昨日御殿場のアウトレットに行った時のこと。
大学生の娘の憧れはGUCCI。以前から黒い小ぶりの肩掛けバックが欲しくてたまらない。でも10万円のお値段にとても手が出ない娘。親の私も、高い学費を負担しているため買ってあげる余裕はなく、いつも「見るだけ」のためにGUCCIに立ち寄っていました。
昨日もいつものように、まずお目当てのバックを拝みにGUCCIに。「ホントに素敵(ため息)よし!似た感じで買えそうなのを他で探すぞ。」娘は気を取り直して他の店へ。
サマンサタバサ、COACH、Jil Sander、Michael Kors...。あちこち見て歩くこと半日。確かに似たバックはけっこうあるんだけど、娘の頭の中にあるバックのイメージを超えるものは中々見つからない。
それでも、アウトレットはぶらつくだけでも楽しい。ランチやカフェも楽しんだし、ウインドウショッピングも満喫したので帰ることに。帰り際にもう一度拝んでいこうと、GUCCIに寄りました。
バックを前に大好きをダダ洩れさせる娘。そんな娘に夫がぽつり。「5回分割でどう?」あまりにも欲しい光線を発する娘に、夫がお金を立て替えてあげるから、後からバイト代で返せばいいよと。
私はどんなに欲しくても借金してまで買いたくないタイプ。娘だってそんな提案は却下だろうなと思ったら、天国に登ったかのように大喜びしたのです。その喜びようと言ったら店の人が驚くほど。
そんな娘を見て、私は思いました、ええ。
こんなに喜んでお金を使う娘は、きっとお金に困ることはないだろうなと。
お金って、天下の回り物とか、使わないと入ってこないとかよく言われる。自分にとってちょっと怖いと思うような金額を出せることが大事だって。
でも私はお金を使うのが怖い。使ったらなくなってしまうと思うから。だから月収3万Byバイトの娘が10万円のバックを買うって、怖くないの?ってびっくりしてしまった。
娘を見てて、お金を使う時の気持ちがすごく重要なんだなって実感した。私は好きなものを買う時でも、引き換えにお金がなくなることに残念な気持ちがある。もっと安く買えたらよかったのに、なんて思って気持ちよくお金が使えないのだ。
でも娘は、大好きなバックが手に入る!お父さん、お母さん、お金貸してくれてありがとう、お金さんありがとう!ほんとにうれしい!と本当に幸せにお金を使っていた。
私がもしお金だったら、流れていく自分に「もっと楽しませて!行かないで!」とすがりつく人より、「楽しませてくれてありがとう、また来てね」と気持ちよく送り出してくれる人の方に絶対また行きたくなる。
だから娘みたいな人の所にお金が入ってこないわけがないなと、腑に落ちてしまった。
本当に欲しいものに気持ちよくお金を使うことが、こんなにも幸せなことなんだなあ。
さあ、私も娘を見習って、本当に欲しいものに大金を使おう。?本当に欲しいものってなんだろう?
ブログのファンはあなたのファン
私はお見合いを何回もして、婚活パーティーにも行き、やっと結婚できたのが30過ぎ。20年前だから当時としてはかなり遅めの結婚だった。
そのせいか婚活ブログが好き。「うんうん、あるある」とか「そんな男絶対やめた方がいい」とか当時のドキドキを思い出して楽しい。結婚相手を探すのも冒険だったなー。
お気に入りのブログはブックマークしてある。歯に衣を着せないものの言い方とか、人間観察が鋭いとか、ダメな自分をさらけ出す潔さとかに弱い。ついブックマークしちゃう。
作者の個性が強ければ強いほど、引き寄せる力が強い。その人の書いたものをまた読みたくなる=ファンになる。
あなたを好きになってもらうには?
ブログを始めたばかりの頃、誰かに読んでもらいたいと思うあまり、誰かの役に立つ記事を書かなきゃと必死だった。自分の書きたくない分野を一生懸命調べて記事にしたり。
でも楽しんで書いていない記事は誰が読んでも楽しくない。楽しい時ってその人らしさがビームのように発散される。だから無理して書いてるブログは書き手の良さが全然伝わらないんだよね。ええ、ほんと1日1pvとか普通でしたから。
しかーし!ファンになってもらうには、私らしい記事を書いて私を好きになってもらうしかない。そのためには・・・・・自分が自分のファンになることだ!
あなたがあなたを扱うのと同じように周りの人はあなたを扱う
なぜかというと、周りの人は自分を映す鏡だから。自分を責めてばかりいる人は、責める人が周りに集まってくるし、自分を褒めてばかりいる人は、褒める人が周りに集まってくる。頭の中で考えていることが現実に現れてくる。
詳しくはこの記事をどうぞ
↓↓↓
みんなどうしてそんなにがんばってるの?潜在意識を使えば楽に生きられるのに。
自分のことを大好きになり価値のある人間として扱えば、あなたを大好きな人が周りに集まってくるというわけ。
努力はいらない
そんなこと言っても私にはそんな魅力ないもん、魅力のある人間になるために努力をしなきゃ、賢くなきゃ、可愛くなきゃ、優しくなきゃ…。そんな風に思っちゃうことあるよね。私もずっとそうだった。
みんな魅力を生まれつき持っていて、それに気付くだけでいい。っていうか魅力的な人はそう考えてるらしい。
詳しくはこの記事をどうぞ⇒苦しい時は「しなきゃならない努力」をやめろ
勉強したり、化粧したり、優しくしたりしなくてもいい。がんばる必要なんてなかった。ただ存在するだけで、ありのままで愛される価値があるって思うだけでいいんだから。
それに欠点も魅力になるっていう考えもあると知って、すごく楽になった。確かに人は欠点で愛されるっていうよね。詳しくはこちらの記事をどうぞ→コンプレックスがあなたの魅力
まとめ
ブログのファンを作るには、回り道のように見えるけど、自分のファンになることが近道。
毒親に育てられた私は、自分のファンになるのにすごーく時間がかかった。そんな人も焦らなくて大丈夫。少しずつ呪文から自分を解き放とう。
自分のファンになると決めさえすれば、ゆっくりでも必ずファンになれる。あきらめずに一歩を踏み出すだけだ。
屋根裏を整理していたら、中学、高校時代のアルバムが出てきた。見るのは20年ぶりぐらい。
小学校では周りの目を気にせず自分の思い通りに行動していたのが、中学に入ると、人からどう見られるかがすごく気になるようになった。だから友人も少なく暗黒の時代だったなあ。
そう思いながらアルバムをひろげると、たくさんの友達の間で何とも楽しそうな私の姿があるじゃないの。???高校を卒業してからの30年で記憶を改ざんしてしちゃった?
思春期の最大の関心事といえば異性。学童期の武器といえる、遊びを考え出したり、人を笑わせるスキルは高かったけど、残念なことに思春期の武器となる女らしさとかきれいに見せるスキルがなかった私。
中学に入ると
もてたい⇒きれいになりたい⇒スキルがない⇒もてない⇒自信ガラガラ
と小学校では人気をゲットできたスキルが役に立たなくなってきたことにじわじわと気づき、モテないことが最大のコンプレックスに。
そのコンプレックスが、中高時代の楽しかった思い出をぜーんぶ記憶のどこかにしまい込んじゃったらしい。思い出は辛かったことばかりという暗黒の時代に塗り替えられていた。
今回アルバムを久々に見て、人間は自分の見たいようにしか見ないんだなと実感。30年も楽しかった青春の出来事を全部しまい込んで、辛かったことだけを思い出してたなんてね~。
そんなやっかいなコンプレックスだけど、実は他人から見ると魅力的なポイントになるということがよくある。
お笑い芸人を見るとよくわかる。デブ、ハゲ、訛りというコンプレックスをウリにした芸人さんは、コンプレックスを完全にネタにして笑いに変えている。
共通しているのは、コンプレックスをちょっと離れて冷静に見ている目線があること。達観しているというか、悩みの渦に巻き込まれていない感じ。
思春期の私は、モテるように見せようとか、気にしていないように見せようと力を使い果たし、とても冷静に見るような余裕はなかったなあ。逆に言うと、隠そうとすることに労力を使わずに、笑いに変える方に力を注げばよかったんじゃない?
人生で一番悩んでいて、誰にも知られたくないとひた隠しにしているものを笑いに変えられるなんて、かっこいい。みんなそう思うんじゃない?あの頃の私に教えてあげたい。
そもそも完ぺきな人間なんて近寄りがたいよね。完璧な人間はいないというけど、みんな自分には欠点があると思ってるんじゃない?だから欠点を持っている人に会うと親近感を感じて距離が縮まったりする。
今コンプレックスを持っていて、隠さなきゃと思ってるなら、こんな視点で自分のコンプレックスを見てみるとみんなに愛されちゃうかもしれないぞ!
「レディ・プレイヤー1」は巨匠スピルバーグが監督したSF映画。スピルバーグはこの映画で、運命の小さなささやきが、誰かをジェットコースターのように日の当たる場所へ連れていく様子を描きたかったんじゃないかな。かつての自分のように。
物語は、2045年の荒廃した未来世界が舞台だ。人々はその現実から逃れ、バーチャルリアリティーの世界「オアシス」に浸っている。そこではゲームをするだけでなく、仕事をしたり、学校へ行くという、食事や排せつ以外のほとんどを行えるようになっている。
その「オアシス」の持ち主が、死に際にゲームを仕掛けた。勝てば彼の総額56兆円もの遺産と「オアシス」の運営権を手に入れることができるというゲームだ。世界中の人が争奪戦をスタートさせた。
主人公のウエイドは、ぱっとしない現実から逃げ込むように、VRの世界にハマっている若者の一人。ゲームが好きでハマっている人は大勢いる。ウエイドはその他大勢とどこが違うのか?それはウエイドが好きを極めたオタクだってことだ。
ゲーム好きのウエイドは「オアシス」の創始者のジェームス・ハリデーに関する知識も半端ない。ハリデーが何を考え、何を求めていたのか。ハリデーの意図を読むのにその膨大な知識が役に立ったのだ。
ハリデーの言葉を何度も頭の中で繰り返していたウエイド。だからこそ、さらなるヒントを求めて出かけたハリデー年鑑で、運命の小さなささやき「後ろに動いてみればいいのに」をキャッチできたのだ。
そのヒントで最初のミッションをクリアしたのち、次のミッションをクリアできたのもささやきのおかげだった。
彼はその時、アルテミスという美人アバターに恋をしていた。仮想世界の中で思いを告げるウエイドに、アルテミスは「あなたは現実を生きていない。そんな男は願い下げ」とにべもない。
運命に導かれて現実世界でも二人は出会う。顔にあざをもったリアルのアルテミスを見て、ウエイドは自分の愛が変わらない事を告げる。心を揺さぶられるアルテミス。
恋の始まりは恐れに満ちている。キスしたい、でも拒否られるかも…。そんな二人の心の揺らぎが運命のささやきだった。
ハリデーには、昔恋をした女性にキスできなかったという後悔があった。生涯ひとり身で寂しかったハリデー。恐れを超えて人とつながることの大切さがわかる人をオアシスを運営する後継者にするべく、ヒントを仕込んでいたのだ。
そのささやきをキャッチしたのはアルテミス。好きを突き進むウエイドに、周囲の助けがどんどん集まるようになってくるのだった。協力しあう仲間たちができて、ウエイドはどんどん楽しく、どんどん強くなっていく。
様々な敵の妨害に会いながらも、苦労の末ウエイドが最後のミッションもクリアすると、今までアバターとして登場していたハリデーが、本当の姿を表す。同時に子供時代のハリデー、その当時の部屋の映像が現れた。
ゲームに熱中する子供のハリデー。日の当たる場所にいなかった頃のハリデー。純粋に好きなことをしていた子供時代の映像を見せる。
そこでウエイドが、イースターエッグ(遺産とオアシスの運営権)を手に入れる。それは「好き」なことをしていれば宝物を手に入れることができることを暗示している。
スピルバーグが映画監督になったのは偶然の結果だったと、スピーチで言っていたのをネットで見たことがある。彼は初めて見た映画の列車事故のシーンが忘れられなくて、それを再現したくておもちゃの電車で遊んでいたという。
本当にぶつけて壊したいけど、おもちゃがなくなったらもう遊べない。その時、「列車同士をぶつけて壊すところをカメラで撮影すれば、繰り返し何度も楽しめる」と思いついたという。そして初めてムービーを撮った。それが映画監督の始まりだったと。
「目の前にある好きなことを続けることが、あなたを日の当たる場所へ、あなたの行きたい場所へ、連れて行ってくれる。」
オタクは、周囲の目を気にせずに好きなことを楽しんでいる。この映画は、そんなオタクたちへの賛歌。スピルバーグは自分もそうだったし、それでいいと伝えたいんだと私は受け取ったよ。
「好きを楽しむ」だけでいいなら、今すぐから始めよう!
あなたの周りには子供のような人がいないだろうか?周りの人の空気も読まず、迷惑も顧みず、好きなことをやっている人。私にはいる。それが両親だ。
とにかくやりたいことに直球で、邪魔されると烈火のように怒る。お互いにやりたいことをやってそれを尊重できればいいんだけど、尊重の仕方を知らない二人。お互いどうして私をバカにするんだと、年中夫婦げんかをしている。
そんな両親が好きになれず、いつも思ってた。「お願いだから早く死んで」
だから子供っぽくやりたいことに直球な自分の性格が、両親、特に母親に似ているように思えてすごく嫌だった。「自分のことしか考えられない自己中心的な人間」なんて絶対に許されない。そんな性格は矯正しなきゃ。
こうして私の中にできた法則が
やりたいことをやる=自己中心的
やりたいことを我慢=思いやりがある。大人。
というもの。
やりたいことをやっちゃだめだと思っていたから、やりたいことやっている人をみるといつもモヤモヤしていたし、子供や猫にもイライラした。「やりたいことに直球」を許せなくて羨ましかったんだよね。
もし、あなたがやりたいことに手が出せないなら、自分勝手な人に振り回されていたのかもしれない。
やりたい放題の人に迷惑をかけられたことがあるのかもしれない。
身近な人にやりたいことを優先されて大切にされなかったことがあるのかもしれない。
でもそのことが原因で、もっと大人にならなきゃと思っているのはものすごくもったいない。
子供の、感情に素直で、好奇心いっぱいで、今を楽しむことに全力投球するという性質こそが、人生をおもしろく豊かにしてくれるものだから。
そして楽しそうにはしゃいでいる人を見ていると、周りの人も幸せな気持ちになるもの。それは自分の楽しかった子供時代を思い出すから。だから純粋にやりたいことにまっすぐな人を応援したくなる。
やりたい放題の憎らしい父は、サラリーマンだったけど仕事は楽しそうだったし、自分勝手な母は小さなお店を始めて今も繁盛している。
自分がやりたいことをやる人生を歩きたいと思った時、両親が許せないことが、自分を超しばってるような気がしてきた。
だから「許せない」気持ちとすっごーく嫌だけど向き合ってみた。それしか先に行けないような気がして。許せなくてもいいから、許せない嫌な気持ちを隠さないで、表に出してあげるようにしてみた。
嫌な気持ちをとことん味わうぞ。ケンカばかりの両親、子供を尊重しない両親、そんな中に育ったんだから許せなくて当然。好きなだけ怒っていい。私は全然悪くない。
そんな風に自分の心を自由にしたら、徐々にだけど許せない気持ちが緩んできた。けっこう時間がかかったけど、私の場合一年くらいで、両親を許さないことでメリットもあったなと気付き、許すも許さないもないなと思うようになってきた。
そのメリットの一つが、
やりたいことをやる=自己中心的
やりたいことを我慢=思いやりがある。大人。
という法則を作って、やりたいことへ挑戦しない自分と向き合わずにすんだこと。
やりたいことをやってだめだったらと思うとものすごく怖かった。それを親のせいにしていたかもなあ。
子供みたいにやりたいことをやっていいと思うようになってからも、長年刷り込んだ「そんなの無理」がいろんな場面で顔を出す。その度に「大丈夫、できる」と言えるようになっただけちょっとだけ進歩だ。
やりたいことができないのは、自分自身の思い込みのせい。そのルーツを探れば、人生がずっと楽しくなる。そして、子供の頃に戻って、自分のやりたいことに直球になろう!