
こんにちは、とびらです。
あなたには大嫌いな人がいませんか?考えただけで気分が悪くなってしまうような人。真面目なあなたはその人のことを許せない自分を責めていませんか?
大嫌いなままでいいから考えるのをやめる
嫌いな人の中に、自分を変える何かがあるのは確かです。でも自分を責めると自分がご機嫌でいられなくなってしまいます。
機嫌が悪い状態の人は、脳の視覚野と呼ばれる部位が情報を正しく処理できなくなり、探し物が見つかる確率が半分になってしまうといわれているのでその何かを見つけにくくなってしまいます。詳しくはこちらから→探しているものが見つからない時
自分の感情はそのまま受け入れる
一番大事なのはあなたの感情です。「大嫌い、死ねばいい、二度と見たくない」って思ってもいいのです。誰にでも黒い感情はあります。ない人なんていません。
「そんな黒い感情を持っていたら嫌われる、私はそうはなりたくない」真面目な人ほどそんな風に思ってしまいますよね。それなら自分が好きになってあげればいい。どんな自分でも自分だけは見捨てないって。
真っ黒な自分を許してあげることは、自分を大切に扱うことになります。自分を大切にする経験を積み重ねると、自尊感情が育ってきて、誰かに嫌われたらどうしようという見捨てられ不安がなくなってくるのです。
自分の気持ちに蓋をしない
もし思っていることに蓋をして別のことを考えると、その場は気分が収まりますが、自分の感情を無視しているので、周りの人にも同じように接してしまいます。感情のままにふるまう人、子供などの気持ちを無視して尊重してあげることができません。
人は自分にしているのと同じ態度でしか他の人に接することができません。そして周りの人はあなたがその人に接するのと同じ態度であなたに接します。だから、人は自分に対して接するのと同じように周りから扱われるのです。
自分を大切にしている人は周りからも大切にされるし、自分なんて何の価値もないと自分を無視している人は、周りからも無視されます。だから自分の感情をなかったことにするのはやめたほうがいいのです。
コントロールを手放す
自分の感情は「穏やかになろうとか、好きになろう」と思っても変えることはできません。相手のことも「自分勝手にふるまうのはやめて欲しい、悪口ばかり言うのはやめて欲しい」と思っても変えられません。
自分の感情も、相手のことも、未来のこともコントロールするのをやめちゃいましょう。どんなことを思ってもいいし、相手も好きにふるまえばいいと許してしまうとすごく楽です。ただもうなんでもOKにしちゃう。人間なんてそんなもんでしょと。
そうするとふしぎとぐつぐつと煮えくり返っていたものがおさまってきて、そのことから離れることができます。
まとめ
大嫌いな人がいる時は、大嫌いなままでいましょう。大嫌い万歳。いい人になんてなるのはやめて、真っ黒い人間になりましょう。人間なんてそんなもんさ。
こうでなくちゃ、いい人でなくちゃとコントロールするのをやめれば、自然に大嫌いな人のことを考えなくなっています。

こんにちは、とびらです。
ご機嫌になる方法を捜したり知ったりしても、うまくいかない時があります。毎日ご機嫌でいれたらいいに決まってますが、そうもいかないのが人生です。
もし感謝の波に乗れる時と乗れない時に何か法則みたいなものがあったらどうでしょう?それを知ればもっと楽に感謝の波に乗れるような気がしませんか?
自分の源泉に触れていれば毎日ご機嫌
ゴールデンウィーク中は、夫と庭や家の中のメンテナンスをしたり、友人たちと出かけたりと何かと気忙しく、3~4日ブログを更新しないでいました。けっこう楽しかったのに、その間、あたりまえ感が戻ってきてしまい、感謝モードを取り戻そうとしてました。でも無理に追いかけてもどんどん遠くに行ってしまう感じでした。
昨日4~5日ぶりにブログを書いたら、感謝が自然に湧いてきてびっくり。もしかしたら人は自分の源泉みたいなものに触れていないと心から感謝できないものなのかな?と思ったのです。
自分の源泉にたどり着く
自分を楽しませることをすればご機嫌になれます。本を読むことも、映画を観ることも、コーヒーを飲むことも、ダンスすることも、絵を描くことも、それが楽しければどんどんやればいい。
その時に心の声をしっかりキャッチしてあげていると、はじめはぼんやりしていた心の声が次第にはっきりしてきます。ブログを書く時の方が、映画を観ることよりワクワクするとか、SEOの事より感謝について書いている方が楽しいとか。
自分を楽しませることの中から心の声に従って取捨選択していくと、次第に自分の本当にワクワクすること=源泉にたどり着けます。
源泉とは生きる意欲の源のことです。人生を楽しんで生きている人達、やりたいことだけをやっている人達は、皆自分の源泉につながっています。詳しくはこの本をどうぞ↓↓↓
自分にうそをつくのをやめる
でも人間は周りの目が気になります。周りの目は次第に自分の中に入り込み、自分の行動をジャッジし始めます。私も「一般社会通念から外れた考えをこうして書いていることを周りの人に知られたら、みんな離れていくぞ」と脅されています。
でも、「常識に反してるけどやりたいこと」をやらないでいるのは、自分に大嘘をついていることになります。自分を最大にないがしろにしていることになります。自分に価値がないと自分に言い聞かせていることになります。
世間の目を気にして、心の声を無視して、創造的な考えを抑え、子供のようにのびのびした行動をとらないでいるのは、自分に嘘をついていることになります。自分を喜ばせていません。自分は裏切られ悲しい気持ちになっています。
そんな気分で感謝するのは無理ではないでしょうが、難しくなるでしょう。
自分の感覚を信じる
ゴールデンウィーク中、夫や友人とたくさんの時間を過ごし楽しかったものの、世間の目の中での楽しさだったのかもしれません。「自分の直感や独創的な考えで話すと嫌われるぞ」と自分の中の世間の目に脅されて、本当に自分らしく過ごしてなかったんですね。
自分の源泉から離れてしまったので、感謝も湧いてこなかったのです。
自分の感覚を信じることが自分を最高に喜ばせること。それさえできれば簡単に毎日ご機嫌でいられます。
まとめ
ご機嫌になれない時、感謝の波に乗れない時は、やりたいことより常識を優先していないか、心の声をよく聞いてみましょう。世間の目や常識を心の声より優先するのは自分にうそをつくこと。自分を嫌いにさせてしまいます。
心の声を信じて、自分に優しくしてあげてください。そうすればご機嫌になるのは簡単です。

こんにちは。とびらです。
ゴールデンウィークはいかがでしたか?旅行や帰省したりすると、いつも会っている人と違う人に会ったりしますよね。私も中学の同窓会があり、35年ぶりに同級生と顔を合わせました。
35年も経っているのに全然そんな感じはしないし、当時の感情までリアルに思い出して驚きでした。その中でも特に、中学に入ると「周りにどう思われているか」が、自分の判断基準の中に入ってきて、それもすごいスピードであっという間に最重要ポストにきちゃったことを思い出しました。
お山の大将タイプで、みんなに指示をして思い通りにクラスを動かしていた小学生のスタイルのままだと、周りの人に受け入れられないんじゃないか、とビクつき出したんです。実際無理だったと思うんですけど。
中学って大人への序章みたいなところです。そこで世間というものを徹底的に叩き込まれたというか。はみ出ないようにすごく矯正されたような気がします。
常識を変えたいなら周りを変える
中学生は同化を求める強い欲求を持っているので、周りに合わせなきゃと強く思ったんでしょうけど、それは大人の世界にも根強く残っているように見えます。
周りの人に合わせたい日本人

日本人のルーツはお百姓さん。田植えも稲刈りも家を作るのも、村人が全員参加しないとできなかったから、村人が心を合わせることに苦心したんでしょう。稲作り、家づくり、子作りとかに必要じゃないスキルはリスペクトされず、生産力の低い独り者にも冷たい。
そのDNAが残っているのでしょう。今も出る杭はガンガンに打たれるし、学校でも会社でもママ社会でも、仲間外れはなくならないですよね。一人だけ違った事すると叩かれる、ぼっちにはなりたくないから「周りに合わせなきゃ」と思う人が日本人には特に多い。
そういう圧力が、自分にしかキャッチできない野生のカンを鈍らせます。例えば大好きな漫画をを一日中書いていたいとか。
でもそれは逆に考えると、大好きなことを一日中やってればいいじゃんっていう常識の中に身を置けば、「周りにあわせなきゃ」と簡単に同化していくことができるってことです。
なりたい人間の傍に行く
人間はどんどん変化する生き物。人生には、今までの自分の常識の中で生きていくのが苦しくなると、家庭や職場での不和やトラブルという形で、「もう限界だよー」と知らせる機能がついています。
今までの自分を超えていきたいと思うなら、常識を書き換えなきゃです。それには自分の望む新しい常識の世界に住んでいる住人の傍に行けばいいのです。
職場を変える、結婚や離婚をして家族を変える、つきあう友人を変える、行きつけの店を変える、読む本を変える、見る映画を変える、読むサイトを変える…。こうなりたいと思う世界を知っている人の傍に、書いたものに、作ったものに触れればいいのです。
人はなりたいものになれる
辛い出来事が起こっている時は、人生のステージが変わる時。やりたいことやなりたい自分があるからこそ、向上心があるからこそ、それが起こっています。なりたいものに近づく最大のチャンスです。
やりたいことやなりたい自分が明確なら、それが頭から離れないなら、嫌でもそれを引き寄せてしまうのが人間です。詳しくはこちらの記事から→
みんなどうしてそんなにがんばってるの?潜在意識を使えば楽に生きられるのに。
辛い出来事がおきている時は余裕がなく「そんなものみつからない」と思うかもしれません。でも心配する必要はありません。目の前の小さなやりたいことをただやり続ければたどり着けます。
ココアを飲んでほっとしたいとか、大好きなものを買うとか、自分を喜ばせることをして、それをじっくり味わって楽しんでみるだけでいいのです。超簡単です。簡単すぎて誰も信じないくらい。
まとめ
人生には流れが変わる時があります。自分にとって最大のピンチは、常識を変えるための最大のチャンス。日本人に特に強く刷り込まれている「周りに合わせたい」というDNAを最大限に生かして、環境を変えることで常識を変えちゃいましょう。
日本人のDNAがあなたの味方についています。

こんにちは。
人生には、すべてが思い通りにならない、嫌なことばかり起こる、周りの人が気に入らない。そんな袋小路に陥る時がありますよね。
そんな気に入らない状況の中に、たった一つでいいから何か感謝できることを探すことができたら、そこから何かが変わります。
感謝は種
感謝というものは、どんなに小さくても、見つかりさえすれば大きく成長して、ありがたいなと思う気持ちを増幅させてくれるのです。つまり、感情増幅装置のようなものです。
たった一粒でも、どんなに小さくても大きく成長して現実を作ることができる。それが種とそっくりではありませんか?
耕す
種は、せっかく見つけても、草や作物がびっしり生えていると蒔く場所がありません。まずは草を刈りましょう。感謝に本来の力を発揮してもらうために、今までの古い考えを捨てるということです。夢を叶えるのは大変で、時間と努力が必要だという古い考えです。
草を刈り取ったら、耕しましょう。人間は欲しいものをすべて、自分の力で作り出すことができるし、すでに必要なものはすべて持っていることに気付くことが、耕すことです。
肥料をやる
草を刈り、土を耕して、感謝の種を蒔いたら、次は肥料です。感謝を育てる肥料は、自分を喜ばせる事や物です。やったら楽しくなることをやり、もらったらうれしくなるものを自分にあげましょう。
大好きな本を一日中読んだり、ワクワクするゲームをやったり、行きたくてたまらなかった所にでかけたり、欲しかった服を買ったり、大好物を食べたりしましょう。
楽しいこと、ワクワクすることが感謝を育てる肥料になります。
草を取りをしながら待つ
草を刈り、耕して、種を蒔いて、肥料を与えたらじっと待ちます。その間畑にはどうしても草が生えてきます。新芽が小さいうちは、雑草を抜かないと雑草に覆いつくされてしまいます。
雑草は、周囲からの「そんなバカなことばっかり言って」「もっと現実を見なよ」という声や、「自分にそんなことできるわけない」「私に楽しむ価値なんてない」という自分の頭の中の声です。
雑草は取っても後から後から生えてきます。ですから根気よく抜くしか方法はありません。でもこまめに草取りをすれば全然問題はありません。雑草が根を深く張る前に抜いてしまいましょう。そうすれば新芽はすくすくと育ちます。

まとめ
何もかもうまくいかない時、あなたができることはたった一つ。その状況の中で、たった一つでいいから感謝できることを探すだけです。それだけでうまく行きはじめます。
感謝はどんなに小さくても、地を耕して(捨てて)肥料をやって(自分を喜ばせ)草取りをして(雑音を無視して)待てば、大きく成長して感謝に溢れた世界に連れて行ってくれるからです。
感謝の波に乗ることが、小さくても、大きくても、あなたの夢を実現してくれる最速の方法です。

こんにちは。とびらです。
もうすぐこどもの日です。子供が産まれた時は存在してくれるだけでほんとにかわいかった。大きくなるにつれて、周りと比べたり、期待してしまったりしてそれを忘れてしまいます。
こどもの日は「人は存在するだけで奇跡」ということを思い出させてくれるめっちゃ大切な日なのかもしれません。
人は存在するだけでスバラシイ
うちの子も、もっと勉強ができたらいいのに。隣の○○君は超有名大学に入ったんだって、いいなあ。もっと運動神経が良かったらいいのに。○○くんはレギュラーになれていいなあ。
気が付くとこんなことを考えている私。しょうがないか、人間だものとうらやましがるのを許し、でもいつか子供が「存在するだけでいい」という境地になれたらいいなという野望も持っています。
そのせいでしょうか、何かにつけて違和感というか、いつもの嫌な感じがやってきます。
その嫌な感じは比較や期待から生まれていないか
昨日の嫌な感じも唐突にやってきました。昔から一緒にテニスをやっていて、息子よりいつもちょっと強かった子が試合に勝った時です。うらやましく思ってもいいことにしていても、まだまだ「いい人になりたい」という煩悩が私を悩ませます。
まてよ?この嫌な感じは比較することから始まっているんじゃない?そもそも、なぜ私は比較しているんだろう?
なぜ比較するのか
なぜ比較するのか考えると、子供の存在そのものがスバラシイことを忘れて、子供ができることを見ているからではないでしょうか。そもそも、できることに価値があって、できなければ価値がないと思っているということ。
自分の価値観、フィルターを通して子供を見ていたんですね。そのフィルターは自分が自分を見ているものと同じもの。役にたてる自分しか許せてないから、嫌な気持ちとして現れているんですね。

子供は縁あって自分のところに来た人。人生を楽しむ仲間、一緒の船に乗り合わせた人生で一番深く関わる人。船旅を楽しくするために、いろんな場面で自分の足りない部分に気付くよう仕向けてくれる人。
子供ってほんとに色んなことを教えてくれます。
形を変えて繰り返し教えてくれる
何の価値も生み出さない最低の自分や子供は、繰り返し私たちの前に姿を現します。何度も色んな姿で現れます。あまりしつこく現れるので「やっぱり私って最低、うちの子って全然ダメ」と思ってしまいがちです。
でもそれはきっと試されているのです。どんなに最低に思えても、ただ根拠もなくOKを出せるかどうか。心の準備をさせているのです。「存在するだけで奇跡」という、生きてるだけで幸せな世界に住むための準備を。
まとめ
「人間は存在自体が奇跡」よく聞く言葉だけど、当たり前すぎてありがたく思えない。そんな毎日を送る私たちに、「立ち止まって奇跡を見ろ」とこどもの日は、言っています。
日々の嫌なことも、うらやましいことも、悔しいことも、「立ち止まって奇跡を見ろ」と言っています。
まだまだその境地になるのは先かもしれませんが、私はその野望を捨てません。