テニスをやっている高二の息子の試合観戦に行った時のこと。
秋に開催される新人戦は、高二の息子にとっては最後のシーズン。小、中、高と練習してきたわけだからプレッシャーがかかるのは当然だ。インハイ出場を目指すコーチ陣も圧力をバンバンかけてくる。
しかし息子はプレッシャーに弱い。絶対負けられないと思いすぎてガッチガチになってしまうタイプなのだ。案の定、地区大会の8決めという大事な所でミスを連発して負けてしまった。あーあ、やっぱりダメだったか。がっかり。
そう思ってからふと昔読んだ本の一節を思い出した。
他人は自分を映す鏡だという。大嫌いな自分の一部を「気に入らない人」や「嫌な行動」に姿を変えて出現させていると。
それにあてはめると、私は「プレッシャーに弱い」自分が嫌いだから、息子がそれをやって見せてるってことになる。
そうです。私はプレッシャーに弱いんです。重大な試験を受ける時はいつも、始まったとたん頭がパニックになり何も頭に入ってこなくなったっけ。そんな自分が情けなかった。できるだけ思い出さないように、記憶の隅に追いやっていた。
強い心と弱い心、いつもその二つが自分の中にある。親も先生も強い心になりなさいと言った。弱い心はダメだって。だから弱い心を持っている自分はダメなんだと思い込んでいた。
でも心はボールのようなものだともいう。ボールの反面は強い心、もう半面は弱い心。もし弱い心がなければ強い心もなくなってしまう。だとすると弱い心はあってもいい。いやむしろなきゃダメだ。
いつもダメな自分にOKを出そうとしているけどまだ途中だ。OKを出せてないところもたくさんある。そのOKできない部分が嫌なこととして目の前に現れてくる。
目の前に出てきた嫌なことは全て、その人をもっとよくするために起こってる。
今回は「いつもプレッシャーに負ける」弱い心を認めるために起こってる。
だから私は以下のようにやってみた。
- 弱い心をじっとみつめる。プレッシャーに負けた場面を思い出す。
- プレッシャーに負けた時に親や先生に言われた嫌なことを思い出す。先生に言われたな。「やっぱりお前には無理だと思ってた」って。
- それはもう過去の傷だと想ってみる。腑に落ちるまで。
- 疑ってみるその嫌なことは、もしかしたら勝手な思い込みだったかもしれない。本当はそんなに嫌なこと言われたんじゃなかったかも。
- 「プレッシャーに負けてもいいじゃん」「弱い人間でもいい」と口に出していってみる。
これをやっていけば、もう後は時間が解決してくれるに違いない。私が弱い心を認めたらきっと息子はプレッシャーに負けなくなる...かな?(;´∀`)
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