歯医者さんで定期健診を受けていた時のこと。
きれいな歯科衛生士のお姉さんが私の口内をチェックしてくれる。
「8番から3.2.3、2.2.3.、3.3.2…、ブリーディング6番のエンシン、4番キンシン…」
分からない単語が私の頭の上を行き来している。もう10年もこの歯医者に通ってるけど、「キンシン」って何だろう?
一通りチェックが終わったらしい衛生士さんから優しく声をかけてもらう。
「ではお掃除に入っていきますね。痛かったら教えてくださいね。」
「キュイーーーンーーーンギュルギュルキュイーーーン」
見えないからわからないけど、多分歯石を取るために、先端の細いドリル状のものを歯と歯茎の間にあてているんだと思う。これってけっこう痛いんだけど、みんなどうなんだろう?
「キューーイーーーン」(痛っ)「ギュルルー」(痛っ)「キュン」(痛たたっ」かなり痛いけど、でも痛いって言っていいのかなあ?っていうか、口の中は水分でいっぱいで、どうやって言えばいいのかな?
手を上げればいいのかな、でもどんな風に上げたら変じゃないんだろう?ちょっとだけ上げて気付かれないのも困るし、どのくらいの高さに上げるのがさりげなくて正解なんだろう?
ぐるぐる考えているうちに口の掃除は終わってしまった。いつもこうだ。
この時私の中には二つの悩みポイントがあった。
一つは痛みは個人的なものだから、どのくらい我慢すればいいか正解がないこと。
その人によって痛みの耐性は違うし、耐性への慣れも人それぞれだからだ。だから結局は自分で決断するしかない。
二つ目は伝えることを決めた時の、伝え方の問題だ。
私はいつも診察台に乗るとすごく緊張してしまう。診察台の上は歯医者さんと栄養士さんの領域で、私は完全アウエイ。彼らのスタンダードが全くわからない。
でもなぜか、そのスタンダードに従うのが絶対だと信じていて、だからいつもすごく居心地の悪さを感じるのだ。毎日何人もの患者さんと接している衛生士さんが見ても変に思わないスマートなふるまいをしたい。
ものすごいプレッシャーだ。だからいつも「痛いです」と言ったり手を挙げたりするより、痛みを我慢する方を選ぶ。今日もそうだったしね。
でも、今まではそれでよかったけど、50歳を過ぎたからには歯の老化は避けられない。これからは徐々に痛みが増していくに違いない。いつまで我慢できるんだろう?
というか、敵のスタンダードを聞いてみるのはどうだろう?
「いつも疑問に思っていたんですけど、皆さん、痛いって伝える時にどんな風に手をあげてるんですか?」
それこそスマートじゃないかもしれないけど、聞くは一時の恥というし。自分の恥ずかしさをさらけ出した時、人はスマートになれるのだ。
次回聞くぞ。きっと聞くぞ。聞けるかな。
何を書こうか考えてるうちに一時間があっというまに過ぎる。時間って何をやってるかで、流れ方に違いを感じるけど、本当に同じなんだろうか。
例えば同じブログを書くにしても、自分の中から湧き出たものを文章にしていくと、あっという間に書けちゃうし時間もすぎるけど、色々と調べながら外から材料を集めて書く場合はずごく時間がかかる。
直感と言うか、ぱっと出てきたものを捉えた方が、文章的にはイマイチでも勢いがあって生き生きした文章になるような気がする。
自分の中のものを出すというと、誰かの役に立つようなものはあまりないように思う。でも実は、自分の経験や知識は自分独自のフィルダーで集められたもので、だからこそその中から誰かを助けられるという説もある。
でもそうすると問題が出てくる。だって自分が好きという理由じゃなく、仕事で必要だからとか、周りに合わせてやっとこう、みたいな妥協100%で集めた知識や経験もあるからだ。むしろそんなんばっかり。
それだと、みせかけ自分の集大成の知識、経験になってしまうから、自分独自のフィルターとはいえないんじゃないか。
夕べ観た「メッセージ」と言う映画が非常に興味深かった。
主人公の言語学者が、宇宙人と対話を重ねてお互いの意思を疎通させていくSFだ。未知の物体が怖いので、時間をかけて宇宙人の意図を知るよりも戦いたいっていう世論の中、主人公はがんばるのだ。
おもしろいのは、自分の人生に起こる色んな事が、宇宙人のメッセージを読み取るヒントとなって浮かび上がってくること。そのヒントに導かれてメッセージを解読していくんだけど、最後には他の誰も持っていない自分の視点を手に入れ、それを使うことで地球を救うのだ。
意味なんてないように見えたひとつひとつの経験が、すべてパズルのピースだったというわけ。個人的な、取るに足りないように見える経験が、実はその人にとってものすごく深い意味を持っているという、深遠なメッセージを伝える映画だったのだ。
私は驚愕した。知識や経験をヒントに自分独自のフィルターが完成すれば、地球だって救えるのか!いいなあ、欲しいなあ、私だけのフィルター。
その視点から色んな物を観るだけで、私だけのオリジナルでクスリと笑えるような洒脱な文が勝手に湧いてくるようになるかもしれない。ああいいなあ。
周りに良く思われるために千回くらい自分を裏切った経験とか、夫とけんかした後、こっそりTシャツの襟をビロンビロンに伸ばした経験とか、娘が迎えに来てと頼むラインを既読にしないようにしてる事とかが、私独自のフィルターを作ってくれてるのかなあ。
きっと知識だってもっとあればより早くフィルターが完成するに違いない。早くツタヤで映画借りてこなきゃ。
グーグルアナリティクスは、ブログを何人の人が訪問してくれたかチェックできる優秀なツールだ。でもそれは私にとっていつもひどく残酷だ。一日私のブログに訪れてくださる人は一人とか、三人、多くても八人位。しかも1秒程で去っていく。
毎日自分の記事の力不足を徹底的に思い知らされる。誰に書いているのか、何を伝えたいのか、毎日毎日考えてもわからない。それなのにあきらめずに書いている。バカみたいに、誰にも読まれないのに書いている。
バカみたいな事を一年続けてると、ちょっと悟りの気分になる。うーん、もしかして誰かに読んでもらうために書いているんじゃないんじゃないか?自分の楽しみのためだけに書いているんじゃないか?
でもだから今日このブログを読んでくれているあなたとは、本当に奇跡のような出会いじゃないかと思う。
遠く離れていても私の思いとあなたの思いは共鳴しているってことで、それがインターネットで繋がるなんて。技術革新に感謝しかない。
そしてやっぱりアナリティクスはスゴイ。だって、私のブログを読んでくれているたった一人のあなたの存在を教えてくれるんだもの。
ありがとう、アナリティクス。ありがとう、ここを訪問してくれたあなた。
小学生の頃、伝記が好きで、図書室にあった偉人伝記シリーズは端から全部読んだ。エジソン、ベンジャミン・フランクリン、キュリー夫人、西郷隆盛、ベートーベン、二宮金次郎、ヘレンケラー…。
今ならどんな偉人が並んでいるんだろう?その当時(40年も前だ)のスタンダードな偉人達は、とにかく立派な人達だった。貧しさやいじめ、病気などの様々な困難を不屈の努力で克服していた。
小学生の私は、そんな立派な人に憧れていたが、実際は極貧ってわけじゃなかったし、いじめにもあってなかったし、健康で、しかも致命的なことに、ベートーベンみたいに耳が聞こえなくなってもやりたいようなことがなかった。
何かを犠牲にしてもやりたいこと、しかも世の中のためになることじゃなきゃだめなんだ。小学校の図書室でそれをインプットしたせいか、その後好きなことができても、職業にするには今一つ「好き」が足りない気がした。
例えば作文、絵を描くこと、服を作ること、料理を作ること、英語。どれも好きだけど様々な困難なんて乗り越えられそうにない。とりあえず食べていくために働かなきゃ。
私にはどうしてもやりたいことなんてないんだ。強い意志のない心の弱い私には、好きなことを職業にするなんてとうてい縁がないんだ。
ゲームのレベルでいったらきっと2くらいだ。ベートーベンは8、西郷隆盛は10といったところか。レベルが2だと、一番簡単な第一ステージのボスキャラにさえ勝てないだろう。西郷隆盛なら軽くクリアだ。
そんな私は、でも今50歳になって好きなことをしている。大好きな読書と作文、時々映画。あとどのくらい生きられるかわからないからという消極的な理由で。
毎日本を読んでブログを書いている。時々人の文章と比べて恥ずかしくて死にたくなったり、絶望したりする。でも書くことで新しい自分を発見したり、思ってもいなかったことが文章になって出てきたりすると楽しい。
自分の中を探検しているような感じ。新しい視点を通して世界を探検している感じ。
きっと、好きなことをやっている人は毎日が冒険なんだろう。どこへ向かうのか先が全く見えない、ワクワクするようなアドベンチャー。
たまたますごーく世の中のためになった人が偉人と呼ばれ、そうでもない人もきっといて、でも偉人じゃなくてもその人たちは十分幸せなんだろうな。
今でいったらユーチューバーとかも楽しそうだもん。観てる私も楽しいんだから世の中の役にたってるしね。彼らはどのくらいのレベルなんだろう?聞いてみたい。
私「ユーチューバーとして活動するきっかけって何ですか?やはり強い気持ちがあったんですよね?」
ユーチューバー「普通に毎日やってることを動画にアップしてるだけなんで、特に何の気持ちもなかったですよ。」
こんな風に言われそうだ。レベルは0?あああ、もっと早く始めてればよかったな。
もしあなたがブログアフィリエイトを始めるなら、メジャーなfc2ブログで始めようと思ってませんか?
もし私のように「書くこと」を楽しんで収益を上げたいと思っているなら、bloggerの方がいいかもしれません。
私はブログのSEO対策や、カスタマイズ関係が全然できない。がんばろうと思っていた時もあったけど、無理だと気づいた。50歳の私に残された時間は限られてる。できない事に時間を費やし辛くなるより、楽しむことに時間を使いたい。
だからもうただ記事を書いていくだけ。有能なブロガーさんやアフィリエイターさんから見ると全然ダメなことを延々とやっている。
そんな私はfc2ブログとワードプレスでブログを書いていたのだが、最近bloggerを使いだして、fc2ブログが非常に使いにくいと気づいたのだ。
もちろんワードプレスは使いやすい。でも「ワードプレスはお金もかかってるし、開設するのに相当な手間もかかったんだから、使いやすくて当然でしょ。」と思う。
それなのに無料ブログでこんなに使いやすいのがあったなんて。ほぼワードプレス並み。(アフィリエイトができない他のブログサービスは使ったことがないけど)
「え?bloggerって何?」
私も全然知らなかったんだけど、グーグルの無料ブログサービスで、世界のブログ界じゃ主流らしい。
今日の記事ではfc2ブログと比較してその良さを挙げてみました。
fc2ブログとbloggerを比較してみた
なぜこの二つを比較するのかと言うと、アフィリエイトOKのブログサービスだから。他の無料ブログサービスでアフィリエイトをしてると凍結されるというのが通説らしいです。
それに日本のアフィリエイト界ではfc2が圧倒的に知名度が高い(と思う)。だからアフィリエイトするならfc2というのが現状での常識なのだ。
fc2ブログのメリット・デメリット
メリット
・アメブロに並ぶ国内最大のブログサービス。ユーザー数は1500万人
・コミュニティ機能の充実
・利用者が多いので、困った時に教えてくれるサイトが鬼のようにある
デメリット
・基本的な使い勝手が悪い
・無料版だと広告が表示される
この中の使い勝手について詳しく説明すると、具体的にはこの2点が嫌い。
・プレビューの状態で書くことができない。
テキストの状態で書きながら、いちいち下のプレビュー画面をスクロールして確認しなきゃならなくて、すごくめんどくさい。
・画像のサイズ調整が難しい
大きくなっちゃったり、小さくなりすぎちゃったりして中々ちょうどいいサイズにならない。解説ブログを首っ引きで見ながら何日もかけて調節しなきゃならなかった。
bloggerのメリット・デメリット
メリット
・世界最大のブログサービス。ユーザー数は5億人。
・無料のままで広告表示なしにできる。
・基本の使い勝手がすごくいい。
・グーグルの各種サービスが超簡単に利用できる。
何といっても使い勝手の良さに胸を打たれる。
・文字の修飾も見出しもプレビュー状態でできるし、リンクも超簡単に貼れる。
・画像はちょうどいいサイズでちょうどいい場所にレイアウトされるだけじゃなく、説明もつけやすい。
グーグルの便利なサービス、サーチコンソールやアナリティクスを簡単に利用できるのはこちらの記事に書いたので参考に→グーグルのbloggerが初心者に刺さる理由
その他にも、私はスマホがアンドロイドなので、スマホで撮る写真はほとんどグーグルフォトに登録されちゃうのだが、その写真が超利用しやすいのだ。どんなしくみかはよくわからないけど便利だ。
デメリット
・コミュニティ機能なし
・bloggerの解説系のブログ、記事がすごく少ない。
実はfc2ブログでも、ワードプレスでも、私はコミュニティ機能を全然使えていない。使い方は調べればわかるのだが、ヘタレな私は、他の立派なブログを書いている方と交流するなんて恐れ多くて、とてもとてもできないのだ。
だから本当に孤独でひとりぼっちでブログを書いている。そんな私にはコミュニティ機能がないというのはデメリットじゃない。でも交流好きな人には残念でしかないでしょう。
解説系ブログが少ないのは確か。仕方なくグーグルのヘルプを見ると、ちょいちょい英語になってしまいイラっとする。テンプレートをいじったりカスタマイズしたり、こだわりのブログにしたい初心者には厳しいと思う。
でも基本的な使い方はすごく簡単なので、ただ書くだけの人には問題ないんじゃないかなあ。
まとめ
SEOやカスタマイズができないIT音痴。でもブログはやりたい、少しでも収益があればもっとうれしい。
スバラシイ記事が書けなくて、収益化の方法も知らなくて、お金も稼げてなくても、何かを書きたい。
bloggerは、そんな私のようなおバカな人も、楽しくブログを続けられるサービスです。