友人が乳がん検診に引っかかった。
私も数年前引っかかったことがあって、白黒つくまでどよーんとした事を思い出す。ところが彼女の場合、あっさりとしたものだ。
友人「人間いつか死ぬんだから別にがんでもいいんだけどさ、痛いのがいやなんだよね。」
かっこいい。生に対する執着というものが感じられない。仙人なのか?
友人は同級生だというのに。驚くのが悔しいので「ああ、うん、痛いのはいやだよね。」と適当に相槌を打った。
何が「ああ、うん」なものか、私は友人の生死を達観したセリフに心を奪われていた。ああ、彼女はいつもこうなんだ。かっこよすぎる。
彼女は結婚した当初から、子育てなんて私には無理、と子供を持たなかったし、世間一般的な近所付き合いもしないし、ご飯も作らない。
好きなことしかしないという生き方を貫いている人なのだ。
それに引き換え私は、結婚したら子供を持つ、近所の人とうまく付き合う、家族にご飯を作るっていうのは、好きとか嫌いとかじゃなくて、社会的に求められているもので、するのが当たり前だと思っている。
だから強烈に憧れるのだ。「常識の外に生きてる」人だから。
私は彼女みたいなタイプの人の友人が多い。コンプレックスからなのか、憧れからか、ついそういうタイプの人に吸い寄せられてしまうのだ。
ユウコという友人がいる。彼女はやさしく稼ぎの良い夫を愛している。でも彼女は何人もの男性と、同時進行でお付き合いするのを欠かさない。
自分の愛情を注ぐのが夫と子供だけだと、愛情が少なくなってきてしまうという。愛は注げば注ぐほど溢れてくるらしい。
夫や子供にばれないのか、っていうか、淫乱っていうんじゃないのか、そういうの。
でも彼女には全然迷いはない。こんな風にしか生きられないからしょうがないと彼女は言う。やっぱり達観してる。くーぅ、かっこいい。
ちなみに私はというと、めったにないため、たまに酔狂なもの好きな人に口説かれたりすると、目が泳いでギクシャクしてしまう。
もともと口説いてくるような人は遊び人だ。そんな人と対等な会話ができるようなスキルなんて持ってないのに、できる風を装って自滅して、お付き合いになんて到底至らない。
そう告白すると、「うわ、それ痛いね。」といいながら目は笑っていて、「そういうとこ、好きだな。」とフォローしてくれる。その優しさに胸を打たれる。
待ってて、いつか私もそっちに行くから。近所の人にも平気で文句を言い、孫の誕生日のお祝いなんてあげず、好きな男ができたら愛を注ぐ、生粋の常識外れになるから。
だがそれは茨の道だ。私は筋金入りの常識人なのだ。家の前を掃除する時は、時間もやる気もないのに向こう三軒両隣まで掃く。ジジババへのプレゼントや付け届けも全然やりたくないけど、仕方なくやっている。
どうしてやりたくもないのに常識的な行動をするのか、突き詰めてみると、自分の頭で考えることを避けたい、面倒を避けたい、できるだけ楽をして生きたいという所に行きあたる。
そうか、常識通りに動かない彼女たちには、予測不能な事態がしばしば起こっていて、その度に決断していたんだ。
駐車場でいつも子供を遊ばせているご近所さんがうざい。「車の出入りに邪魔だからここで遊ばないで」と言えば確実に嫌われるだろうけどイインデスカ?ファイナルアンサー?
あの人のことが好き。誘いに乗れば夫や子供にばれて家を追い出されて無一文になるかもしれないけどイインデスカ?ファイナルアンサー?
リスクは拒否してメリットだけを得るということはできないのだ。
OKわかったよ。私には遠い道のりだってことが。
でも最初の一歩が一番大変だというじゃない。まずは形からと思って雇われるのをやめてみた。パートに行かず家でPCに向かう毎日はかっこいい。しかもお給料はない。リスクをとっている。
だが、今日、偶然買い物の途中にユウコに会った。手ぶらで女優のような帽子を被っていた。ああ、もう女でしかない。
両手いっぱいのレジ袋に食材を詰め込んだ私は、彼女との距離の遠さを思って気が遠くなる。冥王星?