常識の外に住む人たち

目安時間:約 6分

友人が乳がん検診に引っかかった。

 

 

私も数年前引っかかったことがあって、白黒つくまでどよーんとした事を思い出す。ところが彼女の場合、あっさりとしたものだ。

 

友人「人間いつか死ぬんだから別にがんでもいいんだけどさ、痛いのがいやなんだよね。」

 

かっこいい。生に対する執着というものが感じられない。仙人なのか?

 

友人は同級生だというのに。驚くのが悔しいので「ああ、うん、痛いのはいやだよね。」と適当に相槌を打った。

 

何が「ああ、うん」なものか、私は友人の生死を達観したセリフに心を奪われていた。ああ、彼女はいつもこうなんだ。かっこよすぎる。

 

彼女は結婚した当初から、子育てなんて私には無理、と子供を持たなかったし、世間一般的な近所付き合いもしないし、ご飯も作らない。

 

好きなことしかしないという生き方を貫いている人なのだ。

 

それに引き換え私は、結婚したら子供を持つ、近所の人とうまく付き合う、家族にご飯を作るっていうのは、好きとか嫌いとかじゃなくて、社会的に求められているもので、するのが当たり前だと思っている。

 

だから強烈に憧れるのだ。「常識の外に生きてる」人だから。

 

私は彼女みたいなタイプの人の友人が多い。コンプレックスからなのか、憧れからか、ついそういうタイプの人に吸い寄せられてしまうのだ。

 

ユウコという友人がいる。彼女はやさしく稼ぎの良い夫を愛している。でも彼女は何人もの男性と、同時進行でお付き合いするのを欠かさない。

 

自分の愛情を注ぐのが夫と子供だけだと、愛情が少なくなってきてしまうという。愛は注げば注ぐほど溢れてくるらしい。

 

夫や子供にばれないのか、っていうか、淫乱っていうんじゃないのか、そういうの。

 

でも彼女には全然迷いはない。こんな風にしか生きられないからしょうがないと彼女は言う。やっぱり達観してる。くーぅ、かっこいい。

 

ちなみに私はというと、めったにないため、たまに酔狂なもの好きな人に口説かれたりすると、目が泳いでギクシャクしてしまう。

 

もともと口説いてくるような人は遊び人だ。そんな人と対等な会話ができるようなスキルなんて持ってないのに、できる風を装って自滅して、お付き合いになんて到底至らない。

 

そう告白すると、「うわ、それ痛いね。」といいながら目は笑っていて、「そういうとこ、好きだな。」とフォローしてくれる。その優しさに胸を打たれる。

 

待ってて、いつか私もそっちに行くから。近所の人にも平気で文句を言い、孫の誕生日のお祝いなんてあげず、好きな男ができたら愛を注ぐ、生粋の常識外れになるから。

 

だがそれは茨の道だ。私は筋金入りの常識人なのだ。家の前を掃除する時は、時間もやる気もないのに向こう三軒両隣まで掃く。ジジババへのプレゼントや付け届けも全然やりたくないけど、仕方なくやっている。

 

どうしてやりたくもないのに常識的な行動をするのか、突き詰めてみると、自分の頭で考えることを避けたい、面倒を避けたい、できるだけ楽をして生きたいという所に行きあたる。

 

そうか、常識通りに動かない彼女たちには、予測不能な事態がしばしば起こっていて、その度に決断していたんだ。

 

駐車場でいつも子供を遊ばせているご近所さんがうざい。「車の出入りに邪魔だからここで遊ばないで」と言えば確実に嫌われるだろうけどイインデスカ?ファイナルアンサー?

 

あの人のことが好き。誘いに乗れば夫や子供にばれて家を追い出されて無一文になるかもしれないけどイインデスカ?ファイナルアンサー?

 

リスクは拒否してメリットだけを得るということはできないのだ。

 

OKわかったよ。私には遠い道のりだってことが。

 

でも最初の一歩が一番大変だというじゃない。まずは形からと思って雇われるのをやめてみた。パートに行かず家でPCに向かう毎日はかっこいい。しかもお給料はない。リスクをとっている。

 

だが、今日、偶然買い物の途中にユウコに会った。手ぶらで女優のような帽子を被っていた。ああ、もう女でしかない。

 

両手いっぱいのレジ袋に食材を詰め込んだ私は、彼女との距離の遠さを思って気が遠くなる。冥王星?

 

夫や息子にもっと○○になって欲しい時

目安時間:約 4分

こんにちは。とびらです。

 

高校でテニスをやっている息子は、腰の疲労骨折になってしまい休養中。先日その仲間たちのインターハイ予選があり応援に行ってきました。

 

私は息子の友達をうらやましいと思う自分を責めてしまいがち。この日もさんざんやっちゃいましたが、(関連記事はこちら→アクシデントをラッキーに変える方法・うらやましいとの付き合いかた)「お、やってるな」とメタ認知したりして中々楽しかったです。

 

でも、新たな「もやっと」が現れました!それが「息子にも気付いて欲しい」です。もやもやは自分の常識を見つめ直すサインですから、また新しい自分を見つける冒険の始まりです。

 

目の前の人を変えたい時

高校に入ってからの息子は、試合の時いつも「負けたらどうしよう」と思ってしまうようで、中々勝ち進むことができません。

 

私は「勝敗は天に任せればネガティブ思考にならない。機嫌のよい状態でいれば、今自分ができることをより多く気付けるはず=チャンスが増える」との考えを採用してほしい!息子は反発するのでもやもやする、というわけです。

 

「私の考え>息子の考え」をやめる

息子がなんで反発するのか考えてみました。思い当たるふしはあるある。教える=足りてないという公式に当てはめると、私の考えを採用して欲しいというのは、息子の考えはダメだと言っているのと同じだもの。

 

「私の考え」>「息子の考え」では、息子が「自分は尊重されてない、自分は何もできない人間だ、自分はダメだ」と考え自信がなくなるのも無理はありません。私が教えてあげないとこのまま勝てないって思っていると、本当にそうなって行きます。

 

息子を尊重する

私がやらなきゃならないことは、息子の考えを聞きそれを尊重すること。「必要なものは全部、息子が自分で気付くことができる」と思えば本当にそうなります。それが理屈ではわかっていても思えないんだよね~。

 

それはなぜか?人は自分が許されてないことを、人に許すことができない生き物です。だから自分で自分を尊重できていないと、人のことも尊重することができないんですよね。

 

自分を尊重する

私が息子を尊重できないのは、まだまだ自分を労うのが甘いせい。こんな場合は、すんごく小さなことで自分を労うのがいいんです。

 

例えば「ごはんを作ってえらい」とか「ブログを書いてすばらしい」とか「息子を学校に送って行った私はとても優しい」とか「猫に餌をやっている私はよくやっている」とか。

 

ほめて褒めてほめまくって自分の心を暖かくしましょう。暖かくなるまで100個くらい褒める箇所をあげてみましょう。私も101個目くらいから息子を尊重する気持ちが湧いてきた気がします。

 

まとめ

もっと○○になって欲しい。夫や子供に対して思えば思うほど思い通りにならないものです。でも自分の考えを変えると、知らないうちに自分の望みをはるかに超えたような人に変わっていたりします。

 

自分に変えられないものを変えようとするのではなく、自分が変えられるものに気付くことができたらいいですね。

プロフィール

 

管理人:やっちゃん@平戸育子

ゆるベジ料理スペシャリスト

厳格なマクロビアンの家庭で育ち過食症に。克服した経験と、自然食品店勤務20年の経験を元に、簡単に作れて、美しく、食べておいしいゆる~いマクロビオティック料理の教室を主宰しています。/リマクッキング富士宮校講師歴10年/映画と読書とお酒が大好き/10代後半の子供二人と、単身赴任中で週末だけ帰ってくる夫と静岡県富士宮市に住んでいます。/自分の体を信じることで自然に健康になっちゃう考え方やレシピを配信しています。

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