどで断片的に知っているだけで、リアルに想像できなかったりしているのかも。
そんな時は自分の理想のネイリストを探すことがスタート。まずそれには自分はどんなネイリストになりたいのか、わかっていないと探せません。
入りたいサロンがあるのか、自宅サロンを開きたいのか、ユーチューブなどで発信したいのか、どんなお客さんに囲まれたいのか、どのくらい稼ぎたいのか…。
それらを意識すればするほど、理想のネイリストは見つかりやすくなります。理想の人が見つかり、そのイメージを自分と重ね合わせれば…もうじっとしていられなくなるでしょう。あとはその人のまねをすればいいだけです。
わたしの場合、白髪染めをやめてから、すてきな「グレーヘアー」の婦人に会うことがないので、日々けっこう悩みます。「あ、伸びてきたな。老けるかな?」って。そんな時、あの婦人の写真だけでもとっておけばよかったなと思います。
だからできたら、理想の人とは常につながっているといいと思います。もし著名人とかなら、SNSや著書などで常にその人に触れられるようにしておくと、迷った時や、壁にぶつかった時、助けになるんじゃないかな。
あなたのやりたいことは何ですか?
こんな人になりたいと思う人はいますか?
今日もあなたを応援しています。
台風一過で暑さを盛り返してしまった8月の終わり。あまりの暑さに近所のドトールに避難してきた。朝の10時だというのにほぼ満席なのには驚いたが、何とか席を確保しパソコンを開く。
ふととなりを見ると、年のころは50歳くらいの女性が付箋をいっぱいつけた本を左に置き、右側のノートにびっしり何かを書きつけている。
ふと正面を見ると30代くらいのガテン系の男性が、何かの資格試験の資料を広げ、必死にノートを取っている。
見れば一人空けてその隣も、私の背後の人も、社会人らしいが勉強している。もちろん学生らしい子もいる。やはり教科書を開いて勉強している。
今日は日曜日の午前中だよな?なんかすごいことになってるぞ、ドトール。
いかにも仕事を持っていそうな大人が、日曜日の午前中にこんなに勉強してるなんて。
勉強することはいいこと。人間は元々は何も知らないから、勉強して頭を良くしたり、物を知っていた方がいい。そうすればいい仕事につけるし、高いお給料がもらえる。
というのが日本の常識。だからこんなに多くの人が休みを削って勉強しているんだろう。
でも頭が良くなければいい会社に入れないとか、資格がなければいい仕事ができないと思って勉強していると、間違いなく楽しくない。
そもそもいい会社とかいい仕事ってなんだろう?
それはたいてい高給だったり、人気のある仕事だったりってことが多い。そういう人の目線を自分の感覚より重視しちゃうと、自分の人生なのにものすごく不自由になってしまう。
例えば自分がダンサーになりたいと思っていても、世間から水っぽい仕事だとか、堅気の仕事じゃないとか言われてそれをあきらめちゃうなら、自分の思い通りに生きてないんだから全然自由じゃないよね。
人はやりたいことを自由にできる時に幸せを感じるものだ。誰かにやりたくない事をさせられることほど楽しくない事はない。
じゃあやりたいことは教科書にあるのか?本に書いてあるの?
その人のやりたいことは、生まれた時からその人の中にある。だからどんなに勉強してもその中に見つけることはできない。やりたいことをやるために勉強するならそれは楽しいはず。
資格取得や試験、受験などのために勉強を頑張っているあなた、その勉強は楽しいですか?楽しいならそれはあなたのやりたい事だ。
もし楽しくないなら、その勉強はあなたを幸せにしない。あなたを幸せにするものはあなたの中にしかない。勉強をやめて自分の心に聞いてみよう。