こんにちは。とびらです。
もうすぐこどもの日です。子供が産まれた時は存在してくれるだけでほんとにかわいかった。大きくなるにつれて、周りと比べたり、期待してしまったりしてそれを忘れてしまいます。
こどもの日は「人は存在するだけで奇跡」ということを思い出させてくれるめっちゃ大切な日なのかもしれません。
人は存在するだけでスバラシイ
うちの子も、もっと勉強ができたらいいのに。隣の○○君は超有名大学に入ったんだって、いいなあ。もっと運動神経が良かったらいいのに。○○くんはレギュラーになれていいなあ。
気が付くとこんなことを考えている私。しょうがないか、人間だものとうらやましがるのを許し、でもいつか子供が「存在するだけでいい」という境地になれたらいいなという野望も持っています。
そのせいでしょうか、何かにつけて違和感というか、いつもの嫌な感じがやってきます。
その嫌な感じは比較や期待から生まれていないか
昨日の嫌な感じも唐突にやってきました。昔から一緒にテニスをやっていて、息子よりいつもちょっと強かった子が試合に勝った時です。うらやましく思ってもいいことにしていても、まだまだ「いい人になりたい」という煩悩が私を悩ませます。
まてよ?この嫌な感じは比較することから始まっているんじゃない?そもそも、なぜ私は比較しているんだろう?
なぜ比較するのか
なぜ比較するのか考えると、子供の存在そのものがスバラシイことを忘れて、子供ができることを見ているからではないでしょうか。そもそも、できることに価値があって、できなければ価値がないと思っているということ。
自分の価値観、フィルターを通して子供を見ていたんですね。そのフィルターは自分が自分を見ているものと同じもの。役にたてる自分しか許せてないから、嫌な気持ちとして現れているんですね。
子供は縁あって自分のところに来た人。人生を楽しむ仲間、一緒の船に乗り合わせた人生で一番深く関わる人。船旅を楽しくするために、いろんな場面で自分の足りない部分に気付くよう仕向けてくれる人。
子供ってほんとに色んなことを教えてくれます。
形を変えて繰り返し教えてくれる
何の価値も生み出さない最低の自分や子供は、繰り返し私たちの前に姿を現します。何度も色んな姿で現れます。あまりしつこく現れるので「やっぱり私って最低、うちの子って全然ダメ」と思ってしまいがちです。
でもそれはきっと試されているのです。どんなに最低に思えても、ただ根拠もなくOKを出せるかどうか。心の準備をさせているのです。「存在するだけで奇跡」という、生きてるだけで幸せな世界に住むための準備を。
まとめ
「人間は存在自体が奇跡」よく聞く言葉だけど、当たり前すぎてありがたく思えない。そんな毎日を送る私たちに、「立ち止まって奇跡を見ろ」とこどもの日は、言っています。
日々の嫌なことも、うらやましいことも、悔しいことも、「立ち止まって奇跡を見ろ」と言っています。
まだまだその境地になるのは先かもしれませんが、私はその野望を捨てません。
こんにちは。とびらです。
卒業、入学のシーズンです。うちは10代後半の娘と息子がいるので、入試、卒業、入学が繰り返される何年かを過ごしています。
入試って学力の比較なので、自分の子と人の子の違いがいやでも目に入ってきちゃいますよね。うちの子達は学校の順位によるとほぼ真ん中。「真ん中でよかったー」と思いたいのに、「ちっ真ん中かよ」と思う自分にずっとモヤモヤしていました。
特に他の子を「うらやましいな」と思う時モヤモヤが大量に放出。何でなんだろう?モヤモヤしない方法はないの?と研究を重ねました。
その結果、今はうらやましいのは変わりませんがモヤモヤしなくなりました。その理由とは?
好きなだけうらやましがろう
「うらやましい」はどこからくる?
モヤモヤを取り除くには、まずその原因を知らねば!ということで、「うらやましい」はどういうものか考えてみました。
ウイクショナリー国語版では「うらやましい」をこんな風に定義しています。
他人の様子を見て、自分もそうなりたいと思う気持ち
この気持ちが強くなると憎しみが加わり、「嫉む」に発展するそうな。
「うらやましい」自体にはポジティブ、ネガティブな意味はないということです。でもモヤモヤするってことは、嫉みも入っているということなんでしょうね。
「嫉む」というのは国語辞典によるとこんな感じです。
自分より幸せだったり優れてる人、つまり相手が自分より上の立場にあることの不満から生じる憎しみを言い表した言葉である。
ネガティブ感が出てきましたね。
では「羨み」や「嫉み」はどこから生まれるのでしょうか?それはご存知の通り「比較」です。
ちまたには比較することから生まれるから、比較するのをやめましょうというありがたい教えもありますが、凡人には非現実的です。
チャンス到来
凡人の私にもできるモヤモヤを取り除く方法はないだろうか。その時思い出しました。モヤモヤがチャンスだったんだっけ。こちらに詳しく書いています。→かわいい猫をいじめたくなってしまう時にやればいい2つのこと
モヤモヤは今まで受け入れてなかった自分の嫌な部分、ダメだと感じている部分を好きになるためにやってくるのです。
それがわかれば「うらやましい」と思う自分にどうやったらOKを出せるのか考えればいいですね。
人間だから当たり前
人の幸せを喜べないなんてサイテーだ。人の幸せを喜べる「いい人間」じゃなければ幸せになれないと思っていませんか?それ、やめちゃいましょう。人の幸せを喜ぶなんて凡人には無理ですよ。
それに「いい人間」じゃなくてもいいじゃないですか。
とことん「うらやまし」がってみる
「うらやましがっちゃだめだ」と思えば思うほど、「うらやまし」がるのをやめられなくなっちゃいます。だからとことん「うらやまし」がってみてください。
感情は出し尽くすとスッキリします。思いっきりやってもいいよと言われることで、心が満足してくれるのかなあ。とことん「うらやまし」がると、その後はどっちでもよくなっちゃうんです。
こちらに関連記事があります。よかったらどうぞ。→みんなどうしてそんなにがんばってるの?潜在意識を使えば楽に生きられるのに。
うらやむ自分を責めない
メカニズムがわかっても、なかなか「うらやましい」をやめられない人もいると思います。私もずっと長い間モヤモヤしていました。
そんな時、口に出すといい言葉があります。「素敵な自分じゃないけど、ま、いいか」です。「自分なんてダメだ」と感じている時も「ま、いいか」。「なんでうまくできないんだ」っていう時も「ま、いいか」。
どんな時も使える魔法の言葉です。人間関係に疲れた時も効果がありますよ。
まとめ
「うらやましい」は誰にでも湧き上がってくる自然な感情の一つ。浅ましい考えだと自分を責めず、「うらやましい」自分を受け入れちゃいましょう。人間だからそんなもんさ。
そうすると気持ちがすごく楽になり、いつの間にか、「うらやましい」が爽やかになります。どろどろと考え続けることがなくなります。
最終的に「うらやましい」と思ってる自分が何だかかわいいなと思えたらミッション成功です!