
「レディ・プレイヤー1」は巨匠スピルバーグが監督したSF映画。スピルバーグはこの映画で、運命の小さなささやきが、誰かをジェットコースターのように日の当たる場所へ連れていく様子を描きたかったんじゃないかな。かつての自分のように。
物語は、2045年の荒廃した未来世界が舞台だ。人々はその現実から逃れ、バーチャルリアリティーの世界「オアシス」に浸っている。そこではゲームをするだけでなく、仕事をしたり、学校へ行くという、食事や排せつ以外のほとんどを行えるようになっている。
その「オアシス」の持ち主が、死に際にゲームを仕掛けた。勝てば彼の総額56兆円もの遺産と「オアシス」の運営権を手に入れることができるというゲームだ。世界中の人が争奪戦をスタートさせた。
主人公のウエイドは、ぱっとしない現実から逃げ込むように、VRの世界にハマっている若者の一人。ゲームが好きでハマっている人は大勢いる。ウエイドはその他大勢とどこが違うのか?それはウエイドが好きを極めたオタクだってことだ。
ゲーム好きのウエイドは「オアシス」の創始者のジェームス・ハリデーに関する知識も半端ない。ハリデーが何を考え、何を求めていたのか。ハリデーの意図を読むのにその膨大な知識が役に立ったのだ。
ハリデーの言葉を何度も頭の中で繰り返していたウエイド。だからこそ、さらなるヒントを求めて出かけたハリデー年鑑で、運命の小さなささやき「後ろに動いてみればいいのに」をキャッチできたのだ。
そのヒントで最初のミッションをクリアしたのち、次のミッションをクリアできたのもささやきのおかげだった。
彼はその時、アルテミスという美人アバターに恋をしていた。仮想世界の中で思いを告げるウエイドに、アルテミスは「あなたは現実を生きていない。そんな男は願い下げ」とにべもない。
運命に導かれて現実世界でも二人は出会う。顔にあざをもったリアルのアルテミスを見て、ウエイドは自分の愛が変わらない事を告げる。心を揺さぶられるアルテミス。
恋の始まりは恐れに満ちている。キスしたい、でも拒否られるかも…。そんな二人の心の揺らぎが運命のささやきだった。
ハリデーには、昔恋をした女性にキスできなかったという後悔があった。生涯ひとり身で寂しかったハリデー。恐れを超えて人とつながることの大切さがわかる人をオアシスを運営する後継者にするべく、ヒントを仕込んでいたのだ。
そのささやきをキャッチしたのはアルテミス。好きを突き進むウエイドに、周囲の助けがどんどん集まるようになってくるのだった。協力しあう仲間たちができて、ウエイドはどんどん楽しく、どんどん強くなっていく。
様々な敵の妨害に会いながらも、苦労の末ウエイドが最後のミッションもクリアすると、今までアバターとして登場していたハリデーが、本当の姿を表す。同時に子供時代のハリデー、その当時の部屋の映像が現れた。
ゲームに熱中する子供のハリデー。日の当たる場所にいなかった頃のハリデー。純粋に好きなことをしていた子供時代の映像を見せる。
そこでウエイドが、イースターエッグ(遺産とオアシスの運営権)を手に入れる。それは「好き」なことをしていれば宝物を手に入れることができることを暗示している。
スピルバーグが映画監督になったのは偶然の結果だったと、スピーチで言っていたのをネットで見たことがある。彼は初めて見た映画の列車事故のシーンが忘れられなくて、それを再現したくておもちゃの電車で遊んでいたという。
本当にぶつけて壊したいけど、おもちゃがなくなったらもう遊べない。その時、「列車同士をぶつけて壊すところをカメラで撮影すれば、繰り返し何度も楽しめる」と思いついたという。そして初めてムービーを撮った。それが映画監督の始まりだったと。
「目の前にある好きなことを続けることが、あなたを日の当たる場所へ、あなたの行きたい場所へ、連れて行ってくれる。」
オタクは、周囲の目を気にせずに好きなことを楽しんでいる。この映画は、そんなオタクたちへの賛歌。スピルバーグは自分もそうだったし、それでいいと伝えたいんだと私は受け取ったよ。
「好きを楽しむ」だけでいいなら、今すぐから始めよう!
あなたの周りには子供のような人がいないだろうか?周りの人の空気も読まず、迷惑も顧みず、好きなことをやっている人。私にはいる。それが両親だ。
とにかくやりたいことに直球で、邪魔されると烈火のように怒る。お互いにやりたいことをやってそれを尊重できればいいんだけど、尊重の仕方を知らない二人。お互いどうして私をバカにするんだと、年中夫婦げんかをしている。
そんな両親が好きになれず、いつも思ってた。「お願いだから早く死んで」
だから子供っぽくやりたいことに直球な自分の性格が、両親、特に母親に似ているように思えてすごく嫌だった。「自分のことしか考えられない自己中心的な人間」なんて絶対に許されない。そんな性格は矯正しなきゃ。
こうして私の中にできた法則が
やりたいことをやる=自己中心的
やりたいことを我慢=思いやりがある。大人。
というもの。
やりたいことをやっちゃだめだと思っていたから、やりたいことやっている人をみるといつもモヤモヤしていたし、子供や猫にもイライラした。「やりたいことに直球」を許せなくて羨ましかったんだよね。
もし、あなたがやりたいことに手が出せないなら、自分勝手な人に振り回されていたのかもしれない。
やりたい放題の人に迷惑をかけられたことがあるのかもしれない。
身近な人にやりたいことを優先されて大切にされなかったことがあるのかもしれない。
でもそのことが原因で、もっと大人にならなきゃと思っているのはものすごくもったいない。
子供の、感情に素直で、好奇心いっぱいで、今を楽しむことに全力投球するという性質こそが、人生をおもしろく豊かにしてくれるものだから。
そして楽しそうにはしゃいでいる人を見ていると、周りの人も幸せな気持ちになるもの。それは自分の楽しかった子供時代を思い出すから。だから純粋にやりたいことにまっすぐな人を応援したくなる。
やりたい放題の憎らしい父は、サラリーマンだったけど仕事は楽しそうだったし、自分勝手な母は小さなお店を始めて今も繁盛している。
自分がやりたいことをやる人生を歩きたいと思った時、両親が許せないことが、自分を超しばってるような気がしてきた。
だから「許せない」気持ちとすっごーく嫌だけど向き合ってみた。それしか先に行けないような気がして。許せなくてもいいから、許せない嫌な気持ちを隠さないで、表に出してあげるようにしてみた。
嫌な気持ちをとことん味わうぞ。ケンカばかりの両親、子供を尊重しない両親、そんな中に育ったんだから許せなくて当然。好きなだけ怒っていい。私は全然悪くない。
そんな風に自分の心を自由にしたら、徐々にだけど許せない気持ちが緩んできた。けっこう時間がかかったけど、私の場合一年くらいで、両親を許さないことでメリットもあったなと気付き、許すも許さないもないなと思うようになってきた。
そのメリットの一つが、
やりたいことをやる=自己中心的
やりたいことを我慢=思いやりがある。大人。
という法則を作って、やりたいことへ挑戦しない自分と向き合わずにすんだこと。
やりたいことをやってだめだったらと思うとものすごく怖かった。それを親のせいにしていたかもなあ。
子供みたいにやりたいことをやっていいと思うようになってからも、長年刷り込んだ「そんなの無理」がいろんな場面で顔を出す。その度に「大丈夫、できる」と言えるようになっただけちょっとだけ進歩だ。
やりたいことができないのは、自分自身の思い込みのせい。そのルーツを探れば、人生がずっと楽しくなる。そして、子供の頃に戻って、自分のやりたいことに直球になろう!
私はがんばり星出身だ。そこは、けっこうがんばっても「もう少しがんばりましょう」と言うのがルールという星。
子供が90点とって大喜びで帰ってきても褒めてはいけない。「10点ミスがあったね。もう少しだね」とできないところに焦点を当てるのがポイントだ。
もちろん両親ともに、生まれも育ちもがんばり星。ルールに忠実に従って私を大切に育ててくれた。
がんばり星出身者の特徴は、がんばってもがんばっても終わりが見えないレースを走っていることだ。何かを達成しても「まだまだ」「ここが足りない」とダメ出しをして満足しない。次へ向けて走り出すのだ。
今の自分に満足せず、スキルアップを続けるがんばり星人。自分と同じようにがんばり続けるよう、周囲の人に働きかけることもがんばり星人の大切な仕事だ。意識高い系と言われ、他の星出身の人達を息苦しくさせてしまうが気付かない。
当然他の星の人達はがんばり星人を避けるようになるので、気付いた時には周囲はがんばり星人ばかりになってしんどくなっていく…。人生が辛くなってくる。
でも、「できないところだけを見るようにする」というがんばり星のルールを破ることは中々できない。「泥棒をしてはいけない」というルールを破るのと同じ感覚だ。
そんながんばり星人でもルールを破る方法がある。
「できないところだけ見るようにしている」ルールで生きていることに気付けばいいのだ。そのために天ががんばり星人に用意してくれているものが、自分を超イラつかせる人だ。
あなたにはいないだろうか?絶対に許せない人、考えるのも嫌な人、消えてくれないかなと思う人。そういう人が出てきた時がルールを破る時なのだ!ラッキー!
とはいえ、超イラつかせる人とは慎重に向き合わなくてはいけない。というか、イラつきと慎重に向き合うことが大事だ。そのあたりはこの記事で詳しく書いてあるので読んでみて。→大嫌いを手放せるとき
自分のイラつきを十分に受け入れてあげたら、この超イラつかせる人がまさにがんばり星人で、「できないところだけ見るようにしている」自分を映し出す鏡のような役割をしているとわかってくるだろう。
そんな自分に寄り添い、「よしよし」をしてあげよう。がんばり星に生まれたんだから、「できないところだけ見る」しかできなくても仕方ないよね。そんなメガネをかけて長い間よくがんばってきたよね。誰も褒めてくれなくてさみしかったね。
でももう大丈夫。自分で自分を褒めてあげれば、もうさみしくない。24時間ずっと一緒にいる自分に褒めてもらえるんだから。
一回褒めただけでは変わらないけど、自分を褒めつづけると確実に生きづらさが減ってくる。がんばれなくてもまあいいかと思えるようになる。
がんばらなくちゃお金は入ってこないと思っていたけど、心が平和で満ち足りる時こそお金も愛情も入ってくる。だからまず自分を自分の愛情で満たしてあげなきゃね。
子供たちの母校の小学校でドッチボール大会があり、ボランティアでお手伝いに行ったときのこと。
ゲームのタイムキーパーが今日の私の仕事。かわいい子供のプレイについ気をとられてしまうので、意外と大変な仕事なのです。どーん。
ゲームの合間にグランドの隅で休憩をとっていると、隣にとても素敵なカゴバックを持った、60代とおぼしき婦人がやってきました。そのバックはラフに編まれたサワグルミでできていて、私の好みにドンピシャ。
そしてその持ち主の婦人がすごくすてきな「グレーヘアー」だったんです。
実はちょっと前から10年近く続けてた白髪染めをやめたいと思っていたのです。こちらの記事で詳しく書いています。でも「老けて見えるよな~」「みんな染めてるしな」と決心できずにいました。
なのでこの婦人を見て、「いいなー、こんな風になりたい」と強く思い、とうとう白髪染めをやめることができたのです(^^♪
そこで思ったのは、「もしかして、今まですてきなグレーヘアーのイメージがなかったから踏み出せなかったのでは?」ということ。白髪まじりの髪は「老けて疲れた」イメージで、そんな風にはなりたくないとブレーキがかかっていたのかも。
いいイメージを自分に重ねあわせて、こんな風になれるならやりたい!と思った時、初めて動き出せるんですね。
だからもしあなたが、やりたいことに一歩踏み出せないなら、やりたいことを実現した時のイメージが良くないのかもしれません。もしくは漠然としていてイメージできていないのかも。
例えばネイリストになりたいと思っていたとして、身近なネイルサロンの人がいつも忙しく余裕がなさそうだと、ネイルが好きでも仕事にしたら楽しくなさそうと尻込みしてしまったり、
ネイリストの仕事を本やテレビなどで断片的に知っているだけで、リアルに想像できなかったりしているのかも。
そんな時は自分の理想のネイリストを探すことがスタート。まずそれには自分はどんなネイリストになりたいのか、わかっていないと探せません。
入りたいサロンがあるのか、自宅サロンを開きたいのか、ユーチューブなどで発信したいのか、どんなお客さんに囲まれたいのか、どのくらい稼ぎたいのか…。
それらを意識すればするほど、理想のネイリストは見つかりやすくなります。理想の人が見つかり、そのイメージを自分と重ね合わせれば…もうじっとしていられなくなるでしょう。あとはその人のまねをすればいいだけです。
わたしの場合、白髪染めをやめてから、すてきな「グレーヘアー」の婦人に会うことがないので、日々けっこう悩みます。「あ、伸びてきたな。老けるかな?」って。そんな時、あの婦人の写真だけでもとっておけばよかったなと思います。
だからできたら、理想の人とは常につながっているといいと思います。もし著名人とかなら、SNSや著書などで常にその人に触れられるようにしておくと、迷った時や、壁にぶつかった時、助けになるんじゃないかな。
あなたのやりたいことは何ですか?
こんな人になりたいと思う人はいますか?
今日もあなたを応援しています。
台風一過で暑さを盛り返してしまった8月の終わり。あまりの暑さに近所のドトールに避難してきた。朝の10時だというのにほぼ満席なのには驚いたが、何とか席を確保しパソコンを開く。
ふととなりを見ると、年のころは50歳くらいの女性が付箋をいっぱいつけた本を左に置き、右側のノートにびっしり何かを書きつけている。
ふと正面を見ると30代くらいのガテン系の男性が、何かの資格試験の資料を広げ、必死にノートを取っている。
見れば一人空けてその隣も、私の背後の人も、社会人らしいが勉強している。もちろん学生らしい子もいる。やはり教科書を開いて勉強している。
今日は日曜日の午前中だよな?なんかすごいことになってるぞ、ドトール。
いかにも仕事を持っていそうな大人が、日曜日の午前中にこんなに勉強してるなんて。
勉強することはいいこと。人間は元々は何も知らないから、勉強して頭を良くしたり、物を知っていた方がいい。そうすればいい仕事につけるし、高いお給料がもらえる。
というのが日本の常識。だからこんなに多くの人が休みを削って勉強しているんだろう。
でも頭が良くなければいい会社に入れないとか、資格がなければいい仕事ができないと思って勉強していると、間違いなく楽しくない。
そもそもいい会社とかいい仕事ってなんだろう?
それはたいてい高給だったり、人気のある仕事だったりってことが多い。そういう人の目線を自分の感覚より重視しちゃうと、自分の人生なのにものすごく不自由になってしまう。
例えば自分がダンサーになりたいと思っていても、世間から水っぽい仕事だとか、堅気の仕事じゃないとか言われてそれをあきらめちゃうなら、自分の思い通りに生きてないんだから全然自由じゃないよね。
人はやりたいことを自由にできる時に幸せを感じるものだ。誰かにやりたくない事をさせられることほど楽しくない事はない。
じゃあやりたいことは教科書にあるのか?本に書いてあるの?
その人のやりたいことは、生まれた時からその人の中にある。だからどんなに勉強してもその中に見つけることはできない。やりたいことをやるために勉強するならそれは楽しいはず。
資格取得や試験、受験などのために勉強を頑張っているあなた、その勉強は楽しいですか?楽しいならそれはあなたのやりたい事だ。
もし楽しくないなら、その勉強はあなたを幸せにしない。あなたを幸せにするものはあなたの中にしかない。勉強をやめて自分の心に聞いてみよう。