買い物に行こうと車ででかけた時のこと。梅雨の合間の五月晴れ。街路樹の新緑が目に眩しい。私は赤信号で止まった交差点でのんびり辺りを眺めていた。
その時、ちょっとくたびれた茶色のシャツと黒っぽいズボンをはいたおじさんが、交差点脇の電信柱の根元をじっと見つめているのが目に入った。
何を熱心に見てるのかな?
目を凝らして電信柱の根元を見る。すると何かが太陽の光を反射してキラキラしている。??もしかしてオシッコ?
なんとおじさんは車がたくさん行き来する交差点で立ちしょんをしていたのだ。
そりゃあ私も子供の時は外でしたこともあった。友達と一緒に飛ばして混ぜたり、飛距離の競争とかしたものだ。
女の私でさえそうだったのだから、もっと手軽にできる男子はきっと私の10倍くらい外でしてたんじゃない?子供の時の立ちしょんは遊びの一つだった。
でも、大人になるとあんまりしなくなる。軽犯罪法違反というのもあるけど、「良識のある大人は立ちしょんはするべきでない」っていう空気になってくる。
それでも緊急事態というのは誰にでもある。そんな時でも普通の人は人目につかない所でこっそりやるんじゃない?
この交差点にも、車の人の目につかない場所はいくらでもある。ほらそこのアパートの裏とか、その大きな木の陰とか、路駐してるトラックの後ろとか。
だってみんなに見られてるんだよ。交差点に今集まっている少なくても10台の車の窓からみんなが見ていると思うよ。
おじさんすごいな。なんでこんな所でできるんだろう?おじさんは常識がないのかな?それとも常識に囚われない人なの?それとも常識が変わったの?
私は中学で剣道部に入っていた。剣道というのはものすごく蒸し暑いスポーツなのだ。厚手の綿の胴着を着て袴をはき、小手、面、胴までつけるのだから滝のように汗が出た。
でもその頃部活中に水を飲むのは厳禁だった。先生の目を盗んで飲んでいるのが見つかったりするとビンタが飛んだものだ。
今そんなことをしたら完全にアウトだろう。水分補給もビンタも。
だからもしかして立ちしょんもいいことになったのかなあ。私が知らないだけで。
でももし常識が変わってなくて、常識も知っていてそれでもやっているなら、おじさんになんかやられたって気がする。大胆不敵でそれでいてごく普通のことのようなさりげない立ちしょん。
このあふれる陽光の中で、誰の目もはばかることなく体の欲求に正直になることが、おじさんにとって国が決めた軽犯罪法を守ることよりも重要だったとしたら?
それを考えてるだけじゃなくて実行に移せる行動力、あの冴えないルックスからは想像できない熱いものを持っていたら?
「みんながみんな同じ考えじゃなくてもいいだろ?だから俺はこれで行く」タブーに挑戦してるんだ。かっこいいなあ。
友達とコンサートに出かけて演目が終わり、ああ楽しかったねと言いながらトイレに寄った。友達と感想を話し合いながら長い行列に並び順番を待っていると、先に並んだ友達が空いた個室に入っていった。
次に空いたのは友達の隣の個室。個室の壁は薄いから、隣の友人に音を聞かれそうで気が乗らない。でもその次が空くのを待つのは後ろに並んでいる人に悪いからそこへ入る。
私は排尿音を消す音姫を使わないのがカッコイイと思っている。誰もが立てる音なんだからありのままでいいじゃん。
でも隣に友達が座ってると思うとビビってしまう。私が出てきた時にさっきの派手な放尿音は私のものだったんだとバレてしまうからだ。自分の放尿音を隠さないなんて恥ずかしいと思わないのかしらと嫌われたらどうしよう。
だから音姫を押してしまう。シャラシャラシャラ♪
機械的な水の音を聞きながら、五月の陽光にオシッコを光らせていたおじさんを思い出す。
土曜日、息子の高校の文化祭に行った時のこと。
息子の高校では、例年PTAで焼きそばの模擬店を出してるらしい。友達がPTA役員になってて手伝いにきてと頼まれたのだ。
屋台の焼きそば買うことはよくあるけど、作るのは初めて。舞台裏はどうなってるのかな?軽くワクワクしながら現場に向かう。
でも開店2時間前の現場はそんな甘いものじゃなかった。分厚い巨大な鉄板が2枚並んだその後ろに、大量のキャベツが入った段ボールが積み重なっている。段ボールのタワーの間をすり抜けて調理場にたどり着く。いったいこのキャベツどのくらいあるんだろう?
気の遠くなりそうな量のキャベツを「洗って」「刻んで」「仕分けする」のが今日の私の仕事らしい。キャベツメンバーは5人。かなりビビっている隣の二人は、多分私同様初めてなんだな。あの落ち着いた雰囲気の婦人は経験者だね。
その隣は男性だけど戦力になんのかな?包丁も使えないんじゃ困るんだけど?あれ?この人見たことある。
その人は同じ行政区の人だった。うちの地区は秋祭りがあって、婦人部として手伝いに行ってる私は、山車を動かしている男性と祭りでよく一緒に飲んだりしている。その山車のメンバーさんだったのだ。こんなところで会うとは。
実はその人と素面で会うのは初めて。お酒って人見知りでも知らない人と仲良くなることができる魔法のクスリ。
普段は内気で話しかけられないんだけど、お酒を飲めば自意識過剰な私が影をひそめて、大胆に話すことができる。でも素面だと過剰な自意識が幅を利かせ始める。特に男性が相手だとひどい。
向こうもちらちらと私を見て気にしている様子。あああ何かすごく気まずい。私の方が年上だし、こっちから話しかけた方がいいんだろうな。でもなんて話しかけたらいいんだろう?
お酒を飲んでるハイな時と全然ちがう、人見知りでおどおどした会話しかできない私を知られたくないんだよ。でも話しかけなければ、お酒の力を借りないとコミュニケーションがとれない人間だと烙印を押されてしまう。ああどうすればいいんだろう。
そうこうしているうちに開店時間が来て、嵐のような忙しさがやってきて…。気が付いたら終了時間になっていて、例の男性はもういなくなっていました。
ああ、またやってしまった。あの人に烙印を押されてしまった。次に祭りで飲む時はまた微妙に気まずいんだろうな。
今朝見た朝ドラを思い出してしまう。高校生の時に一度だけ会ったことがある彼に、大学生になって偶然再会したヒロイン。再会のその瞬間に、彼をまっすぐに見据え「外で待ってて」と言い放つ。待っていた彼に「私のこと忘れていなかったのね」と直球ボール。
なんてカッコイイんだろう。全然おどおどしていない。彼女のようになりたいと思う。周りの人が自分に優しいと思いたいのだ。
何度も頭の中でストーリーを再現している。どうすれば彼女のように振舞えるのかヒントがあるに違いない。
でもふと思う。これはドラマだからな。もしかして彼女も現実の世界では、飲み会で仲良くなった彼と、次の日おどおど話していたらどうしよう。
日曜日の朝のこと。フライパンにオイルをたらし、薄切りベーコンをチリチリに焦がしてトーストもセット。いいにおいがしてきたぞ。さあ、朝ご飯にしようかな。
その時息子の野太い声が。「部活遅れそう、お母さん送ってくれない?」
えー?これから朝ご飯なのにー。トースト冷めちゃうじゃん、億劫だなあ。
でも息子にいい顔をみせたい私はそんな本音はおくびにも出さない。
「うーん、送ってあげたいけど、ねえ、その、今日は行政区の掃除があるんだよね。」もちろんウソだ。息子もうすうす感づいている。まずい。
そこへ夫が起きてきた。
「あ、お父さんに送ってもらう?」
息子はどっちでも別にいいのだ。
起きたばかりの寝ぼけ顔で「じゃ、行くか」と息子を送っていく夫。奴は億劫に思ってないな。
人間には、億劫センサーの鈍い人というのがいる。雑用をする時に億劫に感じない人の事だ。
例えば備品の交換。トイレの電気切れてるなと気づいたらその場で付け替えたり、サランラップがなくなったらその日のうちに買いに行くことができる。三色ボールペンで黒インクがなくなると、青と赤で書き続ける私には決してできない。
或いは整理。読み終わった新聞をそのつどきちんと積み上げて行ったり、たたんだ洗濯物を奥から順番に並べるとか。使い終わった食器を乱雑に食器棚に放り込んだあげく、月一で派手に割ってしまうような私と、いったいどこが違うんだろう?
或いは頼まれごと。電子辞書の電池がなくなったから単三電池とってくれない?と言われて電池を渡すだけじゃなく交換までしたり、掃除機かけてと頼まれると、椅子やソファの座面や足の裏、フロアマットをひっぺがして裏までかけたりするとか。
貴重な時間を奪われないよう、最小限の時間と労力でやってのけることに情熱を傾けている私は、頼んだこと以上のことをしてくる人に、うれしいとか、優しいとか思うより、恐れに近いものを感じる。
もしかして時間の流れが自分とは違うんじゃないか?とか、彼らの目は、目の前の雑事をきらきらした仕事に見せる機能を持ってるんじゃないかとか、もしかして世界の秘密を知ってるんじゃないかとか。
世の中は億劫センサーが敏感な人が多い。私のように何をするのも面倒に感じる人だ。そういう人に頼み事をする時はセンサーに引っかからないように慎重に言葉を選ばなければならない。センサーの鈍い人に慣れてしまうと敏感な人への対応力が鈍ってしまう。
何より自分のセンサーがどんどん鈍くなってきそう。
センサーが鈍くなったら雑用が嫌だなーと思わなくなっちゃう。そうすると色んな事が目に入ってきちゃう。
例えば掃除機のノズルのブラシについたほこりに気がついちゃって、それをとるのが楽しくなって夢中でノズル掃除をしちゃうとか。そしていつの間にか、貴重な時間をそれらに費やすようになっちゃったらどうしよう?
私は時間をブログを書いたりするクリエイティブな活動に使いたいんだよ。
でもセンサーの鈍い人の方がずっと楽しそうに見えるのはなぜ?
雑用を嬉々として楽しんでやってるあの人たちは、おもちゃを独り占めしないでみんなと仲良く遊んでる子供みたい。
クリエイティブな私は、おもちゃを誰にも渡さないで横目でうらやましそうに見ているだけなのだ。
こんにちは。とびらです。
深夜23:00、照明を落としたリビング。娘はアイフォンで音楽を聞きながら、息子はマッサージチェアで足をもみほぐしながら、私はシングルソファにねころびながら、三人で一心不乱に読んでいるのは漫画です。そう、我が家は漫画大好き家族なんです。(夫以外)
今日は息子の中間試験が終わった日。お疲れさん会みたいな名目でTUTAYAに繰り出し、漫画をレンタルしてきたのです。
読み切れないほどレンタルするのが常なので、いつも深夜まで起きていることになってしまう。だって途中でやめることができないんだもの。瞼が開かなくなるまで読んでしまう。
しかも今日は大ヒットがあったのだ。息子が「お母さんハマるよ」と教えてくれたジャズ漫画「ブルージャイアント」。息子の予告通りジャストでハマってしまった。
高校生の主人公、大は、ジャズ好きの友人に連れられてジャズバーに行く。そこで大は雷に打たれたようにジャズに打たれてしまう。ジャズが好きというだけで、音楽の「お」の字も知らない彼が、楽器を手に入れ、楽譜を手に入れ、師を得ていく。
大のまっすぐで無垢な目を通して「好き」ってスゴイぞ、いったい何なんだろう?「好き」に正直に生きるとどうなるんだろう?を一緒に体験する漫画なんだなあ。
あー、いいなあ、漫画っておもしろいなあ。しかもこの手の漫画は私にとってはすごくヤバい。汚れた茶碗も積み上げたままで、明日の弁当の準備もしないで、お風呂にも入らず3回目を読んでる。
人間って好きなことってやめようとしてもやめられないんだな。
しかも好きなことやってる時って、これがお金になったらとか、仕事になったらとか全然考えてない。やっべー、おもしろいぜってそれだけ。ああなんて純粋なの。
でもふと我に返ると
「好きなことを仕事にしてる50歳主婦✨」になりたくてたまらない私は、大好きな漫画を読むことでどうしたらお金が稼げるか、ガッツリ考えてました。
うん、うん、ガツガツしてるな、私!
大のように純粋になりたいぞー!
こんにちは。とびらです。
「ねえ今日忙しい?」姉から来た一本の電話。すっごーく嫌な予感がしました。今日は姉が父を病院に連れていく予定の日。父は近年軽く認知入ってきたせいもあって癇癪がひどい。あー、お姉ちゃん、我慢の限界か?
話を聞くと10時半までに病院に行かなきゃならないのに、その前に市役所と針灸に行くという過密スケジュール。それに姉が遅れたといって癇癪だまを爆発させたらしい。
いいよいいよ、もう我慢しなくて。私が行ってくるよ。
迎えに行った父はものすっごーく怒っていた。脳みそが沸騰しそうに。目の玉がとびでそうに。82歳、まだこんなに怒れるんだ。長生きしそうだな。
父の言い分はこうだ。
「約束の時間に15分も遅れてきて、一言も謝らない。一言謝ればそれで済むのに謝らないなんて常識がなさすぎる。あんなのは社会的に許されないぞ。」
はあ、やっぱりそんなことでしたか。いや多分そんなことだろうとは思っていましたよ。はあーーーーー。
出発の30分前に電話が来て、慌てて支度して出かけてきた姉のことを一ミリも考えることができないんだね。想像力がゼロ、0、○○ーーーー。
はらわたが煮えくり返りそう。あーこれがわが父か。
人生が、家族を使ってちょいちょい私にチャレンジしてくるなあ。イヤーな出来事を何度も起こして、私をパワーアップさせようとしてるな。いいよ、受けて立つさ。負けないよ。
私「常識が通じない人っていっぱいいるよね。寛大なところみせて許してやればいいじゃん。」
父「ぐうう・・・。」
ふん、黙ったか。やったね。これで今日はもうおとなしくしてるな。
と思ったのもつかの間。
病院でも予約通りに診察が始まらないといって烈火のごとく怒りだし…。
人生のチャレンジ続くなあ、いったいゴールはどこ?
「嫌な出来事は自分の嫌いな部分を許すために起こっている。嫌な出来事は自分の心を投影しているだけだから。だからその気持ちをよく味わって、それにOKを出せばいい」
って聞いたっけ。あーやだやだ。父に言ってる場合じゃなかったのか。自分もうちょっと寛大になれやー、許してやれやー。許さないとこのステージクリアできないぞー。もう飽きた。そろそろ次行きたい。
ステージをクリアしたいから
今日許せないこと、今日イラっとしたこと、今日めんどくさいと思ったことを流さないでしっかり味わおうと思う。
色んな味を味わってるうちにきっと、美味しく感じる時がくるような気がする。大人になって苦みとか辛みとかが美味しくなったみたいにね。
あー、今日も味わうやついっぱいあるなー。