好きを見つけるには、自分の小さな「好き」を日々の生活の中で大事にするといいという記事を先日書きました。⇒好きなことの見つけ方 ステップ1
「好き」のセンサーは敏感になってきましたか?
敏感に「好き」を感じ取れるようになったら、次のステップはリストアップです。
あなたには、子供のころから社会人になるまで体験したことで、充実してたなー、楽しかったなーと思った出来事があると思います。まず、それを思い出せるだけリストアップしてみましょう。
なぜかというと、今でも心に残っている楽しかった出来事には、あなたの「好き」のエッセンスがつまっているからです。一見バラバラに思える出来事かもしれませんが、並べてみるとあなたの好きなことが浮かび上がってくるのです。
自分でも気付かないことを探るなんて、ホームズみたいですね。ワクワクするのは私だけでしょうか。
私のをいくつか例に出してみましょう。
- 小学生の時、休み時間に変顔や変踊りをしてクラスのみんなを笑わせたこと。
- 中学生の時、仮装大賞のオーデションに行ったこと。
- 砂漠をラクダで旅したこと。
リストアップできたら、その出来事の共通点を探します。それぞれの出来事の中の何が楽しかったのか、を探ってみるのです。以下の項目を参考にすると探しやすいです。
- 自分を表現して人に見てもらったこと?(アーチスト気質)
- 自分のアイデアが形になったこと?(クリエイター気質)
- 問題を解決したこと?(問題を解決する人)
- みんなの先頭に立ったこと?(リーダー気質)
- 難しいことや新しいことに挑戦したこと?(チャレンジャー気質)
- 誰かと一緒に何かを成し遂げたこと?(サポーター気質)
- みんなの意見をまとめたこと?(まとめ役気質)
- 何かを作ったこと?(物を作る人)
- 新しい人と交流したこと?(コミュニケーター気質)
- 誰かに寄り添い、励ましたこと?(ヒーラー気質)
私の例で考えて見ると…。
- 変顔で友人を笑わせていた時、私は「自分を表現して人に見てもらう」ことが楽しかった。うけるかどうかはいつも「チャレンジ」で、うけると超楽しかった。
- 仮装大賞は仲間と「アイデアを練って形になっていく」のが楽しかった。遠くまでオーデションを受けに行くという「チャレンジ」がワクワクした。
- サハラ砂漠では、言葉も通じないラクダ使いのおじさんと二人きりで一泊二日の旅という「誰もやりそうにないことにチャレンジする」のが楽しかった。
こんな風に色々と楽しかった要素を書き出してみるのです。私の場合、共通項として出てくるのは「チャレンジ」でした。
やってみていかがでしたか?
自分の楽しかった経験の、どの要素に心を動かされたのかを細かく因数分解すると、自分の好きなことの本質が見えてきませんか?
例えば「自分を表現して、人に見てもらう」のがあなたの好きの本質だって気付いたら、案外すぐ近くにやりたいことが見つかるかもしれません。
「無理無理、何言ってんの」と必ず心が言うでしょう。でもめげてはいけません。魔法のつぶやきでかき消してしまいましょう。こちらの記事に詳しく書いています。⇒好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーにお金を稼ぐ
次回は「好きなことの見つけ方」ステップ3です。
大型の台風24号が全国ツアーを終え、一晩明けた今朝のこと。
「夕べは一晩中、雨風がひどかったけど、静かになってるから行っちゃったんだな。よかった。」そう思いながらカーテンを開けると、窓ガラスに無数の木の葉がへばりつき、デッキや庭、家の前の道路が大量の枝や葉っぱで埋め尽くされていた。
「これからこの大量の葉っぱを片づけるのか…」さっきまで台風一過で晴れやかな気分だったのに、外を見たとたんにげんなりしてしまったんです。
あなたもこんな風に、目の前の出来事に気分が左右されることってありませんか?
私は今も左右されまくりです。でも思考が現実を作ることを知った今は、心を観察するようになりました。
今日も「あ、今私は嫌な気分になったな」とげんなりした自分を観察しました。現実に起きているのは、「大量の葉っぱが道路や庭にある」という事で、それ自体にいい、悪いの要素はありません。
じゃあなぜ私は嫌な気分になったのか?それはこの現実から引き起こされる嫌な面を見たから。「掃除で半日以上潰れちゃう、やりたいこと他にあるのに」「暑くてやりたくない」「日焼けしちゃう」などです。
物事には必ずいい面と悪い面があります。いい面を見るように自分を変えることで、自分の周りの世界を変えることができる、というのが「引き寄せの法則」です。
そんな法則を知らなかった時は、そのまま不機嫌な状態で掃除をして不機嫌な一日を過ごしていたのでした。でも今の私は違います。エッヘン。この出来事のいい面を探してみました。
「曇った窓ガラスをきれいにするいい機会だ」「葉っぱや土や草っていう自然といちゃいちゃできる」「道路を掃きながら近所の人と交流できるかも」っていうのが浮かんできました。
いい面が浮かんできたのでさっそく導入してみました。もちろんその方がずっといい気分。「窓ガラスピカピカで、心の曇りもとれたわー」「色んな形の葉っぱがあるなあ」上々の気分で掃除をすることができました。
でも私の心はちょっとするとすぐ文句を言います。日が昇って暑くなると「暑くて嫌だ」やぶ蚊に刺されると「10か所以上刺されちゃったよ!最悪」って。そんな文句ったれの心も許してやりました。しょうがないよね、人間だもの。
嫌な気分になった時は、出来事のネガティブな面を選択して心が動いたということ。選択肢を変える絶好の機会です。
もしあなたが嫌な気分になった時、以下のことを自分に問いかけてみてください。
- 心はどんな状態なのか?
- 何に反応したのか?
- 反応した出来事によって引き起こされるいい面と悪い面は?
- いい面を選んだらどんな気分になるか?
4までやってみたら、いい気分の方を選んでみてください。そしてもし嫌な気分をいい気分に変換できたら、必ず自分をベタボメしてみてくださいね。
「○○ってばやるな~、中々気持ちって切り替えられないのにホントすごいわ」
「その調子なら、何でもうまくいくんとちがう?○○天才だわ」
「昨日の○○よりずっと楽しそうやん、仲良くしてほしいわ」
褒めて褒めて、どんどん調子にのらしちゃいましょう。いい気分になって、たのしい現実を引き寄せましょう。
ちょっと前、朝9時から夕方6時までパートに出ていた時、とにかく忙しかった。
出勤前に洗濯、掃除、朝ご飯の用意、片付け、子供の弁当作り、夕ご飯の下ごしらえをしなきゃいけない。帰ってきたら夕飯の用意、片付け、洗濯をたたんだら大急ぎで子供を塾や夜練習に連れていかなきゃならない。
やらなきゃならないことが山のようにあって、いつも次は何をするかって考えていた。どうしてあんなことできてたんだろうって思うくらいの過密スケジュールだったなあ。
やらなきゃいけないことって、やらなければ悪いことが待っている。だから悪いことが起こらないようにやらなきゃいけない。
ご飯を作らなきゃお腹が減って死にそうになる。片付けをしなきゃ家が汚れて嫌。洗濯をしなきゃ着る服がなくなる。子供を塾に連れて行かなきゃバカになる。
やらなきゃならない事をやっていたから、いつも楽しくなかった。焦燥感があって苦しかった。
パートをやめて、乱れていた心を整え始めたら、ご飯を作るのが楽しくなった。部屋がきれいになるのは気持ちいい。洗濯物を干す時に、鳥の声とか風とか太陽とか感じる余裕ができた。塾や夜練の送り迎えは子供といちゃいちゃできる時間。
心の焦点を「ない」方にあてるか、「ある」方にあてるかで、見えてくる世界が180度違う。「ある」に焦点を当てると心があたたかく、ふわっとしてくる。
毎日あたたかい心で過ごせるようになってきたら、心があたたまる事ばっかり起こる。今の気持ち、フィーリングが、未来を作るって本当だ。
もしあなたが締め付けられるような苦しさで何かをやっている時は、やらなきゃいけない事をやっている時。「ない」に焦点をあてている時。
でも、それでいいんだよ。
今はそうしかできないんだから。今は「ない」に焦点を当てたいんだよ。不毛だってわかっててもやりたいんだよ。ばかだってわかっててもやめられないんだよ。しょうがないじゃん、だって人間だもの。
自分で心ってコントロールできない。だから、心のやりたいようにさせてあげよう。「自分の意識ではコントロールできないものがある」って降参して、天に任せる。実は降参すると天はあなたの代わりに人肌脱いでやるかという気持ちになるようなんです。
詳しくはこちらの記事をどうぞ↓↓↓
みんなどうしてそんなにがんばってるの?潜在意識を使えば楽に生きられるのに
天(潜在意識)を信じるのはバカらしいようにも、雲をつかむようにも感じるかもしれないけど、現状がどうにもならないと思っている今だからこそ、その概念に会ったのかもしれない。
タイミングって、縁って、本当に不思議だけど必然なんだよね。あなたが今このブログを読んでくれていることも、必然なんだと思います。
うまくいってないって思っている今、降参してみてください。
「降参ってどういうこと?」「潜在意識って何?」などなど
疑問がありましたらここに質問してねーー。⇒質問はこちらへ
こんにちは。とびらです。
最近又「アルケミスト」を読んでいます。スペインに住む羊飼いの少年が宝物を探しにエジプトまで旅をするストーリーで、夢を追いかけることのすばらしさを物語にしたものです。
大好きな本で何度読んでも発見があります。今回私の琴線にひっかかったのは、物語の後半、ピラミッドにあと少しの所までやってきた少年が、砂漠で自分の心の声を何日も聞くシーン。
心は勝手なことばかり言って少年を困らせるのですが、彼を指導するアルケミストは「お前の心があるところが、宝物を見つける場所だ。だから心が言わねばならない事を聞き続けなさい」と言うのです。
人と人の心は分かれていて、心は宝物と繋がっている。これって夢を追いかける時にすごい重要なことだなーって思ったのです。
あなたが夢を追いかけようと決断すると、心は「そんなことできないよ」「無理無理、やめとけ」って必ず言ってきます。詳しくはこちらの記事をどうぞ。⇒「好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーに稼ぐ」
ではそもそも心はなぜ、じゃまをするんでしょうか?
実はあなたの心はすごく怒っているんです。反抗期の子供みたいにすねているんです。なぜ怒っているんでしょう?
小さい時、「これがやりたいんだ」と言って親や学校の先生に「そんなことしちゃだめ」「もっと常識的に生きろ」って言われませんでしたか?やりたいことを他人に勝手にやめさせられるのって、すごく嫌ですよね。
でも親や先生の言う事を聞かずにやりたいことをやっても良かったんです。そういう子も確かにいましたよね?その時やらないって決めたのはあなたなんです。
「やっていいんだぞ」って言ってあげましたか?親や学校の先生に迎合して、一緒になって「やっちゃだめだ」って言いませんでしたか?それを何度も何度もやりませんでしたか?
だからあなたの心はあなたに超怒ってるんです。「なんで僕の言う事を尊重してくれなかったの」「なんで他人の言う事を優先したんだ」って。何年もずっとそうされてきたから、もう拗ねてる。
だからあなたがようやく決心して、今日から「心の言うとおりにするよ、君のやりたいことをやろう」って言うと「はあ?何言ってんの?今更。」「ばかじゃない?そんなことできるわけないじゃん」って反抗してくる。
ぐれた子供のような感じです。「さんざん私のことないがしろにしていたくせに。」と長い間の恨みつらみをぶつけてくる。
だから心を癒してあげないと。
まずは心の言う事をよく聞いてあげよう。心は昔のことを根に持っています。「あの時ホントはこうしたかったのに、何でやらせてくれなかったんだよ!」「進学だって、就職だってチャレンジさせてくれなかったじゃないか!」
そしたら心から謝ろう。「ごめんね、あの時は本当はこうしたかったけど、勇気がなかったんだよ。親に嫌われるのが怖かったんだ。私が悪かったんだ。いつも無視しててごめん、うそついててごめん。もっとのびのび生きたかったんだよね。」
心は、あなたと生まれた時から一緒で、この先も死ぬまでずっと一緒。しかも一時も離れることがない相棒なんですよね。今まであまり意識もせず、邪険にあつかってきたかもしれません。でもそれは仕方のないこと。謝ればいいのです。
今までつきあってくれたことに「ほんとにありがとう」って言ってあげましょう。
そうすると時間はかかるけど、心はだんだん態度を軟化してきます。「やりたいことやってもいいよ」って言ってくれるようになると、あなたが成功するのに、もう制限はなくなります。
その時、あなたの欲しいもの、宝物はもう目の前にあるのです。
前回「好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーにお金を稼ぐ。」という野望について書きました。こちらの記事です→好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーにお金を稼ぐ。
「甘いこと言ってんじゃねえ!」と罵倒する人は多いと思うのですが、きっとあなたは「それいいなー♡」とときめいているのでは?だからこの記事を読んでくださっているのですよね♡
では今日は一歩進んで、好きなことをどんな風に見つけるか、を考えていきましょう。
「好きなことでお金を稼ぐ」と言っても、「好きなことが見つからない」とか、「色々ありすぎて選べない」とか思っていませんか?私はずっとそうでした。っていうか今も模索中。
まず「好きなことが見つからない」時って、私の経験からすると、自分に我慢させてる。食べたい料理より安い料理、着たい服より無難な服、やりたいことよりしなきゃならない事。毎日これを積み重ねて、好きのセンサーが働かなくなってしまっている。
こんな人は、食べたい料理、着たい服、やりたいことを選んでみよう。
一番安いランチを頼んでいるなら、スペシャルランチに変えてみて、和栗のモンブランのデザートもつけてみたり。
朝起きたら、その日の気分で何を着たいのか真剣に考えてみたり。
誘われた飲み会、本当に行きたい?断りづらいからじゃない?って自分に聞いてみたり。
私は自分の「好き」は超ないがしろにする人間でした。ランチは安さが勝負で、家で食べる時はいつも残り物。若いころは大好きだった洋服も、目立たなくて寒くない(暑くない)服ばかり選んでたし。
飲み会やランチも、行かないと仲間になれないとか、もう誘ってもらえないかもという不安から行ったりして…。いつも行った方がいいかな?ばっかり考えて、自分がどうしたいのか考えないようにしてましたね。ハイ。
そんなことばっかしてたら、だんだん自分には何の価値もないように感じるようになってしまった。好きなことを一番身近な自分が全然聞いてあげないんだから、毎日無視されてるみたいなもんで、今思うとそうなって当然だった。
だから自分の「好き」を大事にすることはめっちゃ大切なんだ!
「好き」を日常に組み込んでみると、すごく鈍かった好きのセンサーが敏感になってくる。最初は何にでも反応しちゃうのであれもこれも「好き」に感じる。それが「色々ありすぎて選べない」状態だ。
「色々ありすぎて選べない」時はこれ好きかな?ってちょっとでも思ったら、とにかくやってみる。ブログで発信するのもいいし、服や料理など作るのが好きなら、作って売ってみたり、インスタに上げてみたり。
実際にやってみると、楽しく続けられるのとそうじゃないのがあるのがわかってくる
。好きなものはずっと続けられるけど、そうでもないのは続けるうちに苦しくなってくる。
ここで大事なのはこの時点で、「どうやったらこれで稼げるかな」とか、「どうやったら集客できるかな」ということは考えないこと。それをやるととたんに苦しくなって、好きなのか嫌いなのかわからなくなるぞ。
私なんてそれやっちまって、苦しくて3か月くらいブログを更新できなかったもん💦今の段階では、とにかく自分の「好き」を追いかけて「好き度」を探るのだ。
好きなことなら何時間費やしても苦にならないし、むしろやめたくても止められないものだよね。
「好き」を探求する道はそれ自体が楽しい。心の底で楽しいと思っていれば、その近い未来には楽しい世界が現実化するという法則がある。だから安心して「好き」を追いかけていいんだよーーーー!(^^)!
好きなことの見つけ方 ステップ2へ続く
私の野望は、「好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーにお金を稼ぐ。」です。何の特技も資格もない、50オーバーの専業主婦の私が言ったら殺されそうでしょうか?
夫はたくさん稼いできてくれてホントありがたい。でも私が好きなことをやればやるほど、もっと豊かになるから、夫に恩返しができると思うんですよね。
こう言うと私の頭の中でぼそぼそっと声がする。
「もう十分持ってるならいいじゃん、欲が深いよ」
「そういうの贅沢っていうんだよ、生活に困ってる人に殺されるよ」
「好きなことで楽に稼いだりできるわけないじゃん、ただの主婦に」
実はこのぼそぼそっていう心の奥底からのつぶやきが、未来の自分を形成しているという。いくら願いを口にしても、つぶやきがそれをかき消してしまうと。
確かにずいぶん前から「好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーにお金を稼ぐ。」と願っているけど実現していないな。ホントかもしれない。じゃあどうすればいいの?
心のつぶやきが願いをかき消してしまうなら、心のつぶやきを別の言葉でかき消してしまおう!
ということで、私が始めたのはぼそぼそが聞こえてきたら、それをかき消す言葉を念仏のように唱えるというもの。自分の腑に落ちる言葉なら何でもいいらしい。私は人づてに聞いた、以下の10の言葉を念仏にしている。
- 愛してます
- ツイてる
- うれしい
- 楽しい
- 感謝してます
- 幸せ
- ありがとう
- 許してます
- きれいですね
- ありがとうございました
簡単で誰でも知っている言葉だけど、どの言葉も私の心をあたたかくしてくれて、とっても癒される。幸せな気分になれるので、ぼそぼそが聞こえない時も唱えることにしている。
幸せな気分で願うというのも重要なポイントだ。
例えば次の二つのうち、願いが叶うのはどちらでしょう?
1「月10万稼がないと住宅ローンが返せない、住む家がなくなっちゃう。」と悲壮感に満ちて願う。
2「月10万あれば、大好きな服を思いっきり買える!(^^)!♡」と幸せいっぱいで願う。
正解は修羅のごとくあきらかなのだが2である。
なぜなのかというと、「心の奥底からのつぶやきが、未来の自分を形成している」という原則があるから。
1の場合、心の奥底では「住む家がなくなっちゃう」と辛い状況を想像している。だから未来でそれが実現してしまうのだ。
2は「大好きな服を思いっきり買える!(^^)!♡」と楽しい状況を想像しているので、それが実現することになる。
願いを叶えるために必要なのは、
- 考え方
- 在り方
- ノウハウ
なのだが、考え方と在り方が8割を占めるらしい。だから考え方を整えるのは願いを叶える近道なのだ。
ノウハウはたったの2割。それって何のノウハウも持たない主婦にはすごい朗報じゃない?考え方と在り方を身に付ければ、もう夢が叶ったも同然。フフフ。
だから私は「好きなことで誰かに喜ばれて、ラクーにお金を稼ぐ。」ために今日も念仏を唱えている。
願いを叶えたいあなた、脳内でいいことばっかり想像して、頭の中を幸せオーラでいっぱいにしよう!
「自分らしく生きる」ってどんなイメージですか?
- 自分のやりたいことをやっている。
- 毎日を楽しんでいる。
- 周りに左右されない。
私はこんなイメージ。自分らしさって自分が自分をどう思っているか明確になると発揮できるという。
例えば、ハリウッドスターのアーノルド・シュワルツェネッガーは駆け出しのころ、端役のオファーは受けなかったんだって。自分は「主役級の俳優」というアイデンティティーが明確だったんだね。
その後、アイデンティティーの通り、主役として大スターの階段を昇りつめたよねえ。
人はこんな風に、自分のセルフイメージの通りになってしまう生き物なので、シュワちゃんみたいに明確に「自分はどんな人間なのか」がわかっていると、人生は何もしなくてもその通りになって行くのだ。
例えば夫の稼ぎが悪くて暮らせないからと、やりたくない仕事を我慢してやっているという人がいて、そんな生活から抜け出したいと思っているとする。
そんな人は、「社会で活躍する自分」とか「多くの人の役に立つ自分」などのセルフイメージを持っている。そして実は、心の底でやりたいと思っていることを実現しているんだよね。
「夫の稼ぎで暮らしたら、夫に従順でいなきゃならないじゃん。夫には負けたくないから働きたい」とか、「自分は誰かに養ってもらう価値がないから、自分には価値があるって思うために働きたい」とかね。
だから、自分の現状をみると、自分の今のセルフイメージがよくわかるんだ。そして現状を変えたいって思うなら、何をやりたくて今の現状になっているのかを掘り下げて考えてみるといいよ。
「夫に負けたくなかったんだ」ってわかれば、どうして負けたくないのかを掘り下げてみる。小さい時、ケンカでいつも負けていて、勝った方にいじめられたとか、昔のことに起因していることが多い。
傷ついた昔の自分に寄り添って「辛かったね」と言ってあげよう。負けないぞとがんばっていた自分にも「よくがんばったね」といってあげよう。何度も繰り返すうちに悲しさが薄れていくよ。
そしたら夫の稼ぎで食べさせてもらうことに「ありがたいな」とか「幸せだな」とかって気持ちが自然に湧いてくる。そうするとアイデンティティーも変わってくるんだよね。
自分の仕事への感じ方も変わってくるよ。「私は大事にされて当然の人間なのに、この職場の人は私を邪険に扱うなんて変だな」とか、「この職場だと私の魅力をどんな風に発揮できるだろう」とかね。
楽しく働けるようになるかもしれないし、自然な形で仕事を変わることになるかもしれない。
「自分はどんな人間なのか=セルフイメージ」がブレなければ、何が起こってもそのセルフイメージ通りにしかならない。勝手に自動的に自分らしさが強まってしまう。
だから自分を知ることが何より大事なのだ。
今のあなたはどんな現状ですか?
現状に満足していますか?
今から25年前、私は海外旅行にハマっていた。宿も決めずにふらりと行く旅の楽しさったらなかったなあ。基本一人旅だったので、切符を買ったり宿をとったりするのに最低限の英語は必須。必要に迫られて勉強したっけ。
結婚してからは一人旅をしていないけど、いつでも行けるように英語の勉強は続けている。その英語を勉強していてよく思うことがある。
それは、英語では主語がないと文が作れないのに対して、日本語は主語がいらないということ。日本語を英語にする時いつもひっかかる。
言葉は話す人々の性質を表すと言われる。英語圏では主体つまり「私」が大事で、日本では「私」がないのが大事ってことか?
そういえば学校は、暗記や問題の解き方を教わるところだったなあ。手を挙げて発表していいのは、問題の正解。自分の意見を言う機会はないし、むしろみんなと違う意見を言うと煙たがられた。
楽しくても「私今とても楽しいの!」とは言わないのが大人だし、変だと思うようなことも言えない雰囲気が、学校にも職場にも漂ってた。
日本の学校は、なるべく「私」が意見を持たないように教育してるんだろうね。その方が組織で働くのに適しているから。日本人のサラリーマン比率が世界一高いのは、学校の教育が大きい。
でもブログを書いていると、正解がないわけだから「私」がないと何も書けなくなっちゃう。今まで「私」がない方がいい世界に住んでいたから「私」ってなんだ?ってなっちゃうのも当然なんだけど。
自分の考えなんて価値の低いものと思ってたから、「私はこう思う」を言葉にするのはすごくハードルが高かった。こんな価値のないものを言葉にしていいの?って。
でもブログに限らず、自営業者のような自分で稼ぐ人は「私」が必須。ビジネスのような正解がない世界で自分の考えがないと、柱が作れなくて迷うだけだから。
じゃあどうすれば「私は」を身に付けられるかというと
- 「私はこう思う」と普段から口にするようにする。これをやっていると自然に主体が明確になってくる。
- 日常会話に英語を混ぜる。日本語だとつい主語を省略してしまうという場合は、主語がないと文を作れない英語を使うといい。言語には使う人を変える力がある。
- 自分の考えを人に伝えること。ブログを書くのもいいし、友達におしえてあげてもいい。
ちょっと怖いけど3が特に効果があった。自分の中には膨大な知識や経験があるんだけど、価値のないものとしてぐちゃくちゃにほっておかれてある。でもそれらは実はとても価値があったりする。
私の場合は講師をしている料理教室でやってみた。いつもは本部から送られてくる、けっこう難しくて手の込んだレシピで教えてるんだけど、普段自宅で食べている料理に変えた。本部のレシピよりずっと簡単に作れるずぼら料理だ。
「生徒さんはお金を払って料理を習うのに、こんな簡単なレシピじゃ満足しないだろう」そう思ってたのに、生徒さんにすごく喜ばれたのだ。「こんなに簡単にこんなにおいしくできるなんて」って。
それに人に伝えるためには、自分の中の知識や経験を整理して、順序良く並べ替えないとならない。それが良かった。ぐちゃぐちゃのままだととても誰かに見せられないけど、整理すれば気分的に自分の外に出してもOKになった。
自分の柱ができるまでにはまだまだ時間がかかりそうだけど、一歩を踏み出せたような気がして自己満足なのだ。
小さいころよく親に「我が強い子だ」ってイヤーな顔で言われた。だから我が強いのは悪いことだって思ってたけど、自分発信で何かをやりたい場合は超強力な武器になる。「私」があるってことだから。
「私はこう思う」今日も自分の考えファーストで行こう!
テニスをやっている高二の息子の試合観戦に行った時のこと。
秋に開催される新人戦は、高二の息子にとっては最後のシーズン。小、中、高と練習してきたわけだからプレッシャーがかかるのは当然だ。インハイ出場を目指すコーチ陣も圧力をバンバンかけてくる。
しかし息子はプレッシャーに弱い。絶対負けられないと思いすぎてガッチガチになってしまうタイプなのだ。案の定、地区大会の8決めという大事な所でミスを連発して負けてしまった。あーあ、やっぱりダメだったか。がっかり。
そう思ってからふと昔読んだ本の一節を思い出した。
他人は自分を映す鏡だという。大嫌いな自分の一部を「気に入らない人」や「嫌な行動」に姿を変えて出現させていると。
それにあてはめると、私は「プレッシャーに弱い」自分が嫌いだから、息子がそれをやって見せてるってことになる。
そうです。私はプレッシャーに弱いんです。重大な試験を受ける時はいつも、始まったとたん頭がパニックになり何も頭に入ってこなくなったっけ。そんな自分が情けなかった。できるだけ思い出さないように、記憶の隅に追いやっていた。
強い心と弱い心、いつもその二つが自分の中にある。親も先生も強い心になりなさいと言った。弱い心はダメだって。だから弱い心を持っている自分はダメなんだと思い込んでいた。
でも心はボールのようなものだともいう。ボールの反面は強い心、もう半面は弱い心。もし弱い心がなければ強い心もなくなってしまう。だとすると弱い心はあってもいい。いやむしろなきゃダメだ。
いつもダメな自分にOKを出そうとしているけどまだ途中だ。OKを出せてないところもたくさんある。そのOKできない部分が嫌なこととして目の前に現れてくる。
目の前に出てきた嫌なことは全て、その人をもっとよくするために起こってる。
今回は「いつもプレッシャーに負ける」弱い心を認めるために起こってる。
だから私は以下のようにやってみた。
- 弱い心をじっとみつめる。プレッシャーに負けた場面を思い出す。
- プレッシャーに負けた時に親や先生に言われた嫌なことを思い出す。先生に言われたな。「やっぱりお前には無理だと思ってた」って。
- それはもう過去の傷だと想ってみる。腑に落ちるまで。
- 疑ってみるその嫌なことは、もしかしたら勝手な思い込みだったかもしれない。本当はそんなに嫌なこと言われたんじゃなかったかも。
- 「プレッシャーに負けてもいいじゃん」「弱い人間でもいい」と口に出していってみる。
これをやっていけば、もう後は時間が解決してくれるに違いない。私が弱い心を認めたらきっと息子はプレッシャーに負けなくなる...かな?(;´∀`)
昨日御殿場のアウトレットに行った時のこと。
大学生の娘の憧れはGUCCI。以前から黒い小ぶりの肩掛けバックが欲しくてたまらない。でも10万円のお値段にとても手が出ない娘。親の私も、高い学費を負担しているため買ってあげる余裕はなく、いつも「見るだけ」のためにGUCCIに立ち寄っていました。
昨日もいつものように、まずお目当てのバックを拝みにGUCCIに。「ホントに素敵(ため息)よし!似た感じで買えそうなのを他で探すぞ。」娘は気を取り直して他の店へ。
サマンサタバサ、COACH、Jil Sander、Michael Kors...。あちこち見て歩くこと半日。確かに似たバックはけっこうあるんだけど、娘の頭の中にあるバックのイメージを超えるものは中々見つからない。
それでも、アウトレットはぶらつくだけでも楽しい。ランチやカフェも楽しんだし、ウインドウショッピングも満喫したので帰ることに。帰り際にもう一度拝んでいこうと、GUCCIに寄りました。
バックを前に大好きをダダ洩れさせる娘。そんな娘に夫がぽつり。「5回分割でどう?」あまりにも欲しい光線を発する娘に、夫がお金を立て替えてあげるから、後からバイト代で返せばいいよと。
私はどんなに欲しくても借金してまで買いたくないタイプ。娘だってそんな提案は却下だろうなと思ったら、天国に登ったかのように大喜びしたのです。その喜びようと言ったら店の人が驚くほど。
そんな娘を見て、私は思いました、ええ。
こんなに喜んでお金を使う娘は、きっとお金に困ることはないだろうなと。
お金って、天下の回り物とか、使わないと入ってこないとかよく言われる。自分にとってちょっと怖いと思うような金額を出せることが大事だって。
でも私はお金を使うのが怖い。使ったらなくなってしまうと思うから。だから月収3万Byバイトの娘が10万円のバックを買うって、怖くないの?ってびっくりしてしまった。
娘を見てて、お金を使う時の気持ちがすごく重要なんだなって実感した。私は好きなものを買う時でも、引き換えにお金がなくなることに残念な気持ちがある。もっと安く買えたらよかったのに、なんて思って気持ちよくお金が使えないのだ。
でも娘は、大好きなバックが手に入る!お父さん、お母さん、お金貸してくれてありがとう、お金さんありがとう!ほんとにうれしい!と本当に幸せにお金を使っていた。
私がもしお金だったら、流れていく自分に「もっと楽しませて!行かないで!」とすがりつく人より、「楽しませてくれてありがとう、また来てね」と気持ちよく送り出してくれる人の方に絶対また行きたくなる。
だから娘みたいな人の所にお金が入ってこないわけがないなと、腑に落ちてしまった。
本当に欲しいものに気持ちよくお金を使うことが、こんなにも幸せなことなんだなあ。
さあ、私も娘を見習って、本当に欲しいものに大金を使おう。?本当に欲しいものってなんだろう?